創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(723)『アメリカのユダヤ人』を読む(9)


GW中なら、普段読みつけないものでも読んでいただけるとおもい、異例の、既訳『アメリカのユダヤ人』を毎日連載してみました。


案にたがわず、百数十名の知的好奇心の旺盛な方がいらっしゃいました。


ただ、このブログのタイトルがふさわしくなかったのでしょう、ひそかに狙っていたファッション界、映画界、放送界、音楽界、宝飾界、外資系、IT業界、ミステリ好きの方々からのご感想が聞けなかったのは、残念です。


明日をもってとりあえず毎日の連載は終え、以後は、毎週土・日曜に1項ずつ分載していきます。
1日分をOCR化してアップするのに5時間を要します。5月14日から残り14週分。健康がもつかどうか。


異業種のお友達で、ユダヤ系の人が多い上記の分野で活躍している方がいらしたら、おすすめになってみていただけば、新たな話題がはずむかも。




拙訳『The American Jews 邦題:アメリカのユダヤ人』―――から(9)



祈  り


宗教的組織


 ユダヤ教は宗教以上のものである。


 ここがキリスト教と決定的に異なる点で、救世主(メシア キリスト教ではキリスト
が救世主。ユダヤ気教では待望している)についての理解の違いよりもはるかに重要
な相違点である。
キリストの存在を信じて教会へ行き神を崇めればキリスト教徒である。
これをやめたら元キリスト教徒となる。
しかし元ユダヤ教徒となるのはそんな生やさしいことではすまない。熟慮の
うえでユダヤ教をやめるとはっきり誓い、他の宗教に改宗しなければならな
い。
それでも完全に前の資格を放棄することはできない。
例えばユダヤ教の戒律によると改宗した前ユダヤ教徒の妻は宗教上の離婚を
しなければならない。
戒律上ではユダヤ教徒と離婚することになるからである。
ユダヤ教の戒律を絶対のものと思わない今日の大多数のユダヤ人も、ユダヤ
教が宗教以上のものであるということは認めている。


 シュテットルの伝説でも言われているように、この考え方はユダヤ教の起
源に源を発する。
神は地球上のすべての民族を歴訪して神約を結ぼうとした。
神を唯一の神として崇め、神の掟に従うならモーゼ五書を与えて「祭司の王国、
聖なる民」(出エジプト記』19-6)とするという一神論を提案し
たのである。
だがカナンの地に住む少数遊牧民族イスラエルの民以外は拒否した。
そこでイスラエルの民とその子孫が神の選民となり、時には半信半疑ながらも
この栄誉に感謝してきた。
ひどい虐殺が行なわれた時、ユダヤ人の代表が神の許へ行って自分たちは本当
に選民かと聞いたという古い話がある。
神がそうだと答えると「それではしばらく他の民族を選んでもらうわけには参
りませんか?」と頼んだ。


 この神話はヘブライ語で神約として知られており、性器割礼に付随した宗教
儀式の名前でもある。
神との契約のしるしとしてユダヤ人の赤ん坊は割礼を受ける。
成人男子がユダヤ教に改宗する場合も改宗が確定する前に神への契約のしるし
としてやはり割礼を行なわなければならない。
なにかの理由で割礼を受けていないユダヤ男性――多くはない――がユダヤ
性と結婚するには、前もってこの儀式を行なう必要がある。
神との契約は解消できないものであり、信仰の変化で左右できるものではない
ので、この儀式の肉体的意味は深い。


 この契約観念があるために、程度の差こそあれユダヤ人が抱いているすべて
ユダヤ人との連帯感が生まれる。
スカースデール(ニューヨーク市郊外の高級住宅地)のユダヤ人と
ロッコユダヤ人ほど似ていない創造物もあるまい。
だがスカースデールのユダヤ人はモロッコユダヤ人の繁栄のために義損金を
出す。
この2種族は不承不承ながらもある種の相互依存を感じている。
この相互依存、兄弟意識はふつうの意味あいの国家主義とは違う。
現にユダヤ人は、相互依存、兄弟意識を犠牲にすることなく、立派なアメリ
国民、イギリス国民、フランス国民、モロッコ国民となってきた。


 この感情の説明がむずかしいのは、意識では理解できないところにこの感情
があるためである。
例えばリゾート・ホテル業者はこの現象をよく目にするが理解はできない。
「国中から客がやってきます」とダロッシンジャー・ホテルの広報係が語る。
「いろんな社会的地位の人やいろんな経済水準の人がきます。ところがすぐに
熟知の仲のように話し始めるのはユダヤ人です。まったく不思議です」


 高名なユダヤ人ほどこういった奇妙な事態に直面するが、迷惑な話である。
レオナード・バーンスタインに限らず「ユダヤ人は既得権を持っているかのよ
うに私に接する」といった不平を洩らすユダヤ人有名人が多い。
招待を断わるとユダヤ人の団体は侮辱されたと感じる。
手紙で頼みごとをしてきたり感謝を期待して忠告してきたりするのもユダヤ
である。
「なぜ彼に近づいたらいけないんだ? 知らない人とは思えないんだよ」とい
う気持ちがあるからである。


 ユダヤ人自身もこれを複雑な現象だと思っている。
どこまで宗教がからんでおり、兄弟意識はどこからからんできているのか何百
冊もの本が究明しようとしているが、すべての人を満足させる解答に達したも
のはないようである。
だが、矛盾だらけの結論にも一つの共通点がある。ユダヤ人の性格の正確な描
写やその実体の論理的な説明はできなくても、ユダヤ人というものが実在する
という事実を受け入れていることである。
ある神学者がいみじくも言っている。
「自分をユダヤ人だとみなす人、他のユダヤ人からユダヤ人だとみなされる人、
それがユダヤ人である」と。
ユダヤ教の律法は抽象的な議論なんかに無駄な時間を費やさないでこう規定す
る。「ユダヤ人の母親から生まれた者、ユダヤ教へ改宗する者、それがユダヤ
人である」と。



 大多数のユダヤアメリカ人は自分たちの宗教になんの関心も示さないが、
関心のある者はだいたい3つに分けられる――正統派と改革派と保守派。
4,000年にわたる伝統と現代アメリカでの生活環境を両立させるためには、
それぞれの解決策とか適応策を持っている。


 何千年もの間、信仰の形も一つ、生活様式も一つ――今日正統派式として
知られるもの――だけであった。
もちろん区別するほど異なった哲学がなかったため、初期のユダヤ人はそれ
を正統派(オーソドックス)とは呼んではいなかった。
シュテットルのユダヤ人、アメリカヘの初期移住者、19世紀中期までのユ
ダヤ人の信仰はすべて正統派だった。


 それは神によって定められ、モーゼ五書にゆだねられた600以上にもわ
たる戒律………ミツバに基づいたものである。
ハラカとして知られる戒律の部分は敬虔なユダヤ人のために祈り方から食べ
方、倫理行動から性行為にいたるまですぺてのことを規定している。
ユダヤ人はすべてのミツバに従うことを要求される。
不便だから、現代社会には適さないから、良識に反するからという理由で、
一つのミツバを無視あるいは曲解することも許されない。
道理にかなった戒律であっても困惑を感じている正統派も実際にいること
はいる。
無神論者でも喜々として従えるような戒律に従ってなんになる? 
現代アメリカ正統派教徒の中で最も尊敬されているタルムドの権威ジョセ
フ・ソロペイチック・ラビは「道理は食物に対する単なる調味料でしかな
い。食物は調味料が加味されていなくても栄養はあるのだから食べなけれ
ばならない」と言っている。


 改革派(リフォーム)はこんなやり方を完全に拒否する。
この派はナポレオンが西欧のユダヤ人に解放をもたらした19世紀に始ま
った。
ゲットーを出て外の世界で生きようとする人々にとってハラカの盲目的遵
守はもはや不可能であった。
ハイネのようなユダヤ人はキリスト教に改宗することで問題を解決したが、
ほとんどはもっと法律主義的な方法をとった。
モーゼの戒律は不変でもなければ永久的なものでもなく、状況が変われば
変えることができる――あるいは不適切な場合は除去することができる、
そして戒律が適正かどうかは個人の判断と感情に任されるというのである。


 また改革派は、兄弟愛をも軽視し、時には放棄した。
改革派の真の目的−異教徒社会への完全同化を哲学的に正当化し、ユダヤ
教からユダヤ人らしさをなくする――と反対派の攻撃目標になったのもこ
の点である。
しかし改革派擁護者は「自分で決めよ」式のやり方には危険が伴うことを
認めながらもそこが改革派の強味だと信じ、形式的な権威によらないから
こそ改革派の参加はより深いと主張した。
これは自ら中庸をとってこそはじめて実現できるわけだが、その見極めは
むずかしい。
改革派でそれをかち得た者もごく少ないかわりに、かち得た者はより強く
なると言われるのもうなずける。


 改革派は最初からブルジョアジーの運動で東欧系の大衆や下層階級には
人気がなかった。
信徒の大半はヨーロッパ諸国……なかでもドイツのブルジョアだった。
1870年代のドイツ系ユダヤ人のアメリカ移住に伴って改革派も持ち込
まれた。
ほどなく圧倒的人数で初期正統派の影を薄くしてしまったが、しばらくは
改革派もその優勢に気づかず、ドイツからアメリカヘ移されたままの未組
織の礼拝所(シナゴーグ)として存在していた。
アメリカのユダヤ教の悪人的な大英雄で偽善的聖人アイザック・M・ワイズ
の指揮のもとに1870年代に組織化が始められた。
その後の10年間に改革派ラビ養成のための神学校……ユダヤ教連合大学
をシンシナチに開校し、分散していた改革派の会堂(シナゴーグ)間に協力の
基盤をもたらすべく、アメリカ・ユダヤ人会衆連合をつくった。
ラピ組織であるラビ中央会議は1889年に結成された。
これは改革派の権力機構の究極的なもので、みんながついていけないほど
超改革的になっていたワイズに対する反動で生まれたともいえる。


 1889年までに東欧からこの国へ多くの人間が流れこんでおり、改革
派はまもなく恐れとチャンスに当面することになった。
東欧系ユダヤ人の本音は正統派だった。
改革派は突然小数派になってしまった。
これが恐れである。
だが東欧系の大部分は、アメリカでの出世意欲に燃えた若者だった。
正統派に執着すれば困難に直面することがわかっていた。
先に移住していたユダヤ人たちのアメリカ生活に融けこむための手段が改
革派であることもはっきりしていた。
これがチャンスである。
東欧系ユダヤ人の多く……特に財を築き「山の手」へ移ることができた連
中はまもなく改革派へ転向していった。
 しかし正統派も消えはしなかった。
主義や習慣から正統派にすがりつく老人もいた。
金銭的に成功できなかった若者も改革派に恨みを持った。
1920年になってもまだなんらかの派に属していたユダヤ人の80%が
正統派だった――うち何人が転向寸前だったかは知るよしもないが。


 当然、正統派も組織や施設の開発にかかった。
最も重視したいのは、当時アメリカの正統派ラピの最大の養成所……ラビ・
アイザック・エルシャナン神学校と今日最大の正統派教育施設のイエシバ
大学である。
ラビ組織も数多く誕生し、正統派の古い原則を残しつつアメリカに合わせ
た組織、正統派ユダヤ人会衆連合とヤング・イスラエルも誕生した。
当時の正統派の執拗さには地理的な要素もあった。


 正統派は大都会でしか生き残れない。
ニューヨーク、シカゴ、ボルチモアなどの大都会では正統派は改革派の侵
略にも持ちこたえることができた。


 改革派の侵略は、敬虔な正統派教徒を憤らせたばかりか、自派の幹部た
ちの眉をもひそめさせた。
正統派は活動力を強めていったが、その社会的不利益を埋め合わすまでに
はいかなかった。
下賤なロシア人は商売上で改革派と競合し、彼らのクラブにも入会を申し
込んだだけでなく、彼らと神との関係すら冒涜しようとさえした!


 この災難を避けるには、東欧系ユダヤ人に財政面のしっかりした正統派
をつくってやることだと考えるドイツ系ユダヤ人指導者が現われた。
1903年にはその目的でドイツ系ユダヤ人の金が、生粋の正統派ユダヤ
人によって1886年に設立されていたユダヤ神学校の強化に使われた。


 ユダヤ神学校は東欧系ユダヤ人を正統派に引き戻すかわりに、アメリ
の新しいユダヤ教……保守派(コンサーヴァティヴ)活動すなわち他の2派
よりも成長が早く、アメリカのユダヤ人世界で主導権をめぐって改革派に
挑戦することになった活動……の中心となっていった。


 今日では保守派ユダヤ教が生まれても不思議はない。
昔からの風習を捨て去ったという引けめなしで現代生活の恩恵を楽しむた
めには、東欧系ユダヤ人は正統派や改革派が提唱するもの以上に柔軟で実
際的なものを必要とした。
保守派ユダヤ教の出現が神学論争にもタルムド解釈にも完璧な妥協案を提
供した。
彼らは正統派がやったように、モーゼの戒律は神から直接示されたものだ
から廃れはしないが、なかには変わりゆく環境にあわせて変えてよいもの
――修正条項を含んだアメリ憲法のように――もあると宣言したのであ
る。
戒律を修正する時にはミツバの一行を削除する時にも――「われわれは戒
律に優先する」ではなく「われわれは戒律のままに動く」といって自己を
正当化する。


 モルデカイ・キャプランがこの考えに磨きをかけて一つの真正分派をつ
くりあげた。
キャプラソは保守派の着想をすぺてとり入れて――モーゼ五書を現代語に
書き変え、ユダヤ教を戒律群ではなく「フィーリング」と考える――再建
主義と呼ばれる理論をまとめあげた。
再建主一義者は戒律が神によって表わされたものという信念を拒否した。
神はイスラエルの民に実際話しかけたことなどなく、イスラエルの民は太
古人であり、彼らの世界を説明し、その宗教的体験を正当化するためにあ
あいった話をつくりあげる必要があった。
その子孫であるわれわれは、祖先がした通りのことをすることを許されて
いる――すなわち、われわれが住んでいる世界をわれわれ自身の言葉で説
明することである。
イスラエルの民がわれわれに伝えたのは、聖書の句、祭日、英雄伝説、礼
拝――キャプランはこれらをサンクタと呼んだ――など、それぞれの時代
によって異なる意味を持ったものである、古代イスラエル人から受け継い
だ遺産はハラカではなくてサンクタである、とした。
 この学説は、モーゼ五書すなわち神をユダヤ教の中心からとりはずして、
人間をそこに置いたものである。
そして「人間であること」という現在いたるところで使われる言葉を普及
させた。
キャプランは1922年に発足したユダヤ教促進会その考えを開陳した。
ニュ―ヨークのウェスト・サイドにあるその会堂(シナゴーグ)だがいまも
再建派の中心で、80歳に達したキャプランも毎日曜日の安息日礼拝に
出席している。
今日でも再建派会堂連合には、アメリカだけで10会堂が属し、うち3
会堂はアメリカ保守派会堂連盟にも属している。
 最近開かれたジル(大きな大学にあるユダヤ人学生のための図書館、食堂その他
の施設)指導者会議では、再建派に関する討論会が最高の聴衆を動員し、
学生を興奮にまきこんだ。
だが保守派一般会員にはいまだに人気を博したことはない。
あまりに知的で理詰めで、モーゼ五書を拒否したとはいえあまりにタル
ムド的すぎ、あまりにもラピの創作のような響きがしすぎるのである。
保守派は専門家より平信徒を喜ばすようにできている。
競争宗派よりも純理論を少なくして本能とフィーリングのほうに頼って
いる。

明日に、つづく