創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(773)『アメリカのユダヤ人』を読む(24)

 

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地方人と世界人  昨日の、つづき 



 上流階級の男性組織はユダヤ人委員会である。上流すぎて最近まで地方支部
できない有様であった。
会員資格もドイツ系ユダヤ人共同体の中でも最も裕福な数百人の男性に限られて
いた。
戦後、マスを基盤としたほうが活動が広がると考えを改めたので、現在の会員数
は2万人に達している。
ほとんどが改革派聖堂の裕福な主柱となっている人たちである。
聖堂に属していない粒よりの大口寄付者もいる。
ユダヤ人委員会にも公的、社交の二つの目的がある。
ここの全国的規模の行事は専門家の手でみごとに遂行される。
反ユダヤ主義イスラエル公民権運動、宗派超越問題……どんなテーマであっ
ても、その分野での一流の権威者を雇う。
雑誌『コメンタリー』を発行し各種の調査も実施している。
会員は会の方針をだいたい認めており、多額の寄付をして支援している。


 しかし彼らはいったい何のためにこの組織に属しているのだろうか? 
ユダヤ人委員会はエリート組織であるという評判が支援者をひきつけているので
ある。
年配会員にはドイツ系ユダヤ人富裕階層出身者が多く、昔の上流階級風の反シオ
ニスト気質を保持している。
だが一般会員にはブネイ・ブリス同様、東欧系が多い。
同会を持続させているのは、貴族的な実体よりもそのイメージである。


 ユダヤ人委員会のライバルはユダヤ人会議だが、これは中流階級の組織である。
会員数は約3万人で「マス」組織ではなく、政治活動組織を自認している。
その好戦的なリベラリズムは、昔ながらのシオニスト、非宗教的なイディッシュ語
主義のユダヤ人、完敗した社会主義者たちにうけている。
そして自分たちは社交的ではなく、完全に理想的だと考えている。


 稀薄化した急進主義的なユダヤ人会議も、温和な中流階級のブネイ・ブリスも、
これまでみてきたどの組織も、大卒の若者には魅力がないようである。
若いユダヤ人は、会堂に属している人も含めて「ハダサ宴会調の人生」を軽蔑して
いる。
宗教団体以外で今日最も多義的な組織―−ユダヤアメリカ人にしかつくり出せな
い矛盾のかたまりである組織によって若者をひきつけるための最大の試みがなされ
ている最中である。


 ユダヤ人共同体センター運動は比較的新しいが、YMHA(YMCAのユダヤ版)運動はずっと前から盛んであった。
最初は共同体の会堂に加入したくないユダヤ人の必要にこたえて19世紀の中頃突
如として起こった社交的でも文化的でもある雰囲気で、若いユダヤ人はくつろぎ、
本を読み、ユダヤ人女性に会うことができた。


 1917年にユダヤ人兵士にサービス・クラブを提供するためにユダヤ人救済委員
会が結成されたが、戦争が終わると手許に100万ドル残ってしまった。
そこで救済委員会はYMHAを統一運動にするためにその金を使った。
1920年代はうまくいっていたのだが不況のあおりをくってしまった。
利用したのは東欧系の人たちだったが、金銭的支援はドイツ系の人たちが担当した。
株式暴落によってこうしたドイツ系ユダヤ人の財産の多くが強烈なあおりを受けると、
YMHAには財源がなくなってしまった。
その多くはWPAC(公共事業促進局)や、
美術、音楽、演劇、社会奉仕の連邦企画によって救われたが、その結果ユダヤ人的内
容の多くはアメリカ化され、ユダヤ人的性格は薄められてしまった。
1940年代初頭に復興し、1945年には会費納入会員40万人を数えた。
この頃には名称が変わっていた。
宗教的色彩よりも文化面を強調するために「ユダヤ人センター」という名称を提案したのは
モーデカイ・キャプランである。


 今日ユダヤ人共同体センターは全国に300を数え会費納入会員は75万人もいる。
会費未納者も同数いるが、センターの施設は利用している。
デトロイトには金持ちのセンターがある。
体育館やバスケットボール・コートばかりか、プール、サウナ、テニスコート設備まで
ある。
このことからユダヤ人共同体センターが一般にどういうものであるかわかる。
同センターはカントリークラブに入会する余裕のないユダヤ人のためのカントリークラ
ブなのである。
ユダヤ人共同体センターのある指導者はその方針をこう表現した。
「センター運動は現代のユダヤ人文明が過去を利用して未来に備える手段である」。
言いかえればYMHAもアメリカのユダヤ人の他の施設と同じく残存ビジネスなのであ
る。


 YMHAも、モーゼ五書にもシオンにも興味のない若いユダヤ人をひきつけるのはむ
かしい。
そこで、ハンドボール、写真、映画、異性に会う機会でひきつけようとする。
だがコネチカットの10代はこう言った。
「あれは異教徒の連中とバレー・ボールをやる代わりに、ユダヤ人同士でやる程度のこと
です。ユダヤ式バレー・ボールなんてのがあるとでも思っているんでしょうかね!」


 このジレンマにはもっと危険な警笛がまだ二つある。
センター運動はデモクラシーというアメリカの理想を基盤にしている。
デモクラシーがユダヤ教にも含まれると信じ、YMHAの委員はユダヤ人としてではなく、
隣人の世界でも役に立たなければならないとしている。
これは初期の頃ですらこの運動の公式方針であった――イタリアやアイルランド系移民の
多くは古い教育同盟を利用した――が今日ではこの理想が頭痛の種となっている。
隣人の世界は常に変わってゆく。
複雑になり、ユダヤ人がいなくなってゆく。
今日教育同盟を利用するのはほとんど黒人かプエルト・リコである。
YMHAは青年たちがユダヤ人女性に会いに行ける場所であった。
いまではそこで誰に会っているかわかったものではない。
「異教徒との結婚は悩みの種です。それなのに共同体センターは何をしているというので
しょう。異教徒とのデート局ではありませんか!」とロングアイランドのある母親が嘆い
た。


 共同体センターの幹部はこの非難を真剣に検討してはいるが、開放的な入会条件を捨てた
がらない。
理由の一つ経済的なものである――会員が増えると会費も増える。
しかし理念的な理由もある。
センター運動はデモクラシーに熱心である。
ユダヤ人と異教徒が自由に交際することを望み、長い目でみれば結局ユダヤアメリカ人に
とって利点となると信じている。
だからユダヤ人共同体センターも実はこれまでに述べてきた他の組織と違ってはいないので
ある。
批判はあろうがユダヤ人式バレー・ボール以上のものを達成していると確信している。
彼らにも真面目な目的がある。
多少の役には立ってはいるのである。

 * 特記してない限り、会員数、支出などに関する全数字は、
  当該団体から提供されたものである。


注1..... Isaac Levitats, "The Jewish Association in Arnerica," in Essays on Jewish Life and Thought,  edited by Joseph L. Blau et. al., New York, Columbia University Press, 1959.