創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(759)『アメリカのユダヤ人』を読む(19)

 

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忠誠のしるし


 アメリカ人はふつう、宗教生活と俗生活をはっきり区別している。
両方の世界に同時に生きるということはない。
ユダヤアメリカ人もそうしようとするが、慣習があってなかなかできない。
会堂内世界とアメリカ社会での生活を区別するだけではだめで、第三の世界、心
から敬虔でなくてもユダヤ人的であり得る中途半端な領域をつくり出す必要があ
った。


 この領域はいくつもの副領域に分かれ、世界の中に世界を生み、強力で高度な
組織も持っているものもある。
最も重要なのは慈善の世界――すなわち敵と味方から 慈善体制(チャリティ・エスタブリッシ
ュメント)
と呼ばれているやつである。
中流階層ユダヤアメリカの人には、献金することでユダヤ人共同体に密着し
ていると認められたがる妙な傾向があるので、この体制は強固で影響力も誇って
いられる。


 だから会堂に来ない人でも善行は行なう。
慈善(セダカ)精神は清浄食品(カシュルート)戒律と同じくらい戒律(ミツバ)の重要な部分である。
神はその民に貧しい者や不幸な者を助けよと命じた。
残念なことに神の指示は不明瞭だった。
すべての貧しい者や不幸な者を指したのだろうか、それともたまたまユダヤ人に
生まれた者だけを指したのだろうか? 
貧しい旅人を装った主の使いたちがアブラハムの家を訪れた時、アブラハムは彼
らが誰だかわからないままに食物を与えた。
しかし聖書は後になって「アブラハムイスラエルの子らに互いに助けあって生
きること……人は互いのために生きるべきであると教えた」と言っている。
だが、この「人」とはユダヤ人のことだろうか、すべての人間のことだろうか? 
タルムドのラピの臨機応変の解釈ぶりがいまだに議論の的になっている。
また慈善を施す時にどんな心構えを持つべきかについてもモーゼ五書もタルムド
もあいまいな解釈しか示していない。
援助を差しのべる人に慈愛の精神や心からの同情を持てと説いているように思え
る時もあるし、心情ではなく行動だと暗示しているように見える時もある。
貧しい者や不幸な者への義務を果たせば愛の有無は問われないというのである。


 一つだけ確かなのは――キリスト教徒と違って、ユダヤ人の慈善には神秘性が
ないことである。
文字通り現実的、実際的なことである。
地上の生活に関するものに関心を示すべきだと信じており、現実の場で改善でき
るという観点に立っている。
私の義務はあなたの生命がある間に苦しみを軽減することであって、永劫の報い
などというはかない希望を与えることではない。
そしてあなたも同じ義務を私に感じてくれることを期待する。
慈善は、受ける価値があるから与えられるのではなくて、受ける権利があるから
与えられるのである。


 シュテットルではこの原則――いかなる者も共同体を恥ずかしめるような堕落
をしてはならない――が貧窮者を救う組合や組織をいくつもつくり出した。
貸付組合、孤児教育組合、葬式組合から、貧乏な娘に嫁入り資金を提供する組合
まであった。
この慣習はアメリカヘきた最初のユダヤ人にも引き継がれた。
不況期間中、ユダヤ人も他の人種同様、不況にあえいだが、政府の救済を受けた
者は少なかった。


 アメリカのユダヤ人同士の面倒のみかたは年とともに変わってきた。
19世紀のドイツ系ユダヤ人はおもに個別の社会事業に従事した。
小共同体でも内部問題は共同体内で処理して、他の共同体の世話にならなかった。
しかし世紀が変わる頃には東欧系移民が急増したため、この方法では効果がない
ことがドイツ系ユダヤ人の目にもはっきりしてきた。
人数も問題も増え過ぎた。
金持ち連はシュノラユダヤ人の乞食)に週に20回もお恵みをねだられた。
勧誘員たちも勝手な援助対象をロにしては寄付を集めていった。
こうしたでたらめと非能率に辟易したドイツ系金持ちユダヤ人は、連合体制度を
考えだした。
統合組織にすべての寄付と救援依頼を集中させる案である。
より早く効果的に救援の手を差しのべることができ、金持ちもわずらわされずに
すむ。
最初の統合組織が1895年にボストンに誕生し、やがて大都市のユダヤ人ばか
りか非ユダヤ人慈善家も同様の組織を採用しはじめた。


 ドイツ系ユダヤ人は局部的救済にしか興味を示さなかったが、東欧系はヨーロ
ッパに住むユダヤ人救済にも関心を持った。
ヨーロッパに親族を残しているものも多かったし、シュテットルの経外伝説がユ
ダヤ教の兄弟愛を強調していたからであった。
海の向こうのユダヤ人同胞救済のために、東欧系ユダヤ人は独自の慈善組織をつ
くりあげなければならなかった。
第一次大戦中、小規模ながら独自の活動を開始し、一部のドイツ系ユダヤ人の資
金も注ぎこまれた。
戦争で追い立てられた欧州のユダヤ人を救済する合同分配委員会が結成された。
終戦とともに解散の予定であったのが1925年にポーランドユダヤ人大虐殺
が発生したために継続されることになった。


 ヒトラーの大虐殺も、いくつもの組織を新しく誕生させた。
ドイツ亡命者救済のために1934年にニューヨークで結成された調整委員会は
1939年に全国亡命者救済会に発展した。
同年ユダヤ人共同アピールも結成された。
当初は分配委員会とは別の東欧系グループによるパレスチナ共同アピールを調整
するためにつくられた臨時組織であったが、成長をとげた今日では親組織を支援
するほどの勢いである。


 ヒトラー・ショックのおかげで、ドイツ系ユダヤ人も兄弟意識に目ざめた。
大戦後にイスラエルが建国されると、ほとんどのユダヤ人が後援を誓った。
ユダヤ人アピールや地方都市組織が合同して毎年募金運動をやるようになった。
意図したわけではなかったのに、ユダヤ人共同体のための一つの共通意見になり
始めていた。
これが慈善体制である。


 ユダヤ人の慈善運動は全体で毎年6億8,000万ドル以上も集めている。
ユダヤ人アピールが結成された1939年以来の連合基金の伸びは目をみはるも
のがある。
初年度に2,700万ドルにも達した。
1945年から1946年にかけて倍になり、1948年には2億ドルにも達し
た。
それがピークであった。
つまりナチの虐殺の手を逃れた人々を生活に立ち戻らせ、生活できる土地を捜し
てやるのがアメリカのユダヤ人の関心事だったのである。
1949年から1955年にかけて寄付は減少した――最低の年の合計額は1億
700万ドルであった。
しかし1956年以後微増に転じ1965年には1億4,200万ドルあった。


 1939年から1966年までのユダヤアメリカ人による通算募金額は30
億ドルを越す。


 慈善運動の成果は都市によって大きく違う。
ニューヨークはユダヤアメリカ人の半数近くが住んでいるにしては募金額が少
ない。
ニューヨークの連合体とユダヤ人アピール支部を合計しても――いまでも個別の
運動を続けている都市はニューヨークだけである――1955年度は5,000万
ドルしかなかった。
全国計の3分の1でしかない。
一方ユダヤ人が8万5,000人しかいないクリーブラクンドは――ニューヨーク
市のユダヤ人の人口の30分の1――640万ドルも集めた。
一人当たり寄付額は最高である。
同様にアトランタの地方組織が94万5,000ドル集めたのに、ユダヤ人の人口
が同じニュージャージーのキャムデンでは34万5,000ドルしか集まらなかっ
た。
都市によって異なる理由の一つは、非ユダヤ人共同体の寄付習慣による。
アトランタの異教徒はキャムデンの異教徒よりも慈善心があり、それがユダヤ人に
も反映しているのだろう。


 しかしユダヤ人の募金運動は異教徒よりも一歩先をいっている。
その好例がデトロイトである。
デトロイトの全宗教団体は年平均2,500万ドル集める。
デトロイトユダヤ人共同キャンペーンは1965年に約500万ドル集めたが、
同市のユダヤ人は市人口の4%弱でしかない。
こういった数値の比較をするにあたって、デトロイトに限らずどの都市でも、ユダ
ヤ人組織だけに寄付しているのではないことを念頭に置く必要がある。
地方の共同募金や全国募金にも気前よく寄付をしている。
ユダヤ人は年間寄付額の4分の1を非ユダヤ人機構にも寄付していると推定できる。


 これまでにあげた数字は連合体の募金運動だけに関するものである。
正確な図を描くには、地方連合体に属していないユダヤ人組織も多く、それらも多
額の金を集めていることを知っておく必要がある。
例えば会堂による募金額は、ユダヤ人寄付金合計の15%を占める。
カリフォルニアのホープ病院とデンバーのナショナル・ユダヤ人病院は独自に年間に
1,000万ドル集めている。
ニューヨークのアインシュタイン医科学校は年間750万ドル集める。
ブネイ・ブリス青年部アピールは300万ドル近く集める。
地方連合体とも関係のないブランダイス大学も年間1,500万ドル集める。
それぞれ独立した活動による募金額合計は毎年7,400万ドルを越えるのである。


 募金は収入の2〜4%に当たる小口寄付から成っているが、募金額の80が以上
は収入の10%か、それ以上を寄付する人からのものである。
ニューヨーク・タイムズ紙の死亡欄を見ていると、大口寄付者が金をどのように使っ
ていたかがよくわかる。
著名なユダヤ人慈善家が死ぬと死亡告知の右欄が恩恵を受けていた各機関からの賛
辞で埋まる。


 だが、ユダヤアメリカ人は他人の慈善達成を当てにしてはいないようである。
ニューヨークでの数年前の調査で、ユダヤ人共同体の構成員にユダヤ人の慈善度を
自分と比較させたところ、友人や隣人、仕事仲間や一族よりも自分のほうが劣ると
答えた人は皆無であった。
集まった金の配分は複雑である。
地方連合体は、名誉毀損反対リーグ、ユダヤ人委員会やユダヤ人会議のような全国
組織に配分している。
ユダヤ教連合大学やユダヤ神学校などの宗教団体にも配分している。
後はほとんどが老人ホームやYMHAユダヤ教青年会。YMCAのユダヤ版)など各地の事情
に合わせた広範な組織に配られる。
もちろん病院も含まれている。ニューヨーク市の病院はユダヤ人の慈善対象として
最もよく知られた存在である。
ニューヨーク連合体は募金の35%を医療関係にまわしている。
シカゴやその他の大都市では病院よりもYMHAやその他の青年活動団体に重点を
置いている。


 最大の受領機関はユダヤ人アピールである。
各地の連合体単位にユダヤ人アピールにまわす額を決めているが全国平均は54.4
%である。
受領したユダヤ人アピールは複雑な数式を使って付属の機関に分配する。


 連合体の募金運動の恩恵を受ける病院や老人ホームなどの施設は、それ相応の義
務を負うのがふつうである。
記録の提出とか連合体側役員の受け入れである。
第一戒『汝独自に募金するなかれ』である。
規律はだいたいにおいて非常によい。
時たまひそかに寄付集めをする機関もあるが、連合体の認可なしで大きな募金運動
を遂行する機関はほとんどない。


 この点はユダヤ人アピールも同じで、いかなる募金運動もやってはならないこと
になっている。
ほとんどの共同体にあるユダヤ人アピール支部には、専門家や有志や同志が関係し
ている。
ユダヤ人アピール支部は圧力団体として介在しており、連合体がユダヤ人アピール
に対する配分を決める際に圧力をかけている。


 理論的には連合体の募金運動は土地の志願者によって行なわれる。
募金運動議長や副議長にはそのユダヤ人共同体の優秀なピジネスマンや専門家がな
る。
募金運動は専門家を必要とする高度に専門的な活動だからである。
そういった専門家は共同体の共同体協議会と呼ばれる共同体の組織から派遣される。
この協議会は、募金運動時に志願してくる非専門家に補助者を派遣するばかりか、
集まった金の使途にもかなりの発言権を持っている。
「公式には、大口寄付委員は、どの方面で金が必要とされているかを知っていて、
黙っていても正しい決定をしてくれる。
しかし実情をいうと、専門家が素人の目を欺くのは簡単で、素人はどんなことにだ
って同意させられてしまう」とある専門家が話してくれた。


 2、3の大都市に存在する2、3の連合体はユダヤ人連合委員会・救済募金に
属しており、本部はニューヨークのビルのある階全部を使っている。
この機関の第一の存在目的は全国の専門家が集まって共通の問題を論じあうための
ものである。


 これが慈善体制という入念な全国的組織なのである。
批評家は募金の大半が組織の維持費に使われてしまうと指摘するが、ユダヤ人の慈
善団体の運営費は驚くほど少ない。
ユダヤ人アピールは4%しか使わないし、その中にはユダヤ人アピールのフリード
マン幹部ラビの年俸7万ドルも含まれている(同ラビは当代最高のPRマンの一人
だから、この額も当然であろう)。
各地の連合体も4%程度しか使わない。
これらの数字からもわかるように、ユダヤ人の慈善団体の運営費は非ユダヤ人慈善
団体よりもはるかに低い。


 ということは、同じ募金額でも生かして使える金が多いということである。


 ユダヤ人の慈善運動はなぜうまくいくのか? 
これに答えるには、ユダヤ人の寄付動機を調べてみる必要があろう。
表面上の理由の一つ、貧しい者への慈悲心、ユダヤ人の存続、富める者の義務など
である。
しかし本当の理由はほかにもある。


 最も重要なものは、共同体の圧力に対する恐れである。
彼らにとって慈善行為は単にユダヤ人共同体で権威を得るためだけのものではない。
いろんな意味で受け入れてもらうために必要不可欠なものなのである。
ユダヤ人カントリ・クラブの入会希望者は、まず慈善団体に十分な寄付をすることを
理事会に申告する必要がある。
委員会は申告を調べる。
クラブ理事の一人以上が地方連合体の役員を兼ねているからである。
ユダヤ人ビジネス界を相手に営業を希望する弁護士は連合体事務に携わるべしといっ
た風習もあった。
いまでもニューヨークには、ユダヤ人が所有しているアパートへの入居希望者は慈善
寄付試験に合格しなけれぱならないところすらある。


明日に、つづく。
 こういった「無情な」圧力に対する非難がでても、共同体の大立物や募金運動家た
ちはいささかも良心の苛責を感じない。
「当然のことですよ。クラブに入りたいということは、すなわち共同体に入りたいと
いうことです。
クラブは入会金を課しています――共同体とて同じです。寄付が共同体入会金です。
払う払わないはその人の勝手ですが、われわれの価値観に文句をつけるような奴を仲
間にしたくはありませんからね。ユダヤ人クラブに入ろうとしないような者を、どう
してゴルフクラブで受け入れられるものですか?」とある紳士が言ったものである。


 共同体の圧力は、他にもいろんなふうにかかってくる。
キャンペーン終了時に寄付者全員の氏名と寄付額を記した小冊子を出している連合体も
ある。
クリーブランドでは、この小冊子がユダヤ人共同体の全家庭に無料配布される。「一週
間はこの本のことでもちきりになります」と、そこのある主人が語った。
クリーブランドの寄付額が最高なのもこれでうなずけよう。
ニューヨークの連合体でも小冊子を出している。
共同体関係協議会の職員以外には配布されないのに、遅かれ早かれすべての者が目にす
ることになる。
「ものすごいヤミ商品です」とニューヨークのある住人が言っていた。


 個々の贈与者にかけられる共同体の圧力の最も普通の形は募金晩餐会である。
キャンベーン――ユダヤ人であることを確認する年次大酒宴――は晩餐会で成り立って
いるとも言え、客の財産に応じて大から小にいたるまである。
オープニング晩餐会「――大」はその市の最高級のホテルで催され、重要人物(政治家
であることが多い)の講演つきで5,000ドル以上の大口寄付者数人だけが招待される。
1,000ドルから4,999ドル寄付組のための晩餐会は前者よりも多少格の劣るホテ
ルで開かれ、講演者の格も劣る。
寄付額に応じて格が下がり、100ドルから200ドル組には午餐が催されるだけであ
る(100ドル。以下は自分の家で食べなけれぱならない)。


 格は違っても内容は似たり寄ったりである。
最近ニューヨークの連合体の幹部を退職したジョセフ・ウイレンが1930年初期に発案
したカード読みあげ方式が宣言の時に用いられる。
食事と講演が終わると、カードの山の中から客の名が読みあげられる。
呼ばれた人は立っていくら寄付するかを返答し、署名入りの寄付申込書を渡す。
アルファペット順のこともあるが、寄付額の多い順のほうが多い。
多い人に刺激されてはずむことが経験を通じてわかっているからである。
カード読みあげ式は絶妙な効果を持っている。
名前が呼ばれるだけでなく前年度の寄付額も読まれる。
だから、その人が例年の寄付額を守っているかどうかがすぐにわかってしまう。
読みあげ式を避けている組織も多い。
すこし手荒すぎるからである。


 カード読みあげ式の効果は、晩餐会の出席者とカード読みあげ人にかかって
いる。
小さな町や郊外の連合体には準政府組織があり、この権力機構から引き立てを
受けるか受けないかは各地区の連合体とどんな連繋を持っているかによって変
わってくる。
こういった小都市のユダヤ人共同体の成人会員はすべての募金運動晩餐会に呼
ばれ、カード読みあげ人には町の有力者がなることが多い。
大都市の連合体は利害関係に基づいたグループに分かれており、そうやって特
別な圧力をかける。
例えばユダヤ人アピールやニューヨーク連合体は産業別や職業別に分かれている。
晩餐会で業界の競争相手や同僚に会うというわけである。


 数年前、ユダヤ人アピール全国運動のフィッシャー(デトロイト)前議長がか
なり高度なカード読みあげ式を行なった。
フィッシャー氏はそれまでデトロイトユダヤ人アピール同盟の運動議長だった。
共同募金運動の新議長に選ばれた異教徒の友人が助言を求めてきて「ユダヤ人は
どうしてあんなに多くの金がいつも集められるのか?」と聞いた。
その年の集まりでフィッシャー氏は開口一番、「われわれは過去不十分な寄付し
かしてこなかった。自分たちが先例を示さないで他のユダヤ人に寄付をはずます
ことが期待できようか」と言った。


「今回は名前を呼びませんがまず3,000ドルから始めます」と彼は続けた。
そして彼の隣りに座っている人に宣言させた。
この男はためらいがちに3,000ドルと言った。
フィッシャー氏はため息をついた。
男が言った。
「少ないかな?」
フィッシャー氏はあきあきしたように頭を振った。
「いくらならいい?」
するとフィッシャー氏は「君なら、3,500ドルは出せるだろう」
男は一瞬声をのんだが、結局その額を申し込んだ。
フィッシャー氏は次々と別の委員連に移っていったが、誰一人として不十分な宣
言で時を浪費することはなかった。
そして会議が終わる頃には、運動の目標額の半分に達していた。


 後でフィッシャー氏は異教徒の友人のところに行って静かにこう言ったという。
「とまあ、こんな次第さ」


 もちろんカード読みあげ式は常に悪評を受けている。
だが募金運動家たちは肩をすくめるだけである。
この方式のおかげで募金額の60%以上が集められ、残りの40%にもはかり難
いほどの影響を与えるというのである。