創造と環境

コピーライター西尾忠久の1960年代を中心としたアメリカ広告のアーカイブ

西尾忠久を偲ぶ会(1)

本日10月11日、麹町・東京グリーンパレスにて『西尾忠久を偲ぶ会』が執り行われました。
生前お世話になった方々から、書籍やブログを通して西尾に出会われた方まで多数ご参列いただきました。
この場を借りて深く御礼申し上げます。


スペースの都合上展示できなかったものを加えて何日かに分けて、このブログ上でご紹介いたします。




西尾の著書を中心に、歩んできた道を紹介いたします。それぞれの時代に出会われたみなさまには足りない部分を補っていただきながら、故人を偲んでいただければと思います。


昭和5(1930)年、西尾家次男として鳥取県鳥取市に生まれました。西尾少年は、陸軍の幹部候補を育成する、大阪陸軍幼年学校を目指しました。昭和20年に無事試験を通過し、入学を許されるも4ヶ月後に終戦を迎え学校は解体してしまいます。終戦翌々日の夜、大阪に米軍が上陸したというデマ情報に本部は慌てて閉校にし、生徒たちは乾パンを靴下につめ、運動着のまま、京都方面に向かって歩いていったと当時を述懐しています。


昭和17(1942)年ごろ。母、兄、妹といっしょに


鳥取に戻り高校を卒業してから、関西大学 経済学部経済学科へ入学。そのころ国鉄労働組合吹田支部で書記としても働いていました。19歳のとき、のちに書誌学者、評論家として知られる谷沢永一氏の主催する同人誌『えんぴつ』に参加します。開高健氏、向井敏氏、木場康治氏なども一緒でした。


昭和25(1950)年。同人誌『えんぴつ』の仲間と。前列左から2番目が谷沢永一氏。その右が開高健氏。西尾は後列一番右


その頃友人の紹介で販売店向けのハウスオーガン(PR誌)の文案家として、三洋電機でアルバイトを始めます。戦後、松下電器から分かれてできた三洋電機はまだ創業してから5年ほどしか経っていない若い会社でした。大学卒業後、改めて三洋電機に入社し、文案家として活躍します。4年後、東京へ転勤になり「サンヨーテレビ劇場」を担当。昭和33(1958)年に放送された「私は貝になりたい」は文部省芸術祭の大賞も受賞し大変話題になりました。その後日本デザインセンターを経て、昭和39(1964)年にアド・エンジニアーズ・オブ・トーキョーを設立します。


昭和27(1952)年12月29日。三洋電機・文案家アルバイト時代


昭和35(1960)年ごろ。日本デザインセンター、コピーチーフ時代と思われるスナップ。後ろに貼っているのはトミ・アンゲラーのイラストポスター



西尾 忠久 略年譜

昭和5(1930)年6月9日0歳鳥取県に生まれる
昭和20(1945)年4月1日14歳大阪陸軍幼年学校 49期生として入学。4ヶ月で終戦を迎え、解散
昭和23(1948)年4月1日18歳関西大学 経済学部経済学科 入学
昭和25(1950)年1月19歳谷沢永一開高健向井敏、各氏らと同人誌『えんぴつ』に第2号から参加。第1号は同年1月1日発行。翌1951年5月1日の第17号をもって終刊
昭和27(1952)年ごろ22歳三洋電機にハウスオーガン(PR誌)の文案家としてアルバイトを始める
昭和28(1953)年3月31日22歳関西大学 経済学部経済学科 卒業
昭和28(1953)年4月1日22歳三洋電機にハウスオーガンの文案家として入社
昭和32(1957)年ごろ27歳宣伝部課長代理として東京へ異動。TBS「サンヨーテレビ劇場」などを手がける
昭和33(1958)年10月31日28歳私は貝になりたい」放送。同年、文部省芸術祭の大賞を受賞
昭和35(1960)年4月1日29歳日本デザインセンターにコピーチーフとして入社。田中一光氏とトヨタ自動車などを担当
昭和37(1962)年10月10日32歳東京コピーライターズ・クラブ発足
昭和38(1963)年5月15日32歳『コピー年鑑』創刊号、誠文堂新光社より発刊
昭和38(1963)年6月15日33歳フォルクスワーゲンの広告キャンペーン』美術出版社より発行
昭和38(1963)年12月15日33歳『効果的なコピー作法』誠文堂新光社より発行
昭和39(1964)年3月3日33歳アド・エンジニアーズ・オブ・トーキョーを設立
昭和41(1966)年4月1日35歳多摩美術大学にて「広告コンセプト」授業開始。以後、38年間に渡り担当
昭和41(1966)年10月1日36歳『繁栄を確約する広告代理店−DDB誠文堂新光社より発行
昭和44(1969)年6月39歳東急エージェンシー制作担当取締役 クリエイティブディレクター就任
昭和45(1970)年4月1日39歳CF企画制作会社キャット 設立
昭和50(1975)年45歳『定本・西洋占星術』みんとより発行
昭和50(1975)年45歳『世界の有名品』みんとより発行
昭和54(1979)年49歳「キリン ビアマグ コレクション」頒布開始
昭和57(1982)年52歳ワープロを自宅に導入(ナショナル パナワード2000)。業務用ワープロとして売られていたもので、個人の購入は初めてであった
昭和60(1985)年3月20日54歳ワープロ書斎術 』講談社現代新書より発行
昭和62(1987)年春ごろ57歳ミステリー小説のデータベース構築を開始
平成5(1993)年8月22日63歳『ミステリーがちょっぴり好きな友へ』東京書籍より発行
平成8(1996)年10月5日66歳鬼平犯科帳を助太刀いたす』KKベストセラーズより発行
平成16(2004)年12月20日74歳ブログ『「鬼平犯科帳」盗人探索日録』開始。後に『「鬼平犯科帳」Who's Who』に改称
平成19(2007)年1月16日76歳ブログ『創造と環境』開始
平成24(2012)年7月28日82歳自宅にて逝去


※月日が不明な項目の年齢は、満年齢にしています。
 著書のリストについてはwikipediaをご覧ください。




今回の展示では、著書を「広告」「世界の有名品」「ミステリー」「鬼平犯科帳」の4ブロックに分けて紹介します。そこに入らないものは発行時期の近いものと一緒に展示しています。


次回は会場の展示写真といっしょに「広告」のブロックをご紹介いたします。


文責:転法輪 篤