創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

西尾忠久を偲ぶ会(2)

エイビスの「We Try Harder」キャンペーンの担当コピーライターで、2012年、スティーブ・ジョブズらと共にThe One Clubの殿堂入りをしたポーラ・グリーンさんからメッセージをいただきました。
今年の4月に30数年ぶりにコンタクトが取れ、彼女も、もう一度西尾にインタビューして欲しいと願っていたのですが、残念ながら実現することはできませんでした。


西尾さんのニュースを伺い、深い悲しみに包まれています。また、もう一度インタビューしていただくことが実現できず残念に思います。


彼は広告の歴史において輝かしい星でした。
この業界の未来のジャーナリストたちが、西尾さんの貢献を明らかにしてくれることを望んでいます。
あなた方とともに、この素晴らしい功績を収めた西尾さんの喪に服したいと思います。


西尾さんの理想とビジョンを続けるという記念碑的なタスクを残し、あなたにそのトーチを渡せたことを嬉しく思います。
どうぞ、私にためらわず連絡してください。
西尾さんは私たちをつなげてくれたのですから。


会場へは伺えませんが、私の思いはあなたとともにあります。
どうぞ、私を参列者のひとりに加えてください。


また、私の作品ファイルを展示のひとつに加えていただいたことを大変光栄に思います。


深い哀悼の意と大きな尊敬の念をいだいて。


ポーラ・グリーン


少し横道にそれますが、ポーラさんの近況をご紹介します。
今年の4月にGoogleのプロジェクト『Re:Brief』に参加しています。彼女の姿をムービーで見られるのでご興味ある方はご覧ください。
エイビスの「We try harder」キャンペーンを現在のソーシャル・ネットワークを使うとどのようなカタチで実現できるのかを、Googleのスタッフたちと改めて考え直し(re-imagine)、アプリを使った利用者の意見収集というカタチで提案をしています。
同じ「Re:Brief」のコカ・コーラ版は2012年のカンヌライオンズ、モバイル部門のグランプリを受賞しています。
ポーラさんは西尾の3つ上で85歳。元気な姿はなにより嬉しいです。




前回に続き、『西尾忠久を偲ぶ会』の展示内容をご紹介します。


大学時代、文案家のアルバイトで入った三洋電機に、卒業後正社員として採用されます。
宣伝部に入った西尾は全社員に「会社のことでわからないこと、意見したいことがあれば西尾に連絡してくれ」と伝えます。
そうすることによって、会社の様々な問題や情報が西尾の元に集まってきます。
その結果、何かわからないことがあれば西尾に聞け、という状況ができあがる。
そうすると、より情報は集まってくる。
それらの情報を元に、販売店向けのPR誌を作っていたのではないでしょうか。


東京に移ってきてからは、コピーライター、広告業界の地位向上、技術向上のため、東京コピーライターズクラブの設立や、デザイン誌への寄稿、書籍の出版など精力的に活動しました。




アメリカの広告とクリエイターたち


大阪の三洋電機時代の西尾はコピーライティングの勉強のため、講師を会社に呼び、M. デヴォーの『Effective Advertising Copy(効果的な広告コピー)』を原書で講読する勉強会を隔週で3年間続けました。


左:『Effective Advertising Copy』Merrill DeVoe/1956年発行


右:日本デザインセンターの社内資料(コピーライティング研究会テキスト)『効果的な広告コピー』第19章を翻訳した冊子/1960年ごろ


同じ時期、その講師をお願いしていた松本善之助氏を中心にコピーライターの若手・ベテランのメンバー10数人で「大阪コピーライターズ・クラブ」を発会。25歳の西尾はもちろん若手メンバーです。
東京へ移ってからも、コピーライターの地位向上と勉強のため、コピーライターの仲間たちと勉強会を行いました。毎月10日に開いていたことから『コピー十日会』と名付けたその勉強会が後に『東京コピーライターズクラブ』になります。


当時の西尾の勉強方法は、古本屋さんからアメリカの雑誌を取り寄せてきて、これは、と思う作品を切り抜いていくことでした。切り抜きした作品のクリエイターを調べていると、ほとんどがドイル・デーン・バーンバックDDB)という会社に属していました。


1960年代の『The New Yorker』の切り抜きファイル。エイビス、ポラロイド、アメリカン航空、フランス観光局、ケムストランド・ナイロンなど


そこからより詳しい情報を得るため、DDBバーンバック社長宛てに手紙を出し始めます。
以後10年近くにわたる取材が始まりました。


フォルクスワーゲンの広告、DDB、ハーブ・ルバーリン、プッシュピンスタジオの面々などなど、広告やデザイン、クリエイターを特集した西尾の著書


「創造性」「空間の経済学」「海外旅行」など、項目に分類されたアイデアメモ/1970年〜80年ごろ


書斎の本棚には、参考にしたであろう、川喜田二郎氏、梅棹忠夫氏、渡部昇一氏などの創造性の開発、知的生産性にまつわる書籍が多く残っていました。また時実利彦氏の脳に関する書籍も何冊かありました。


アメリカのユダヤ人』原稿/1972年ごろ
写真の箇所はこちらで読めます。


西尾宛ての様々な手紙。送付元は、DDB、ウェルズ・リッチ・グリーン、ヤング&ルビカム、ブラニフ・インターナショナル、ボルボ、プッシュピンスタジオ・・・


1966年NY取材時のウェルカム・パーティーにて
※大きく見たい方は画像をクリックしてください。

左:ケーキには「WELCOME Nishio-San」と書かれている
右:ロール・パーカーさんを囲んで



左:レオン・メドウさんを囲んで
右:西尾の左にレン・シローイッツさんの姿が見える


次回は『世界の有名品』のブロックです。


文責:転法輪 篤