創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(738)『アメリカのユダヤ人』を読む(14)


祈  り


われらに子供を 昨日のつづき


 保守派も、子供に教育を授けるほど「生き残る」チャンスが大きいという点で
は全日制学校を信頼している。
しかし彼らは遅れをとっている。
いままでのところ保守派の全日制学校(イエシバとはわざと言わない)はわずか
23校しかない。
しかも非常に高くつく。
クイーンズのシェクター校の幼稚園の年間授業料は695ドルで、最
年長クラスの9年生ともなると1,000ドルもする。
このように学費が高いのは、保守派の父兄が非宗教教科をぞんざいにすることを
嫌うからである。
シェクター
には第一級の実験室、優秀な音楽と美術の授業、テープレコーダーその他語学教
育用の近代的設備があり、教師は児童心理学から新数学まですべてを扱えるよう
な教育を受けた者ばかりである。


 だから保守派の親はどうしても子供を保守派の全日制学校へ入れたがる。
だがいまだにその数は多くない。
アメリカで最も保守派的宗教教育をやっているのはタルムド・トラという会堂経
営の学校で、週日の午後2日と日曜の朝の計6時間授業している。
全日制学校ほど広範なユダヤ教育はできないが、生徒に強い動機づけをすること
ができると主張する。
公立や私立学校で厳しい1日を送ったあとの夕方の2時間に宗教を学ぶ子供は、
自分がしていることの重要性を知ることになる。
それにタルムド・トラでは全日制学校のように生徒を世間から引き離したりしな
い。
「偏狭な」人間にはしないのである。


保守派の全日制学校の教課はイエシバと同様、宗教教科と非宗教教科とに分かれ
ている。
しかしタルムド研究は生徒からは軽蔑の目で見られている。
タルムドを最初から終わりまで読み通すようなことはしていない。
学校側からみて近代生活と近代ユダヤ教に「関連性がある」タルムドの各節が読
まれ議論されるに過ぎない。
そしてユダヤ史とその文学、タルムド的でない哲学者の作品、そして保守的教育
が最高の誇りと喜び(妄想とみる者もいる)とするヘブライ語のほうに多くの時
間が使われる。


 しかし近年保守派は子供に単なる知識と言葉だけでなく価値観をも教えこもう
と努力している。ユダヤ神学校は、保守派の全宗教課教科書を精密検査する目的
のメルトン研究機関を援助している。
聖書が提起する倫理問題に生徒が気づき、それについて考え、日常生活や住んで
いる社会に適応していけるように聖書教育がなされるようになるだろう。
創世記に関するメルトン機関の教科書はタルムド・トラのような全国の学校ですで
に試験的に用いられている。


 私はこのテキストを使っている12歳のクラスの授業を参観して天地創造の討論
を聞いた。
教師――そしてテキストに収められている質問――に刺激された少年少女(保守派
の学校は共学)は「神がこの世界を創造したのならダーウィンの進化論はどういう
ことになるのか?」
という論争に熱中した。


 私は若いラピと話しあった。
こんなやり方をしていたら、子供たちが神の存在やユダヤ教の真理を疑うようにな
りはしないかという心配をしたことはないかと聞いた。
答えは「いけませんか? 今は疑問を持つままにさせておこうではないですか。
正しい答えに目を開くにはまだ若すぎるし、偏見も持っていません。
たしかに危険です。
でも彼らのユダヤ教は後でもっと強いものになるでしょう。
それに彼らの疑問は知的なものです。
彼らが自覚しているかどうかわかりませんが、私たちは後にユダヤ教を信ずるよう
になるだけの感動的なものを教えています。
創造の意味について考え、これが当然のこととしてはならない驚異にみちた生命で
あることを悟るように教えています。
生命を尊ぶことを教えています――そうすれば必ず神を信仰するようになるはずで
す」


 これはあくまでも理想である。
保守派の宗教教育を悩ませている、ある大問題によってその遂行は失敗しかけてい
るのである。
男子は13歳で、バー・ミツバの式をあげる。
子供にこの儀式を緊張と興奮で迎えさせるために宗教教育が必要なのだと考えられ
がちなのである。
バー・ミツバの年齢をすぎると、ほとんどの保守派の子供は宗教学校へ行くのをや
めてしまう。


 改革派の宗教教育は以前から、王子に代わってむち打ちの罰を受ける学友的継子
的賤民的存在であった。
ちょうど保守派が全日制学校を信じてはいても午後の学校にしか集中できないよう
に、改革派も午後の学校を信じつつ日曜学校にしか集中できない。
改革派の聖堂では日曜の朝2〜3時間宗教学校を開いており、週日の午後2日間宗
教教育を行なっている聖堂も多いが、よくみてみるとヘブライ語に熱心な2,3の進
んだ生徒の個別指導の観がある。
不十分な改革派系日曜学校は、通ったことのある人には単なる幼年時代の思い出に
しかすぎない>。
ありそうもない聖書の話を読んでくれたちぢれっ毛の罪のない中年婦人のこと、ラピ
がモーゼについて詠唱している間紙飛行機を投げあった集会のこと、簡単にサボれた
無秩序なクラスのこと、ユダヤ教史のおそろしく退屈な本のことを一種の苦い愛情を
こめて思い出すのである。


 改革派は保守派のやり方をさらに推しすすめ、幼少時代からユダヤ教を自由に批判
分析させて目的を遂行している。
幼い頃から聖書を学ぶだけでなく「カイソはなぜアベルを殺したか? それは自分に
どのような関係があるのか」といったことを問題にすることも学ぶ。
成長するにつれてユダヤ教の倫理教訓、ユダヤ人文学(ヨブ記からソール・ベローまで)、
水爆、ベトナム戦争その他彼らの想像力をかきたてるすべてのことを学ぶ。


 そして自分で考えるということが常に強調される。
「私たちが告げることをそのまま受け入れてはいけない。聖書が言っていることをそ
のまま受け入れてもいけない。自分の考えを持つこと。他の人が考えていることでは
なく自分が思ったことを言うこと」。
この学校の12歳クラスが最近「神とは何か?」というエッセイを書いた。
子供たちは甘く優美で霊感的な所感を提出した――すると教師はあわててしまった。
子供たちは先生が聞きたがっているだろうと思うようなことを書いていたのだ。
教師にしてみれば、これは教育がうまくいかなかったことを意味する。
改革派の超知性尊重主義的教育はこう批判されている。
ユダヤ教を教えているのではなく、ユダヤ教について教えているにすぎない。生徒
は何も感じてない。宗教は知るものではなく感じるもののはずである」


 この言葉を聞くと、アメリカのユダヤ教における宗教教育のむずかしさを思い知ら
される。
3宗派とも「残存ビジネス」なのである。
イエシバ、タルムド・トラ、日曜学校の究極目標は、若いユダヤ人をひきとめること
にある。
宗教教育の唯一の試練は「いつまで持続するか」ということなのである。


 どの宗派の方法が最も持続力があるか、どの宗派が若い人を最も効果的にとらえて
いるかに関しては意見が異なろう。
正統派の若者はハラカをより実直に受け入れてはいるが、数は少なくなってきている。
多分生まれつき敬虔な人と宗教教育に関係なく敬虔であり続ける人だけなのであろう。
保守派の若者はユダヤ教の慣習に夢中になり、イスラエル人と同じくらいヘブライ語
を話すが、統計によればそのほとんどが異教徒の妻にヘブライ語を話す結果となって
いると出ている。
改革派の若者はユダヤ教についての知識は他宗派の者以下の状態で日曜学校を卒業す
るが、調査によると安息日の会堂出席率は他宗派よりも高くなっている。
どの宗派の教育哲学が最良かは誰にも結論を出すことはできない。


 当事者としては災難避けのまじないをして祈るより手はない。



この『アメリカのユダヤ人』は、毎週土・日曜日に分載されます。





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