創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(724)『アメリカのユダヤ人』を読む(10)

GW中ということで、10日間、既訳『アメリカのユダヤ人』を分連載しました。
日本人はユダヤ教徒のことを普段は考えないというより、接している欧米人の宗教など気にもとめないからです。


それほど日本人には汎神論者の人が多いのですが、広告---とくに米英のコピーライターにはユダヤ系の人が多いのです。
コピーライターとユダヤ教を論じはじめれば、一昼夜かかっても論じつくせないほど、考え方の根源、ユダヤ文体などなどがあります。


14節(項)残っている分は、以後、毎週の土、日に連載します。理由は、土、日曜日にはアクセス数が4割方減るので、読みたい人だけがお読みになればよいと割り切っているからです。



拙訳『The American Jews 邦題:アメリカのユダヤ人』―――から(10)



祈  り


宗教的組織 きのうのつづき



 過去60年間の目をみはるような保守派の成功は、いくっかの外的要因
に助けられたものである。
それは、改革派指導者の一部の紳士気取りが参加したかもしれない東欧系
ユダヤ人の多くを去らせたこと、正統派ラビの頑固さとものすごさがヤン
グ・イスラエルが初期に決定的な足場を築くのを妨げたこと、ユダヤ神学
校がニューヨークに、ユダヤ教連合大学がシンシナチにあったという偶然
が幸いして保守派がアメリカのユダヤ人の中心地に権力基地を持てたこと、
この戦術上の不利を埋めるものを改革派が発見できなかったことだが、最
も重要な要因は保守派の天才的組織者ソロモン・シェクター・ラビであろう。
1900年代初期に改革派ドイツ人からユダヤ神学校を奪ったのも、19
00年にはすでに結成されていた保守派ラピ組織……ラビ集会(アッセンブリー)
に生命を吹きこんだのも彼だった。
1913年には保守派の権威ある会堂本部である会堂連盟の組織化にも力
を貸した。


 旧世界からの移民が中止になった1920年代初期までには、新世界(
メリカ)のユダヤ教ははっきり3派に分かれた。
各派にはそれぞれ独自の哲学があり組織機構があり指導者がいた。
そしてユダヤアメリカ人の魂のための戦いの用意を万端整えていた。


 戦いは続行中だが、統計的には引き分け状態にあるようである。
理論上は(ユダヤ人の統計は前にも見たようにすべてかなり非現実的なもの
である)100万人以上が直接か家族を通じてどれかの宗派に加入している。
つまりユダヤアメリカ人の60%がどれかの会堂(シナゴーグ)に属して
いるわけである。


 統計的な矛盾はさておいて、一つだけ確かなことがある。
3派への加入が増えていることである。
現在は1950年の4倍の800もの保守派会堂(シナゴーグ)があり、改革
派の聖堂(テンプル 改革派は会堂をシナゴーグではなく、テンプルと呼ぶので聖堂の字
をあてた)は2倍の600、そして正統派の場合は、社会学者チャールズ
・リーブマンによるアメリカのユダヤ人年鑑の正統派に関する膨大な調査では
1,600もの会堂がある。
2,30年前に専門家がロをそろえて正統派は死に絶えようとしていると言っ
たことから考えると、まさに驚異的な数字である。
賞賛の言葉は何度もロにされたが。
今日でも生きているだけでなく、アインシュタイン医科学校や1964年には
750万ドルの寄付を集めたイエシバ大学の活動の大黒柱ともなっている。


 アメリカのユダヤ教の3派運動は異なった地域、社会でそれぞれ幅をきかせ
ている。
正統派は今世紀初めに多くの東欧系ユダヤ人をひきつけた大都市で栄えている。
したがって中心地はニューヨークである。
正統派会堂の約900はニューヨーク州内にある。
イエシバが集めた金のほとんどはニューヨークの金である。
正統派のもう一つの重要中心地はボルチモアで、ここにはイエシバ神学校と好
敵手のラピ職授任式を行なう最大の神学校の一つがある。
東欧系ユダヤ人があまり行かなかったサンフランシスコには正統派信徒はいな
い。


 社会的にも経済的にも、正統派は戦後大きく改善された。
今日の正統派信徒のほとんどはアメリカ生まれで大学教育を受けている。
マナーも外見も非常にアメリカ化された若い実業家、弁護士、計理士といった
人が多い。
億万長者もいる――クリーブランドにはラトナー家、ストーン家という正統派
億万長者がおり、想像を絶する資金をクリーブランドユダヤ人が宗教教育に
振り向けているのも2家あってのことかもしれない。
正統派の知識層もいる。会員500人の正統派ユダヤ人科学者協会は10回目
の年次総会を開いたばかりだが、ボストンヘ通ずる国道28号線にはヤング・
イスラエルの会堂が並び、アカデミックな人がいつもあふれている。
ニューヨーク五番街会堂のジヤコボビッツ・ラビが英国の主任ラピになるので
辞めた時、現代アメリカ正統派の声を代表するようなあいさつをした。
「正統派を上品で当世風なものにし、昔ながらのむさくるしいユダヤ人として
ローアー・イーストサイドに閉じこもるなと教えるのがここでの私の挑戦でし
た」(注1)。


 正統派はこの高遠な目的をまだ達成してはいない。
社会的、経済的どぶねずみレースで依然第3位を走っている若い正統派信徒は、
平均的には大学卒かもしれないが、それも東部大学ではなく市立大学が関の山
なのである。
そしてニューヨーク五番街のはずれという華やかでない場所にある種々の正統
派組織の事務所は、改革派や保守派の事務所のすばらしさと比べるとみすぼら
しくてあぱら屋といいたいほどである。
以前よりも金まわりはよくなったものの、格をあげるにはまだまだ不十分であ
る。


 改革派も大都市で幅をきかし、郊外では多少弱くなるが、なんといっても中
西部、西部、南部の中規模共同体でよく伸びている。
それは一つに改革派がこれらの共同体ヘー番乗りをし、最古家族の間に固い基
盤を築いたからでもある。
人口が安定したままだと、たまたま一番乗りした会堂以外は支援できないのが
当然である。
改革派が深い哲学的基盤を持つ南部では特にそうである。ニューオーリンズ
度の都市でも、改革派の君臨が危機にさらされたことはいまだかつてない。
正統派は昼間学校を続けるだけの寄付を集めることもできなかったし、保守派
はいまもって基盤確立に大童である。


 かつて改革派はすべての金と社会的権威をわがものとしていた。
いまでもかなりそうしている。
古いドイツ系家系は改革派で、ニューヨークのエマニュエル聖堂の主任ラピは
会衆の裕福さが話題に出ると非常に気むずかしくなる。
当然、そんな話にもあきあきしよう。
ロサンゼルスでは保守派への加入が伸び、改革派への加入は減っているが、有
名な改革派聖堂はいまもって社会的地位が高い。
例の制限のきびしいカントリークラブほどには加入はむずかしくないが「聖堂
テンプル)の最高峰」として有名である。
ニューオーリンズのシナイ聖堂も同じようにきびしい社会的基準を維持してお
り、加入がかなわず絶望のあまりユニテリアン教徒となってしまった婦人がい
るほどである。


 しかし東欧系ユダヤ人は、ほかのものすべてを支配したのと同様に改革派を
も支配した。
彼らの最初の手段は改革派のラビになることだった。
そしていまはおそらく会衆の会長になることだろう。
新しい東欧系血統と古いドイツ系血統の角逐は爆発寸前で、時々小爆発を起こ
してもいる。
ほとんどが政治と関連している。
今日の改革派は全般にかなり自由主義的である。
ミシシッピー州では改革派ラピが行進した……社会活動委員会をつくった最初
ユダヤ教宗派だった……ユダヤ人会衆連合もラビ中央会議も強烈なベトナム
戦争反対声明を発表した。
ドイツ系支配下の昔の改革派は右に寄りがちだった。
一徹で資産のあるドイツ系市民は個人企業の神聖さを疑ったことがなかった。
だから今日のユダヤ人の反動主義者の多く――ルイス・シュトラウス、レッシン
グ・ローゼンワルドなど――は改革派集会で活躍している。


 しかし改革派の社会的、経済的優位も保守派信徒との戦い以来おびやかされ
ている。
保守派の権力基地は新しい会堂が続々と現われた郊外である。
新郊外に一番乗りするのはたいてい保守派の会堂である。
ある地区のユダヤ人口が増えると保守派が勢力を獲得している場合が多い。
もちろんこういった新郊外居住者こそ財をなした人人なのである。


 保守派の成功をはっきり示す統計がある。
ここ数年でユダヤ神学校は3,500万ドルの基金を集めた――会堂建築のた
めの献金ではなく、宗派団体をふやし設備を改良するためのものである。
1968年に初めて寄付募集大運動をやりすでに800万ドル集めている。
この前の1964年には450万ドル集めた。
改革派全施設のために同年行なわれた同派の合同キャンペーンはたった240
万ドルしか集められなかった。


 募金額以上に力の差をはっきり示すのは、保守派の信じ難いほどの頻繁な活
動である。
最高の雑誌を出版し、最高のラジオ・テレビ番組を持ち、最高にすてきな講演
会を主催し、最高級の晩餐会を開いている。
そして昔から内部抗争にじやまされることなく登場したために、個個の会堂と
ラビをしっかり監督することができる。
保守派のランクをめぐる紛争は少ない。
そのためエンパイア神学校は他の2派にはみられない自信と成功ムードに満ち
ている。
正統派信徒は上向きの闘争を行なっているという意識でうきうきし張りつめて
おり、改革派信徒は真剣だが少々疲れている。
だが保守派信徒は運命を完全に支配している――あるいはそう信じこんでいる
ようにみえる。


しかしこういった派手な組織紛糾にまぎれて背後にかくれた目的を見失いがち
である。
これらの組織が動かしているのは神を礼拝するために努力している多くの人な
のである。
ここでわれわれは各ユダヤ教宗派が規定する独特の礼拝形式を調べ、その会員
が各宗派の規定をどのように――非常に異なっている――実践しているかを調
べなければならない。


注1  The New York Times, August 22, 1966.
2  ユダヤ人委員会ロサンゼルス支部の調査。
3  "Jewish Communal Services :Programs and Finance," The Council of Jewish Federations and Welfare Funds, June, 1966.




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