創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(722)『アメリカのユダヤ人』を読む(8)

拙訳『The American Jews 邦題:アメリカのユダヤ人』―――から(8)


建  設
戦いの傷あと つづき


昨日の末尾

「宗教はすべて不合理だ」とある大学院の学生が言った。
「いかなる宗教も残されるべきではない」。
それが30分後には「一つだけ残されるとしたらユダヤ教であってほしい。ほ
かのよりは不合理性が少ないから」
 ユダヤ人の優越感にはもう一つよくある態度がからまっている。



多くのユダヤ人はキリスト教へ改宗する者に憎悪を感じる。
改宗者即裏切り者――敵の味方となって仲間を迫害する連中に協力する――
という古来の信念からくるものである。
しかしこの憎悪には、驚きと軽蔑が相当含まれているように私は思う。
ユダヤ人よりも彼らのほうを好むなんてあの改宗者はなんて判断力がないの
だろう? 
単なる裏切者ではなく度しがたい馬鹿者だ!
というわけである。


 軽蔑のほかにユダヤ人の優越感には好戦性も混じる。
異教徒に対して優越感を感じるだけでは十分ではない。
異教徒にそれを知らせる必要がある。ユダヤ人がユダヤ人であることをどん
なに誇りにしているかをロにするたびに自慢しても告訴はされないが――こ
の衝動をうっかり暴露しているのである。
その隠れた動機は臆病者とみられるのを恐れる根深いユダヤ人心理だと思う。
これは残念ながら聖書の遺産――肉体的暴力は悪である。
人間は戦うことで問題を解決することはできない――の副産物である。
シュテットルではこれは道徳以上に強制力のあるものだった。
ユダヤ人が生きながら得たのは無抵抗(異教徒の迫害を無抵抗に受け入れる)
主義ゆえであると信じられていた。


 それでもシュテットルでこの信条に不満な者も多かった。
臆病者のように感じて自らを恥じた。
このためユダヤ人は常に戦士やスポーツマンに対して二重の見解を抱く。
一方では腕力ゆえに軽蔑する。(ミルトン・ヒメルフアーブは、アメリカのユ
ダヤ人がスチーブンソンを支持したのはスポーツマンに見えないからだという)(注10)。
 一方では腕力で自己の存在を明確にできると考えることも多い。
このためアメリカのユダヤ人にとってユダヤ人のスポーツ界の英雄は非常な魅
力を持つ。
異教徒より判断力がいいにしては、ユダヤ人はマルク・シャガールやジョナス・
ソークのような人物よりもサソデイ・コーファックス野球選手)のような人物のほう
を誇りとすることが多いようである。


 そこで自分に体力をつけたうえで異教徒と試合して勝ってみたいと切望する
ようになる――そして遅かれ早かれ温和な小商人であることをやめて仇討ちに
出るものがいる。
おのれの正直さを誇っていたローアー・イーストサイドの行商人は異教徒の主
婦に平気でキズ物を売りつけたものである。
「ちゃんと見て買わなかった異教徒が悪いのさ!」
繊維業者として成功した息子はもうそんな不謹慎な方法はとらない。
だが異教徒のセールスマンが気をひこうとしてしやべるのをしかめ面しながら
机越しに眺めていてこう独白したとしても無理はない。
「お前らはおれたちを押えつけてきたが、ついに勝ったぞ!彼我のこの立場を
見ろ!」


 恐れ、追従、孤立主義、好戦性などの姿勢はすべて一つの基本的な信念の
変\形にほかならない。
ユダヤ教徒と異教徒間にある隔りには橋をかけることはできない。
たいていのユダヤ人はある程度この疎外感を持っているが、なかにはそれを
無視しようと心死に努力する者もいる。
そんなことはできないと内心思っていても異教徒の世界に入り込もうとする。
その戦いは滑稽でもあり、悲槍でもあり、時には残酷でさえある。
滑稽なのは、人の地位は知っている異教徒の数によって決まるという理論に基
づいたユダヤ人の一種独特な社会的俗物ぶりである。
有名人の名をやたらにロにする男がいるのと同じように、ユダヤ人は異教徒の
名をやたらにロにするのである。


 ニューヨークの小さくて月謝の高い学校が人気があるのもこの俗物ぶりのせ
いである。
2校だけをあげると、プリアリー女子校とカレッジート男子校。
両校とも優秀校だが、ユダヤ人には「異教徒の学校」として特別な人気がある
(実は両校とも大多数とはいわないまでもユダヤ人生徒が多い)。
それでも異教徒の学校なので、神秘的な優越感を生徒に与えるという錯覚は消
えない。
「私の姪はすごく行儀がよくなりましたのよ」とある婦人が言ったのを耳にし
た。「先月からブリアリーヘ通い始めましたので……」
 

 異教徒の世界と接触しようとして、子供を異教徒の学校へやるだけではおさ
まらないユダヤ人がいる。
多くはないがキリスト教に改宗する者もいるし、そのなかに、ユダヤ教とキリ
スト教の中間の不明瞭な安全地帯にのりあげているいる者すらいる。
倫理文化協会がその一つである。
日曜礼拝(ミーティングと呼ぶ)を行ない、幹部の中には結婚式の執行資格所
有者もいるが、宗教ではないと定義づけている。
旧弊な儀式ぬきのイデオロギーを求めている人のためにユダヤ教キリスト教
から共通の倫理的要旨をぬき出してまとめるのだと主張している。
そして神学的にはユダヤ教徒にもキリスト教徒にも開放されているが、会員の
ほとんどはユダヤ人である。
 

 ユニテリアン派(プロテスタントの一派で三位一体説を排して唯一の神格を主張しキリストを
神格化しない)も異教徒の世界への入場許可
を求めるユダヤ人にもてはやされている。
その売り物は倫理文化協会などのものより、はるかに人の心をそそるものである。
ところがユ‘一テリアソ教徒の中にはわずか五がしかユダヤ人がいない(注11)。
真面目な宗教的確信によって動機を与えられてユニテリアン教徒になったユダ
ヤ人が多いが、ユダヤ人らしさの汚名をそそごうとしている者がほとんどのよ
うである。


 キリスト教のれっきとした宗派に改宗するユダヤ人もいる。
その大多数は異教徒世界にとつぎ、その教会で活動的になり、異教徒の友人に
かこまれ、わが子に平均以上の宗教教育をする。
この人たちはユダヤ教に改宗するキリスト教徒と驚くほど似かよっている。
自分の選んだ定めに満足する者も多いが、異教徒の世界でなんとなく窮屈に感
じる者も多い。
わが子がその葛藤を解決してくれるようにただ祈るばかりである。


 異教徒とともにありたいというユダヤ人の願望は、異教徒と同じようになり
たいという願望に転じていく。
一緒になることができないのなら、真似だけでもと思う。


 もちろん、この熱情もユダヤ人のジョーク創造者にとって神の贈り物となっ
てきた。
これを扱ったジョークは何百とある。
最も有名なもののなかに、ヨットを買ってヨット帽を小粋にかぶり、ブロンク
スに住む年老いた両親を新しく引っ越した異教徒居住地へ招くユダヤ人実業家
の話がある。
母親はしばし息子を眺めていたが肩をすくめるとこう言った。「ああ、たしか
にお前は一見船長のようだ。パパにもそう見えるだろう。だけど船長がどうか
したのかい?」。この典型的なジョークは、野望と無益さをはっきりと見抜い
ている。


 一世代前はこの野望は姓名にはっきり現われていた。
1920年代、30年代にはユダヤ人が姓名を変えるのは当たり前のことだっ
た。
生まれながらの姓名は「みにくい」とか「滑稽な響き」だからと改姓を正当化
したものである。
それもそうだろうが、新しく選んだ姓名も必ずといっていいほど異教徒の響き
のあるものだった。


 改姓の結果がグロテスクなことになることもままあった。
私の父が知っていたメンデル・ガーフィンクルという姓名の男は、ヘミングウ
ェー・ガーフィールドに変えた。
友人はエルムラーク(にれひばり)という姓の男に会って、改姓前はどんな姓だ
ったのかと知恵をしぼって考えた。
やっとわかった。
ニレヒバリ氏の以前の姓はフォグルバウム(木の鳥)だったのである。
最も好んで用いられたアメリカ姓はベルモンドである――なんのことはない、
がっちりした昔ながらのドイツ系ユダヤ人の名ショーエンパーグのフランス訳
なのだ。
英語化と同じくらい仏語化も人気があった。
Levineという姓は特にこういう扱いをひんぱんに受けた名前であった。
ニューヨークの電話帳を見るとLe VinesとLa Vinesという姓でいっぱいで
ある。
なかでも最も想像性に富んだ名はLa Vignesある。
どんなにこまぎれにしたところですべてLevieeなのである。


 ここでもまたユダヤ人ジョーク作家は、最初からその愚かさと無益さを見ぬ
いていた。
オプライェンと改姓したコーヘンという男を扱った古い話がある――オプライ
エンという姓に変えた数週間後この男はマクドナルドに変えたいと判事に申し
出る。
なぜ? 
「改姓前は何という姓だったかと聞かれるもんですから……」


 多くの場合、時の経過がその無益さをいっそう増すのみであった。
移民の多くはグリーンとかハリス、ロスといった姓を選んだ。
そして今日ではそういった姓は当然、ユダヤ姓のように考えられるようになっ
てしまったのである。
アメリカで生まれたわが子にまさしくアングロサクソン風の響きを持ったアー
ビング、シドニー、モリス、シーモア、シャーリー、マリリン、シルビアとい
うようなすばらしい異教徒の名前を与えるために、アブラハムとかモーゼ、ヤ
コブといった古いユダヤの響きのある名前に何度そっぽを向いたことだろう。


 異教徒のようでありたいと願うユダヤ人は、異教徒のマナーや名前ばかりか、
時には異教徒の顔つきまで取り入れようとする。
ユダヤ人の顔と異教徒の顔で一番違うのは鼻の大きさだとされている。
私の知っているお婆さんなどは生まれたばかりの孫娘のユダヤ人らしからぬ小
さな鼻を得々と自慢したものである。
「でもユダヤ人ですわ」と赤ん坊の母親が言った。「そう思っていただいたほ
うがいいですよ」。するとお婆ちゃんは「ユダヤ人であってほしいよ。でもユ
ダヤ人みたいに見えてほしくないね」


 異教徒のほうがユダヤ人よりも見映えがいいという暗黙の仮説が卑俗なご愛
嬌ぶりを発揮させる――映画スターがユダヤ人だということを発見するとひど
く喜ぶ人が多いのがそれである。
ユダヤ人スターを全部知っている――カーク・ダダラス、トニー・カーチス、ロ
ーレン・バコールその他何十人――と思っている初老の婦人と話したことが
ある。
スターが誕生すると彼女はすぐ「ユダヤ人かしら」とつぶやく。
だが彼女の好奇心をひくのは大スターであって性格俳優やコメディアンではな
い。美男美女がいっぱいいるパンテオンハリウッド)もユダヤ人が目つく――幸運な少数の者だけにしろユダヤ人的容貌のハンディキャップに打ち勝
つことができる――ことを再確認するのが彼女にとって嬉しくて仕方がないの
である。


 ユダヤ人的容貌に対する嫌悪感は彼女だけでなく驚くほど多くのユダヤ人に
ある。
取材中、自分はユダヤ人らしくは見えないだろうと言いたがった人がいかに多
かったことか。
あるラビはこれを一種の即席ウソ発見器として使っている。
「私はユダヤ人だ。それを誇りに思っている!」という人にラピはこう答える。
「結構じやないか。実際、君はユダヤ人らしく見えるものね」
たいていの場合、真っ赤な顔とうつろな笑い声が返ってくるという。
ラピのために断わっておくが、初めてテストをされた時には彼も同じような反
応を示したと白状した。


 人の肉体的な自己イメ〜ジは、その人の自己イメージ全体を解く最良の糸口
である。
自分の容貌が気に入らない場合は、自分自身をも気に入っていない。
ラピのささやかなテストは、多くのユダヤ人が自分自身をそんなに気に入って
いないということを暗示している。


 事実、自己嫌悪という言葉はある共通現象――ユダヤ人の反ユダヤ主義――
を表現するためによく用いられる。
少数派学生の集団の行動が多くの場合、その心理過程を物語る。
少数派は多数派側からのきまり文句を信じてしまいがちである。
少数派であるユダヤ人は反ユダヤ主義者が投げかけるののしりをすべて信じて
いる。
互いに相矛盾するののしりでさえ、ユダヤ人は俳他的で押しが強く、欲深で見
栄っぱりで下品で過度に知能的だと信じる。
他のピジネスマンよりもずる賢いという不公平な長所を有し、ただ不正直であ
るがためビジネスで一歩先んじているのだと信じる。そして心の中ではこうい
った侮辱を自分にも当てはめている。
そして公然と時には怒りをこめて他のユダヤ人にもそれを当てはめる。


 反ユダヤ主義に対する姿勢に自己嫌悪心のあるユダヤ人は特に混乱する。
この問題が常に心の中にある。
異教徒よりもずっといわゆる「ユダヤ人らしさ」に敏感なのである。
アメリカ・シオニスト機構のトークジナー会長は異教徒団体で講演をしても、
彼のアクセント(たまたまフランス語なのだが)のことをロにする者はいない
が、ユダヤ人団体の時には必ずそのアクセントにまつわる質問をしてくる者が
いると言っている。


 それに自己嫌悪心を抱くユダヤ人は、反ユダヤ主義の原因は「他」のユダヤ
人――反ユダヤ主義者のきまり文句にぴったりのユダヤ人――の行為のせいだ
と思いこんでいる。
そういう「悪い」ユダヤ人は彼にとっての頭痛の種である。
至るところでその種のユダヤ人を見つける。
時には彼につきまとい、わざわざ彼の一生をみじめなものにしてしまう奴まで
現われる。
それもきまって彼が異教徒といっしょにいる時に限って……。


 心理学者のクルト・ルーインが自己嫌悪者の妄想を恐ろしいほど如実に語る話
をしてくれた。
ある女性が異教徒の友人と食事に行った。
隣のテーブルに、これみよがしに大声で笑い下品な様子をしている男女がいた。
ユダヤ人だということは一見して明らかだった。
食事もそこそこに彼女はきまり悪さでブルブルふるえ、反ユダヤ主義の種をまき
ちらしている2人を呪い、異教徒の友が2人に気づかないことを祈った。
だが友人は気づいた。
それどころか会釈さえしたのである。
仕事で会ったことのある人たちでユダヤ人ではなかった。
そのことがわかるや否や、きまり悪さもどこへやら、彼女は安心して夕食を楽し
むことができた。
そのうえ隣のテーブルの男女は前よりもずっと低い声で話し、笑い、上品な様子
をしだしたというのである(注12)。


 自己嫌悪性のユダヤ人は、反ユダヤ主義についてさまざまに懸念しながらも、
たえず反ユダヤ主義に関して「不必要に大騒ぎをしている」個人や団体を責める。
この偏見に自分もとらわれているなどとはつゆ思わない。
そこでそんなものは存在しないと主張して心を休め、現代に反ユダヤ主義がある
はずはないと主張する。
それは誇張されすぎている。
黙っていさえしてくれたら、全部消えていってしまうのに……と。


 東部のある大学の教授が、最近ユダヤ人教授の中に反ユダヤ主義シンポジウム
を開きたいという者ができたといって激昂した。
「この主題はもう死んでる」「過去の遺物だ。誰も興味を持ってやしない。そん
なシソポジウムを開いたら反ユダヤ主義を喚起するだけだ」
この奇妙な説を述べたのが一流の数学者なのだから驚きである。


 しかし自己嫌悪心のあるユダヤ人は反ユダヤ主義の意見を吐くことすらあ
る。
彼自身も差別に参加するのである。
ほとんどが無害で少々哀れをさそう。
例えばあるユダヤ人将校は仲間と一緒になって反ユダヤ主義者の話をするが、
いきすぎて極度の反ユダヤ主義的言動になることもある。
数年前、ニューヨークのKKK団の創立者ダニエル・パロスはユダヤ人だとニ
ューヨーク・タイムズ紙のルポ・ライターにすっぱ抜かれ、翌日自殺してしまっ
た。
 バロスは精神異常者だった。
しかしユダヤ人の反ユダヤ主義は精神病ではない。
だが多くのユダヤ人はまるでうであるかのように話す。
意見の合わない人々にふるう便利な警棒として「自己嫌悪」という言葉を使
う。
ユダヤ民族主義者は、反ユダヤ主義者を自己嫌悪者だという。
敬虔なユダヤ教徒は非宗教的なユダヤ人をつかまえて自己嫌悪者だという。
異教徒の青年とデイトする娘はユダヤ教徒青年から自己嫌悪者だと責められ
る。
視野にはいったどんな的にでもこの非難を投げかける人々の熱情は、彼ら自
身の自己像に関しても疑問を投げかける。


 なぜ真実を認めないのだろう? この病気の影響から完全に自由になれる
ユダヤ人は少ない。
ユダヤ人委員会がボルチモアでやった調査で回答者の3分の2が自分以外の
ユダヤ人は押しが強く敵対心があり、下品で物質主義者で反ユダヤ主義の原
因になっていると信じていると答えた。
自ら自認した者だけでも3分の2もいるのである(注13)。
私は各症状を別々に解説したが、個々別々に現われることは少ない。
ある瞬間にはユダヤ人が異教徒の足下にひれ伏したとみえても、次の瞬間に
は横面を張りとぱしている。
仲間のユダヤ人を嫌悪しているかと思うと、20世紀の偉大な人物はすべて
ユダヤ人だと断固として主張する。
ピカソはどうだ、ドーゴールは、アレキサンダー・フレミング卿はどうだ? 
「誰でも彼らがユダヤ人だということを知っている」
と横柄な口ぶりで言う。
要するに異教徒の他界に対する彼の感情は劣等感と優越感の混淆なのである。


 異教徒間結婚はこの劣等感や優越感を刺激する好例である。
この問題にっいてのユダヤ人の親の意見は多くの調査が明らかにしたとおり、
異教徒と結婚させたくないという者が90%である(注14)。
だが調査はこの問題に対する感情の強烈さをはかることはできない。
 シュテットルでは異教徒と結婚した子を、親は「死んだ」と言って形式的に
一週間の喪に服した。
時には空の柩で埋葬式まで行なうこともあった。
今日のアメリカではそんなことはないが、ほとんどのラビは異民族間の結婚式
を執行しない。
やる者がいたとしても、それがどんな人物か誰も知らない。
堕胎医のように隠れた名声を持っているだけである。
数年前正統派のラピ団体は異民族間のデイトは罪深いと責めさえした(注15)。


 平信徒の気分はえてして感情的になりやすいものである。
この問題に関して郊外居住区の親のグループと議論したことがあるが、ある婦人
が、カソリックの青年と結婚したいと娘が告げた日の話を聞かせてくれた。
母親は娘を部屋に閉じこめてしまった。
そして一時間ごとに娘のところへ行っては金切り声をあげて顔をぶち、物を投げ
つけた。
娘はおじけづいて結婚をあきらめた。
母親の腕にとびこみ「母さん、愛してるわ。愛してるわ! 絶対彼のところには
いかないから!」と泣き叫んだ。
「すばらしいユダヤ人青年と結婚して、いまは清浄な家庭を築いています――私
以上に!」と母親は結論的に言った。


 この母親は友人たちの前で誇らし気にこの話をした。
肝をつぶしたり当惑する者もいなかった。
彼女の鉄の意志をほめたたえ「万一そんなことが起きた時には同じようにうまく
処理したい」と言った。


 われわれがここまで調べてきた心理的要因――恐れ、軽蔑、ねたみ、異教徒嫌
悪――がこういった親たちの反応を現わしているのを見るのは簡単である。
だが反ユダヤ主義が衰退しユダヤ教徒と異教徒が以前よりずっと自由に友好的に
交際しているのに、いったいなぜ異教徒間結婚に対する偏見がこれまで以上に強
くなっているのだろう?


 回答を出すためには、変化した異教徒世界の雰囲気、ユダヤ人に対する寛大さ
ユダヤ人若者の姿勢に革命をもたらしたことを認めなければなるまい。
30歳以下の世代では親や祖父母に比して心理的なゆがみがはるかに少なくなっ
ている。
こういった兆候は容易に発見できる。平凡であればあるほどより鮮明にそれを物
語る。
エール大学で熱心なキリスト教徒学生がユダヤ教徒への伝道団体をつくった。
すぐさま4人のユダヤ人学生が学生新聞に広告を出した。
「改宗よりも戦いを望む」。
ある政府高官の息子の少年が、マッツオを入れたつぽがおいてあるホワイトハウ
スの芝生の庭で開かれた復活祭の飾り卵転がし遊戯に参加した。
「そうか、過越祭でもあるわけか」とこの少年は言った。
あるラピは娘が通学のバスの中でヘブライ語の本を読むといって驚いていた。
「私が子供の頃は、乗客がユダヤ人ばかりの時でもヘブライ語の本を小脇に隠し
ていたものです。あの頃はアメリカでそんなことをしたら大変でした」


 アメリカのユダヤ人にとって大問題であったクリスマスも今昔の対比がはっき
りしている。あなたに子供があうたら、まわりの人がみんな祝っているのに、
これほどはっきりとユダヤ人を閉め出している祭日にどう対処するだろうか? 
家にクリスマスツリーを飾るか? 
プレゼントをするか? 
奉納祭をロ実にしてモールを飾りつけるか? 
最も敬虔な者を除いてはほとんどの家庭は妥協案なかには風変わりなものもあるがllを考え出
している。なかにはクリスマス・ツリーを奉納祭(ハーヌカー)の飾り木

代わりに、ダピデの星(神秘な力を秘めた六角星)をそのてっぺんに飾る
家庭もある。
クリスマス・ツリーを家の中に飾るのは許しても玄関のドアには花輪を飾らな
い家庭もある。
「なかでは好きなことをしてもいいが、外では信仰してもいないのに信仰して
いるふりをしたら不正直ですもの」
奉納祭の8日間、毎日子供がプレゼントを受け取り、最後の日のプレゼントが
クリスマス・ツリーという家庭もある。
そして父親がガンとして主義を貫いている家庭もある。
「家ではささやかなクリスマス・プレゼソトしかしません!」
だがクリスマスが全然ないという数少ない家庭で必ず起きることがある。
数年前私の叔母に甥が痛烈にやりかえした。
「クリスマスがないならユダヤ人になんかなりたくないや!」


 そんなことにまきこまれるようなユダヤ家庭は今日ではないと言ったらそれは
正しくない。
だが一世代前よりもはるかに少なくなってきていることは確かである。
ユダヤ人委員会は例によって調査の結果、ユダヤアメリカ人の家庭の20軒に
1軒の割にしかクリスマス・ツリーがないと発表した。
子供の頃クリスマス・ツリーはともかく、花輪は許してもらえなかった婦人が娘
にも同じようなことを言った。
すると娘が「変な母さん、なぜツリーがなくちゃいけないの?私たちユダヤ教徒
じゃないの!」


 ユダヤアメリカ人の若者のこの新しい自信がいかに傷つきやすいものである
かとよく問われる。
こういった若い人とでもその両親や祖父母が当面したような反ユダヤ主義攻撃を
いつなんどき受けることになるかもしれない。
そんな時ショックで粉々になってしまうのでないか? 数
年前ニューヘブンでこんな事件が起きた。
ユダヤ人父兄の一団が教育委員会に公立学校からクリスマス行事を取り除くよう
陳情したのである。
委員会は大講堂で集会を開き、ユダヤ人高校生がたくさん参加した。
集会は白熱化し怒りが爆発し、ついに頑固者の一団がユダヤ人におどしやみだら
な言葉を大声で投げつけ始めた。
高校の男女生徒はそんな目にいまだかつて一度もあったととがなく、初めての経
験だった。
意気消沈した者が多くヒステリカルになる女生徒も出たし涙を流さんぱかりにな
った男生徒もいた。


 これは気持ちのいい話でもないが、よくある話でもない。
今日のアメリカのほとんどのユダヤ人の若者はそんな試練には会いそうもない。
彼らの目的はふくれあがり、多くの場合その両親が恐れる深み――異教徒との結
婚――ヘと入っていく。
前述の溺愛タイプの母親が、一晩中わが子をぶっていじめるような異常な精神状
態の原因もそこにある。
彼女は危険が以前よりもずっと大きくなっていることを本能的に感じているので
ある。


 統計を見るとそれがはっきりする。ほかの統計同様、この場合も矛盾がみられ
るが、異教徒間結婚に関する全国的調査はそれでも行なわれる。
補助的な調査が特定の州で、ワシントンDCでは徹底的な調査が行なわれている。
それを見るとアメリカのユダヤ人口の13%が非ユダヤ人と結婚している。
しかし、この数字には第一、第二世代の結婚も含まれている。
もし古い世代を除いて、大学へ行ったことのあるアメリカ生まれのユダヤ人――
10代の大多数がこの範鴫に属している――だけに限れば、異教徒間結婚率は
(ワシントソDCの調査)37%にもなる(注16)。


 これにはいろいろと面白いバリエーションがある。異教徒間結婚者の3分の2が
ユダヤ人男性と異教徒女性間結婚であり、ユダヤ人女性は巣にこもるのがお好きの
ようだ――それとも勇気がないのかもしれない。
ニューヨーク以上にアイオワ州では異教徒間結婚が多い。
アイオワ州にはユダヤ人男性数に見合うだけのユダヤ人女性がいないのである。
ユダヤ人教徒として育った子供たちは、異教徒間結婚者の22%しかいない。
これに釣り合わすかのように、キリスト教徒として育ったものも少ない。
そして最後に4件に1件の割合で異教徒の妻はユダヤ教に改宗している。

 ユダヤ人共同体の公式代表の間では、最も無謀な楽観主義者ですらこういった
統計をたった一通りにしか解釈することができない。
このままでいったらユダヤ教徒は増えるどころか減る一方である。
古い世代が死に絶えていき、異教徒間結婚者が彼らよりも若い世代に影響を与え
ていけば、その数は雪だるま式に増えるぱかりである。
それに若い人たちにその危険を注意することもできそうもない。
おとなしく耳を傾けうなずき、当然、ユダヤ教徒と結婚するほうがいいと言って
両親を喜ばせるだろう――それから彼らの「愛についての話がはまる。
「異教徒の青年と会って恋におちたらどうしたらいいの? ユダヤ教の未来が心
配だから結婚できないなんて言えっこないじゃない!」
 親たちは何と答えたらいいのだ? 
親たちとて「愛」の存在を信じている。
子供たち同様ハリウッドの映画で育ってきたのだから。


 数年前、社会学者マーシャルースクレアは全米ユダヤ教葬儀協会の定例会議で
講演した。
主題はユダヤ教の生存だった。

´
 冗談? そんなふうに考えてはいけない。
ユダヤ教の生存は葬儀屋にとって一大関心事なのである。
ユダヤ教徒がいなくなったらユダヤ教の葬儀は行なわれない。
そして他のユダヤ教団体と同じく、彼らの団体は「残存ビジネス」になりつつあ
るのである。


 より好みはできない。
好むと好まないとにかかわらず、考えこまずにはいられない。
ユダヤ教徒はアーノルド・トインビーが書いていたように単なる化石か死せる文化
のひからびた傷あとにすぎないのか? サルトルの「ユダヤ教をつくったのは反
ユダヤ主義者だ」という刺激的な批判はどこまで正しいのか? 
反ユダヤ主義者がいなくなったらユダヤ教もともに消え去るのか? 
何千年という間ユダヤ教は迫害の中を生きのびてきた。
好意に殺されて終わるのだろうか?


 しかしユダヤ教徒アメリカで自らのためにつくりあげてきた世界を理解しなけ
れば、これらの問いに答えることはできない。
今後とも生き残れるかどうかは知らないが、いま生き続けていることは確かである
――生き続けるだけでなく繁栄してさえいる。
全速力で回転する複雑な団体、協会がある。精力的で時には熱狂的でさえある家庭
生活がある。
財を築き財を失い、ジョークをとばし、犯罪を犯し、本――ほとんどが自分たちに
ついて――を書いてさえいる。
変化の多い問題に関して意見を持ち、しかも大声でそれを表現している。
それにもまして公的にも個人的にも自分自身と世間に対して自分がユダヤ人である
ことを宣言する多くの方法を考案してきた。


 化石であるかもしれないが、それに気づいているかのような活動はしていない。


註1 Milton Himmelfarb, "Negroes, jews, and Muzhiks, "Commentary, October, 1966.
2  "Germany through American Eyes," The Atlantic, May, 1967.
3 The New York Times, November 25, 1965.
4  In a speech to the Conference of Radical Theology at the University of Michigan, quoted in The New York Times,     October 30, 1966.
5  Paul Lauter, "Reflections of a jewish Activist," Conservative Judaism, Summer, 1965.
6  Pauline Kael, I Lost It at the Movies, Boston, Atlantic Little Brown, 1965.
7  Manheim S. Shapiro, As We See Ourselves: The Baltimore Survey, conducted by AjC in 1962.
8  Harold Isaacs, "Americans in Israel," The New Yorker, August 27, 1966, and September 3, 1966
9  Marshall Sklare and Marc Vosk, The Riverton Study: How Jews Look at Themselves, conducted by AjC in 1952.
10 Milton Himmelfarb, "Negroes, Jews, and Muzhiks," op. cit.
11 From a 1967 survey made by the Universalist Unitarian Association.
12 Kurt Lewin, "Self-Hatred Among Jews," in Resolving Social Conflicts, edited by G. W. Lewin, New York, Harper and    Row 1948.
13 As We See Ourselves: The Baltimore Survey, op;. cit.
14 From As We See Ourselves: The Baltimor~ Survey, AJC's 1959 study in Dade County, Florida, and many others.
15 A resolution passed by the Rabbinical Council of New Jersey at its annual conference, December, 1965.
16 Erich Rosenthal, "Studies of jewish Intermarriage in the United States," The American Jewish Year-book, 1963.


この項、完

・