右に掲載の文庫・新書は、ハリー･ケメルマンによるラビの曜日ごと探偵シリーズ。
ラビはオーソドックス（保守派）に属している。ご参考までに。 （いずれも早川書房）
■祈 り
われらの父、ラビ
アメリカのユダヤ教の輝かしい幻想曲（ファンタジア）を指揮するのは――３宗派
分離を正当化している底流での葛藤と誇りと後めたい良心を持った――
ラビである。
ラビは桁はずれな人間であり、反対感情が両立する人間でもある。
ラビという言葉
は教師そして学者という意味を持っている。
伝統的には、共同体の誰よりもユダヤ教律法を熟知しており、タルムド研修の
最高級の知識を分け与えるのがラビである。
しかしカソリックの司祭やプロテスタントの牧師と違って聖礼典の機能を果た
すことはない。
いかなる意味でも、神と会衆の仲介をすることはない。
ラビのみに許される祈りや祈祷は皆無である。１３歳以上のユダヤ人男子
１０人がミニヤンをつくれば、ラビがいるいないにもかかわらず正当な礼拝を
行なうことができる。
小さな町の会堂には決まったラビがいないことが多い。
雇う金も適当なラビを見つけることもできないからである。
ラビの地位ははっきりしているように見えるが、実は会堂へ通う人のほとん
どが真に理解してはいない。
各人各様のラビ観とその扱い方を持っている。
この混乱がアメリカのユダヤ人の宗教的生活に奇妙で重要な影を落としている。
今日アメリカにいるラビの数ははっきりしていない。
約９５０人の改革派ラビが中央会議（セントラル･コンファレンス）に属している。
保守派のラビもほぼ同人数ラビ集会（アッセンブリー）に属している。
正統派の場合８３０人のラビがラビ協議会（カウンシル）に属しているが、他にも半
ダースほどの正統派ラビ組織があって異なった見解を持っている。
これらの数字に信憑性があるとしたら、ユダヤ系医者や弁護士よりラビのほう
が多いことになる。
ラビは会衆や会堂のために働いているが、神学校やイエシバで教えている者も
多い。
大学でユダヤ教研究室を持ったり、ヒレル施設の管理をしている者もいる。
ユダヤ人会議やユダヤ人委員会や反対リーグ、ブネイ･ブリスで働いている者も
ある。
今日の最大の雇用者にはラビ組織自体や各宗派の会堂連合組織がある。
それにラビとして仕えることはなくても、ラビになるための勉強をするだけで
正統派信徒の世界では一種の威信を得ることができる。
だから正統派の神学校を卒業したり、ラビに任命されたりする者の約４０％は、
他の仕事につく。
ニューヨークのレブンスタイン清浄食品調達会社は、同社の「礼拝所」での結婚
式執行担当ラビを雇っている。
このラビは平日にはウォール街で株式仲買いをやる。
また、ラビは会堂界の末端のあらゆる奇妙な役割も果たす――ユダヤ教３宗派そ
れぞれ２２人ずつ計６６人が軍隊の従軍牧師（３,４人は現在ベトナムに出征して
いる）になっており、病院や精神病者の施設に配属されている者もいる。
一世代昔のラビ業は、今日とは異なったタイプの人間をひきつけていた。
１９２０〜３０年代には、ラビの約半数はアメリカ生まれでほとんどがドイツ系
の改革派ラビだった。
当時の若いラビは東欧系移民の息子たちだった。
出世のチャンスをかけていたのである。
両親は貧しかった。
新しいキャリアを開くことで短期間に父親たち以上に金をかせぐことも期待できた。
しかし今日の若いラビの両親はアメリカ生まれである。
金銭面ではラビ業はとりたててうまい仕事とは言えない。
父親がもっといい仕事についてほしいと思うのも無理はない。
年収の点ではラビ志望学生の家庭はユダヤ人平均よりも幾分下まわる家庭が多いと
統計には出ているが、大きく下まわってはいない。
長い単語を３つも使えぱわかりやすくなる時には、むずかしい短い単語一つです
ますようなことをしない熱心ぶった「気高い人」、雄弁家、実入りの多いプロのラ
ビは姿を消しつつある。
今日のラビは、彼らの会衆である弁護士、保険外務員、高校教師、衣料品メーカー
とほとんどの区別がつかない。
ある若い正統派ラビは、多くの若者が正統派を受け入れてくれると喜んでいた。
「なまりがあって、長いひげをたくわえている異国人という古い悪いイメージと戦
わなければなりません」。
マントルピースの上に長いひげにヤームルカをかぶった老人の写真がかかっていた
――祖父だろう。
この若者はきれいにひげをそっていたが、最近とみにひげをたくわえた若いラビ
が多くなってきている（ヒレルのラビに特にこれが言える。
大学の若者との接触が多いためだろうか）。
ひげをたくわえることによって、彼は現代性を自らが代表していると考える古代か
らの慣習の機知に富んではいるが大真面目に表現しているように見える。
ラビの息子の大部分はラビになる。
これはパパの生き方に心から賛同しているかのようである。
しかし、ラビの息子が父親と職業上関わりあうことはめったにない。
父親の会衆のアシスタント･ラビになることもないといったほうがいいくらいであ
る。
ストレスや緊張が強すぎるためである。
ほとんどのラビはある著名なラビが私に語った言葉に同意する。
「息子が神学校を卒業した時手を握って言いました。『愛しているよ、でも私の
アシスタントにはならないでおくれ』」
ラビの父親は当然ラビになった息子のことを誇りにする。
しかし息子にラビになるようにすすめる例はほとんどみられない。
それどころか他の分野へ進むように説得するのが通例である。
大学の息子から「父さん、ぼく神学校に行くことに決めたよ」という電話をもら
ったあるビは、電話越しにこう呼んだという。
「やめてくれ！ 馬鹿なことをするんじやない！」
そして３０年前にやはりラビであった彼の父親が同じことを言ったのを思い出し
て黙ってしまった。
女性のラビは全然いない。
資格を得ようという目的でなく神学校で学んだ女性は数人いるが。
中央会議は数年前に女性が改革派のラビになることを許す案を通過させたが、今
までのところ候補者は現われていない。
中流家庭（ユダヤ教を信じていない家庭の場合も多い）の若者がなぜラビにな
ろうとするのだろうか？
一つだけ確かなことがある――聖職者がよく感じるような神の「お告げ」的な感
情はないということである。
ラビはユダヤ教に特別の霊的機能を持っていないので、異常なほど「霊的な」人
物だということはない。
厳密に言えば、信仰を失ってもラビとしての職務は果たせるということになる。
私が話したことのあるヒレルのラビは上級クラスの少年にラビになるように説得
しようとしていた――少年がユダヤ教の正当性を疑っているのだから奇妙な話で
ある。
しかしヒレルのラビにとってはそんなことはまるで無関係だった。
「あの子は頭もきれるし、人間性もいいし、それにガッツがあるし……きっと偉
大なラビになるでしょう。神学校へ入れば神を信じることも教えてくれるでしょ
うから」と彼は言った。
だが今日の若いラビは、単なる物質的理由で世をすねてラビになったのでは
ない。
そんなことをするのは馬鹿者である。
ユダヤ教を学ぶことに興味を覚えたためにユダヤ人共同体に一種の責任を感じて
ラビになるだろう。
要するに理想家なのである。
ラビはまず最初に、観念に対する献身度を厳しくテストされる。
大学院よりもずっと勉強がたいへんな神学校で５年間を過ごさなけれぱならない
からである。
保守派の場合、ニューヨークのユダヤ神学校へ行く。
改革派はシンシナチのユダヤ教連合大学かニューヨークかカリフォルニアの分校
へ行く。
正統派はイエシバ大学か昔風の右翼系の神学校へ行く。
ユダヤ神学校やユダヤ教連合大学は毎年３０人ほどのラビを送り出している。
正統派神学校の卒業生はもっと多いがラビになる人の数は少ない。
保守派と改革派の神学校に入るにはＢＡをとっていなければならない。
正統派神学校の場合はそうでもない。
ＢＡの代わりに上級イエシバ教育を受けたものを入れる。
勉強は激烈である。
学生はふつう週２４時問授業を受け、惜しみなく宿題が出される。
夏や休暇には独力で研究をするか、ユダヤ人キャンプあるいはイエシバで実地教育
を受けるようにすすめられる。
近代的な神学校の教課も基本的には同じである。
聖書、タルムドその他ユダヤの根源、ユダヤ史、ユダヤ哲学、ユダヤ文献学など詳
細にわたって調べる。
ラビという職業は教えられるものではないというのが一般論ではあるが、牧師心理
学、社会奉仕のような学問のコースを通じてラビ業の実際上の問題も訓練される。
それにすべての神学校では、未来のラビに就職後のための訓練も施すし、専属ラビ
のいない小さな会衆で週末に実習する機会も与える。
ユダヤ神学校教授団の一員によれぱ、このアイデアは「最初の説教の精神的ショッ
クを緩和するため」だという（だが本当の精神的ショックは最初の莽式の時だと多
くのラビは言う）。
５年コースの神学生も、一般の大学院の学生が当面する問題に宗教味を加えたよ
うな個人的な問題にぷつかる。
養成期間の中間ぐらいのところでユダヤ教の真理とか神の存在に関する疑問にとり
つかれる。
大学時代に長期間にわたってとらわれやすい懐疑論にとりつかれることのなかった、
教授陣が「遅咲き」と呼ぶ敬虔な学生に起こることが多い。
遅咲き組が懐疑ピールスにとりつかれると、成人男子のはしかやお多福かぜのよう
に苦痛の激しい悪性の病気になりやすい。
教師や級友の気転があればたいていは直ってしまうのだが……。
もっと深刻な問題は最初の見習い集会が学生に与える影響である。
若い見習いラビはユダヤ人共同体に対する責任感に刺激されている。
熱情的ユダヤ人の残存を信じ、自分も一役買いたいと切望している。
しかし一、二度見習い集会を経験すると、自分の命を捧げてきたユダヤ人共同体が
幻覚だったことを悟る。
無関心、偽善、無知、腐敗を目のあたりにするからである。
自分は本当にこの人たちを生き残らせたいと思っているのかと疑問を持つようにな
る。
この感情を振りすて、人間の弱さ、脆さに対して寛容な気持ちになるには長い時間
を要する（これができないラビが多い。説教壇から説教壇へ移り、時にユダヤ人共
同体で非常に高い地位につくこともあるが、常ににがにがしさに苦しめられている）。
しかし、どこの学生もそうであるように、神学生が最も精神的ショックをおぽえ
るのは卒業時である。
突然、神学校が暖かい繭であったことを思い知る。
それもすべて終わってしまった。
厳しい現実が自分を待ちうけている。
学生中に結婚している場合もある――そうすると精神的恐怖に生計の悩みまでもが
ついてくる。
神学校の最終学年クラスには心配気な顔がいくつも見られる。
しかし一世代前の神学校卒業生と比べたらまだましで、一つの偉大なる利点がある。
ラビの数が不足しているため、求人申し込みの中から選択することができるのであ
る。
これらの申し込みは各自が属しているラビ組織の職業紹介所が確保してくれる。
３０年前にはそんなものはなく、激烈な競争的雰囲気が蔓延していた。
全国的に名の知れたラビの需要が多かったため、裕福な会衆がわれ先にと奪い合っ
たものである。
最初の職業紹介所は戦後ラビ会議が設けたしかし一世代前の神学校卒業生と比べた
らまだましで、一つの偉大なる利点がある。
ラビの数が不足しているため、求人申し込みの中から選択することができるのであ
る。これらの申し込みは各自が属しているラビ組織の職業紹介所が確保してくれる。
３０年前にはそんなものはなく、激烈な競争的雰囲気が蔓延していた。
全国的に名の知れたラビの需要が多かったため、裕福な会衆がわれ先にと奪い合っ
たものである。
最初の職業紹介所は戦後ラビ会議が設けた――しかし一世代前の神学校卒業生と比
たらまだましで、一つの偉大なる利点がある。
ラビの数が不足しているため、求人申し込みの中から選択することができるのであ
る。
これらの申し込みは各自が属しているラビ組織の職業紹介所が確保してくれる。
３０年前にはそんなものはなく、激烈な競争的雰囲気が蔓延していた。
全国的に名の知れたラビの需要が多かったため、裕福な会衆がわれ先にと奪い合っ
たものである。最初の職業紹介所は戦後ラビ会議が設けた――保守派は前にも述べ
たように、常にもっとうまく統制がとれている――そしてこのシステムはすぐに中
央会議にとり入れられ、さらにラビ協議会にもとり入れられていった。
ラビを求めている会衆や会衆を捜しているラビは職業紹介所に申し込まなければ
ならない。
どちらも個人的交、渉をすることは許されない。
求職広告などは眉をしかめられてしまう。
会衆が特定のラビを希望することはできるが、要請を許可するかしないかは最終的
には職業紹介所が決める。
厳しいきまりも定められている。
例えば新人ラビは１,０００世帯以上の会衆に応募してはならない。
もっと経験に富んだ人の利得なのである。
神学校卒業生は説教壇を引き受ける前にいつでも軍隊の従軍牧師になれるよう、最
低２年間は手をあけておく必要がある。
新人ラビにしろ古参ラビにしろ聖職が考慮されると、会衆の聖職委員会（男女１２
人）が彼に面接を求める。
これがたいへんな面接なのである。
職業紹介所はできるだけ楽なものにしようと骨折る。
志願者のための印刷された説明書には聖職委員会の面接の扱い方がいっぱい載って
いる。
面接側に知人がいるほうが有利なので、事前に委員と知り合っておくこと。
全委員の名前を暗記しておくこと。
未来のラビに名前で呼ばれることほど聖職委員を喜ばせることはないからである。
あわてて給料や報酬、旅費などを尋ねないこと。
聖職委員会はラビの妻が面接に同席することを望むこともある。
会衆が以前のラビ夫人のことで不快な経験をしたことがある場合に多い。
職業紹介所はこの件に関しても指示を与えている。
ラビの妻は面接に時間通りに現われ、あらゆる質問には優雅に答えるべきだが、夫
に話を任かせるようにしなければならない……と。
面接後、委員会は会衆に報告する。
職業紹介所はこの報告でことを決めるのでなく、会衆の大多数の賛成投票を得なけ
ればラビに仕事を与えてはいけないと提案している。
「さもないと、誰もがラビと一戦を交えることになってしまいます。自分をさしお
いて、一部のグループがラビを決めたと会衆が思うからです。ユダヤ人は自分で取
引きをする民族ですからね」とある職業紹介所の幹部は言う。
聖職委員会の試練にみごと耐えぬいた新卒のラビは、申し込みの中から選択を下
さねばならない。
ふつうはこの選択を盲滅法にしなければならない。
ふつう共同体の小会衆しか彼の手にははいらないからである。
彼らも彼が２,３年しかとどまりそうにないことを知っている。
しかし一度最初の聖職を経験した後は、その職歴によって未来の選択が左右され
ることになる。
たいていのラビは大都市あるいは中都市を手に入れたいと願う。
会衆が大きくなるほど給料も多くなるからというのが主な理由ではない。
職業紹介所の幹部が言うように「高給が望みならみんな競ってテキサスヘ行くでし
ょう」。
しかしそうする者はいない。
お金以上に望んでいるのは、わが子のためのすぐれた宗教教育、適切な文化設備、
そしてこれが最も重要な要因だが――他のラビといっしょにいられる機会なのだか
ら。テキサス、アイオワ、ノース･ダコタなどではこれらは望めそうにもない。
しかし、希望をすべて満たしてくれるような聖職の数はそんなにない。
だから本当にいいロは競争が激烈である。
他の職業と同じでラビの場合も先んずるにはタイミングと幸運が重要な要素となる。
最初の１０年から１５年間にいい仕事にありつけない人間は――大きい仕事という
のではなくとも、飛び石という意味で――終生地味な会堂と安報酬に甘んじなけれ
ばならない。
職業紹介所のシステムはラビ組織に各ラビの職歴に対するかなりの権力を与える
ことになった。
戦略上の突破口ができると、ラビ会議と中央会議は影響力を駆使して聖職委員会を
操縦し、こちらの人間へ向かわせたり、あちらの人間に向かわせたりできるように
なった。
絶対的な権威はないものの、自分たちの見解を感じさせるようなことはできる。
アーサー･ハーツパークは、今日立派な仕事につけるラビは宗派の公的見解に従順な
「組織人間」だと１９６５年のミッドストリーム誌に述懐している（注1）。ラビ組
織から猛攻撃を受けたことが記述の真実性を如実に語っている。
ラビの労働条件は戦後大幅に改良された。
１９２０年代には聖職にありついた若いラビは初任給年３,０００ドルでも幸運だと
思ったものである。
今日では改革派ラビの初任給は年俸８,０００〜９,０００ドルで医療給付金と恩給
（半分はラビの会衆が払う）もある。
最盛期には２万５,０００ドル稼ぐことだってできる。
保守派のラビの平均は少々落ち、正統派ラビはさらに落ちる――真正正統派のよう
に特に貧しい場合をのぞけば、会堂専属のラビで最高の給料となると意見はまちま
ちで、４万ドルとも６万ドルとも言われている。
昔のラビは自分の会衆と口頭契約を交わした。今日では書類化される。
契約期間はふつう１、２年で、ラビが会衆に「終身契約をするか、辞めさせてほし
い」と言うまで、両者の合意で再契約を交わしていく。
しかし契約に載らない事項もある。
それは割引額でラビに与えられる家、ラビ集会へ行くための年間交通費や新車やイ
スラエル行きの旅費などの特別給付である。「会衆が気に入ってくれれば、王侯の
ように扱ってくれます」とあるラビは言った。
この王侯のような扱いに答えて、ラビは世の職業にはみられないほど一生懸命に
働く。
仕事は礼拝指揮、説教、バー･ミツバあるいは堅信礼にそなえて子供の教育、宗教
学校の指導、結婚式や埋葬式の執行、入院中の会衆の見舞い、共同体での宗派を
超越した仕事などがある。
それでは教師、学者としての伝統的な役割はどうなっているのだろう？
たいていのラビはあきらめてしまっている。
タルムドや史実を読むだけの時間がないのである。
「ラビの執務室が勉強部屋と呼ばれている真意がわかりません。
勉強のために執務室へ行くことなどまずないんですから！」とあるラビは言った。
