創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(790)『アメリカのユダヤ人』を読む(30)

 

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生  活


平信徒の宗教 (2)



 ユダヤアメリカ人のリベラリズムは、この国の歴史全体を眺めわたしても
際立っている。
アメリカで発生した保守派運動がユダヤ人から大々的支援を受けたことは一度
もない。
不知主義党はユダヤ人に阻止された。
奴隷制度も反対されたし、奴隷制反対論者の多くがユダヤ人であった。
よってリンカーンユダヤ人の間でアメリカの最初の英雄とされている。
ウィルソンがアメリカを国際連盟に参加させようとした時も、国民の大多数は
反対したが、ユダヤ人は支援した。
ユダヤ人は最初から労働組合主義に好意的であった。
ユダヤ人ピジネスマンですらが異教徒ビジネスマンよりも組合に寛容な態度で
接したことは、ほとんどの組合指導者の認めるところである。

             
 アメリカには問題に応じてリベラルになったり保守的になったりするグルー
プが多い。
しかしユダヤ人のリベラリズムはどんな問題にでも割ってはいってくる。経済
的問題であれ、社会的問題であれ、地域的なものであれ、国際的なものであれ、
大多数のユダヤ人はリベラルな立場をとると思っていい。
ユニオン神学校のベネット博士はプロテスタントカソリックの反動主義につ
いての講演で「ユダヤ人反動主義者には一度も会ったことがない」と述べた。(注3)


 もちろんユダヤ人にも反動主義者はいる。
ユダヤ教協議会に属している者もあれば、ウィリアム・バークレーのナショナル
・レピュー誌に定期的に寄稿している人もいる。
マックス・ゲルトマンは最近ユダヤ人のリベラリズムユダヤ教存続の敵だとい
う見解を明らかにした。(注4)
・ジョージ・ソコルスキー、デピッドー・ロレンス、ユージン・ライオンズなどの
知識人はアメリカの保守主義者間で名をあげている。
にもかかわらずほとんどのユダヤ人は彼らに「ユダヤ人的でない」――馬鹿げて
いるとすらいってもいい感情を持っている。
数年前に2人のユダヤ人が「アメリカ主義者ユダヤ人協会」として知られる「ジ
ョン・バーチ協会」の支部をつくると発表した時、ユダヤ人共同体からものすごい
反対の声が上がった。
ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙のコラムニスト、ディック・シャープが
みんなを代弁して新しいグループ………ブネイ・バーチをたたいた。(注5)
以来、このグループの話は聞かない。


 アメリカのユダヤ人がリベラリズムに寄せる愛着は民主党へのそれよりも強い。
ある友人はリンゼーに投票を頼まれた時「民主党以外に投票したことはない」と断
わったが、結局、多くのユダヤ人と同様、リンゼーに入れた。
リンゼーのほうがよりリベラルな候補者だと悟ったからである。
共和党でもユダヤ人票を得ることはできるが――ジャピッツ・リンゼーが立証して
いる――まずは異例である。
共和党員である汚名をそそぐには、リベラルな人間以上にリベラルでなければなら
ない。


 ユダヤ人のリベラリズムには2つの動機がある。
第一は非利己的な理想主義で、それはユダヤ人が社会福祉を信じていることに現わ
れている。
ユダヤ人は圧倒的に社会保障、公衆衛生援助、貧困救済計画を好み、ユダヤ人医師
に異教徒の医師以上に米国医師会の医療保障(高齢者健保)反対に反対しているし、
平和部隊の半数がユダヤ人である。
だがユダヤ人は概して富裕なため他のグループよりも社会福祉の恩恵にあずかる数
は少ない。
彼らの姿勢は本当に愛他的で、ゼダカの伝統――貧しい者や弱い者は祈りや敬虔な
感情だけでなく物質的にも現世で救われなければならない――に由来する。
ユダヤ人のリベラリズムの底には非禁欲主義が流れている。
「われわれは執念深い非宗教的なメシアニストだ。常にこの地上に楽園をつくり出
そうとしている」とミルトン・ヒメルファーブは言う。


 しかしユダヤ人のリベラリズムの第二の動機は第一の動機とは正反対のものであ
る。
愛他的である時でさえ「はたしてユダヤ人のためになるか?」と自問せざるを得な
い。
リベラリズムユダヤ人のためになることは経験が教えた。
過去100年間の政権はビスマルクからヒトラーまですべて反ユダヤ主義政権だっ
た。
しかし1930年代のアメリカでは共和党孤立主義をとっており、ナチのユダヤ
人迫害に無関心だったが、ルーズベルト民主党はファッシズムにわずかながら反
対の立場をとっていた。
今日でもリベラル派はいろんな問題でユダヤ人側につく傾向があり、西独でのナチ
ズムの復活を心配し、ソ連反ユダヤ主義に抗議するユダヤ人諸機関に参加してい
る。


 ユダヤ人のもう一つのリベラルな関心事……「市民の自由を守ること」にもこの
反ユダヤ主義を恐れる気持ちが流れている。
ジョセフ・マッカーシー上院議員の活動には全ユダヤ人が反対した。
1954年のギャラップ調査では、ユダヤアメリカ人の65%がマッカーシー
痛烈に非難したことがわかった。
プロテスタントは31%が、民主党支持者は38%、大卒者は45%であった。
ユダヤ人で共産主義に共感を持つ者はほとんどいないが、マッカーシーを恐れたの
は、彼が正規の手続きを軽視し、法的根拠もなく市民を非難し、上院を人身攻撃の
場に使ったからである。
マッカーシー反ユダヤ主義者ではなかったが、彼のやり方が反ユダヤ主義につな
がるかも知れないことをユダヤアメリカ人は恐れたのである。
市民の自由を奪うことがユダヤ人迫害の道につながることを彼らは知っている。


 ユダヤ人がいかなる検閲も抑圧も(それが彼らに直接関わりのないことでも)嫌
うのはそのためである。
言論の自由に圧力をかける社会はユダヤ教を捨てるように強要することになるかも
知れない。
数少ない例外を除いて、わいせつ文学の検閲や堕胎を禁止する法律にユダヤ人が反
対するのも、そのためである。
ユダヤ人が特にわいせつな本を読むわけでも婚外妊娠が多いわけでもないが、法が
私生活に立ち入り始めるとユダヤ人はすごく神経質になる。


 ユダヤ人の市民的自由の偏愛は、時として反ユダヤ主義を恐れる気持ちとぶつか
りあうことがある。
そういう時には面白いほど愛憎が混ざった振舞いをする。
故ジョージ・リンカーン・ロックウェルのアメリカ・ナチ党は反ユダヤ主義を土台とし、
演説もあくどいほど反ユダヤ主義的であったから、ユダヤ人がこの狂言者のロを封じ
ようとしたのも当然であろう。
だが多くの新聞がロックウェルの活動を報道することを拒否した時に、ロックウェル
の根拠地アーリントンの『北部バージニア新聞』のユダヤ人発行者兼編集長はこう書
いた。
ユダヤ教の信者としては、ロックウェルの信念と活動は非常に不快であるが、それ
を最も汚なく報道してやるという方法を思いついた」(注6)
そしてロックウェルとその党が破産の瀬戸際にあった数年間、ロックウェルは大学か
ら講演を依頼され、その講演料で党の維持費をまかなうことができた。
講演依頼のほとんどはユダヤ人学生によるもので、学生たちは彼が登壇中容赦なく野
次り倒した。


 ユダヤアメリカ人のリベラリズムにはもう一つ神聖な信条がある。
それは政教分離である。
これも反ユダヤ主義への恐れが基になっている。
大多数が属している宗教団体を奨励する政府は、少数派の宗教団体を抑圧する結果に
なる。
そしてユダヤ人諸機関は、強制的な祈りや公立学校でのクリスマス祝典や、教区付属
校への政府援助のような分離を妨害する政策に50年間も反対してきた。
反対は実際的というよりむしろ理論的なもので終わってしまうことも多い。
例えば多くの公立学校がプロテスタント教区付属校である南部では、ユダヤ人は大騒
ぎをして彼らを窮地におとしいれるような政策に反対することはない――だが分離に
対する信念が弱いわけではない。


 この信念はユダヤ教の宗教的伝統に由来するものではない。
古代イスラエルの民はやっと約束の地へ導かれるや、その地を神権国家にしてしまっ
た。
シュテットルも制限はあったが、そのワク内で一つの神権国家であった。
そして今日のイスラエルでは分離は行なわれていない。
ある正統派の学者が言った。
「敬虔なユダヤ人としての私は、他のユダヤ人を敬虔にする義務があります。そして
イスラエルは私を手伝ってくれるべきだと信じていますこの信念はユダヤ教の宗教的
伝統に由来するものではない。
古代イスラエルの民はやっと約束の地へ導かれるや、その地を神権国家にしてしまった。
シュテットルも制限はあったが、そのワク内で一つの神権国家であった。
そして今日のイスラエルでは分離は行なわれていない。
ある正統派の学者が言った。「敬虔なユダヤ人としての私は、他のユダヤ人を敬虔にす
る義務があります。そしてイスラエルは私を手伝ってくれるべきだと信じています――
だからイスラエルの民は私的なことは自分の好き勝手にできるが、政府は安息日と清浄
食品戒律を遵守するよう国民に呼びかけています」
 

 正統派ユダヤ人の多くはこの意見に賛成している。
だから分離主唱者は非宗教的な組織体で、特に好戦的なユダヤ人会議に著しい。
そして宗教体制の中では改革派ラビが正統派ラピ以上に強く分離を要請している。
ユダヤ教の真髄から遠ざかるほど、分離を信ずるようになるのである。
――リベラルな理念がタルムドやモーゼ五書よりも、異教徒の世界を扱うための戦略に
基づいていることが、これでよくわかる。


 それをはっきりと物語るものがもう一つある。
それは分離主義者の最前線がこの数年来ガタつき始めたことである。
例えばユダヤ人委員会はいまだに分離に好意的ではあるが、同委員会の学者の鑑でもあ
るミルトン・ヒメルファープはコメンタリー誌で公的立場の軽減を提唱した。 (注7)
1967年年次大会で同会の全国指導者は同組織の立場の再考をすすめた。
多くの地区グループはこのすすめに反対し、4時間にも及ぶ激論のすえに妥協案をまと
めた。
ラビ集会は最近、教区付属校への連邦政府の援助に好意的な決議案を無効にはしたもの
の、通学輸送機関、給食、医療機関への援助は認めた。
時には指導者、時にはバロメーターのように見えるジャビッツ上院議員は、教区付属校
への援助を認可する政党綱領が含まれる新しいニューヨーク州法を支持した。


 ユダヤ人会議のような頑迷な分離主義者は、こうした変化が起こっていることを認め
たがらない。
認めたとしても、イエシバと関係が深い正統派政府の教区付属校への援助から得るもの
がある正統派の勢力が強くなっているからだと責める。
しかし厳しい分離に不安を感じているのはかつて分離を支持していた非宗教的な人間な
のである。
彼らの姿勢が変わったのは、アーサー・パーツパーグの抜け目のない指摘によれば、各
宗教間の相互対話が重要視され始めたからだという。(注8)
10年前にはユダヤ人はプロテスタントと組んで教区付属校援助反対を唱えていた――
プロテスタントは反カソリックであったし、ユダヤ人は「子供だちからクリスマスを奪う」
ためだった。
だが今日ではプロテスタントもさほど反カソリックでなくなり、ユダヤ人――特にユダ
ヤ人委員会のような非宗教的集団――もカソリック教徒と話し合う努力を重ねている。
カーディナル・ビーを喜ばせタネンバウム・ラピをバチカンに送りこみながら、学校の祈
りの文句に異論を唱えることがどうしてできよう? 
一世代昔には厳密な分離こそ反ユダヤ主義を防ぐ最良策に見えた。
今日では対話のほうがより賢明な防衛手段に見える。
そして厳密な分離を行なってしまうと対話が損われる。


 このようにすべてのユダヤ人のリベラリズムは体裁のいい利己主義以外の何ものでもな
く、自己防衛が唯一の目的で、反ユダヤ主義への恐怖が唯一の動機であるように見える。
だがこのリベラリズムをもう一度ひっくりかえして別の例から見てみると、別の様相を呈
してくる。
 

この項、明日(休),23(土),24(日)までつづく。