創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(703)クロード・ホプキンズ『科学的広告法』こだわり(3)

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今日までの累計です。


坂本 登さんの訳書『科学的広告法』(1966.10.05 誠文堂新光社)を再読していて、扉裏にこんな英文表記があることを発見した。



初刷は1923年で、版権の所有者はロード&トーマス……つまり、クロード・ホプキンズが社長や会長職にもついたことがある広告代理店。
しかし、すぐ下に「ニューヨーク市」とあるのが解せない。ロード&トーマスの本拠はシカゴで、社名はその後フット・コーン&ベルディング(ドメスティック)となり、マンハッタンのパンナム・ビルに移転してきたのは'60年代の末のはず(その後、2008年ごろ、インターパブリックに買収され、Draftfcb となったらしい)。


それはそれとして、広告調査の大家であるアルフレッド・ポーリッツ氏になる解説付きの本……坂本さんが底本とした版がムーア社から再刊されたのは1952年(この時点で著作権が切れていたらしい)……コピー・ライティングの名著の一つといわれながら、ほぼ30年間も再刊されなかったことに疑念をもった。


あれこれ思案し、「初刷りは、ロード&トーマス社(あるいはフット・コーン&ベルディング広告代理店)のクライアントの繋ぎとめと新規獲得のプロモーション用に刊行されたからではないか」、それで同業者は求めること、推薦することを拒否する傾向にあったから、増刷されなかったのかもしれないとの発想がよぎった(あの国の広告業界の「フィロソフィの違い」という表現に置き換えられたネタミも、かなりきつい)。


いや、突飛すぎ、うがちすぎ、裏読みすぎの考えだ、そうではあるまい、アル・ポーリッツ氏が「再刊に寄せて」で述べているように、ドグマチックなところが多少あるために敬遠されたとみるほうが正しかろう……そう、納得。
名著は名著としてあがめておくべきだ。



再版に寄せて


これが新しいリサーチの結果だ、といっても、せいぜいとうの昔に発見された事実をもう一度明るみに出したに過ぎない、ということがよくあるものだ。
このことは、特にコピー・リサーチの場合にあてはまる。
というのは、将来の指針のために何か新しい原理を発見しようという場合でもない限り、いろいろと違ったコピーをテストするのに役立つ本当の目的などはありえないからなのである。


たまたま25年前に、広告に関する最も有益で、しかも貴重な、さまざまな発見事実の宝庫がコピーライターだったクロード・ホプキンズの手で明るみに出された。
広告専門家の多くはホプキンズのこの著述を、現実的かつ効果的広告の偉大な古典的お手本とみなしているが、何が書かれていたかを実際に覚えている人はきわめて少ない。
クロード・ホプキンズはまさしく天才であったに違いなく、人間の本性を見抜く彼のすぐれた直観的洞察力が偶然にも広告の世界に寄与したのである。
彼自身、広告を成功させる原理はシステマティックな、継続的リサーチの努力を通じて学んだと述べている。
彼は、かずかずのメール・オーダー広告のコピーを書き、それを現実の売上げと比較していった。
こうして何回となく彼に成功をもたらしたものの特長が原理となり、次回の広告を制作する手引きになったのである。


ホプキンズが関心を寄せていたものはメディアに関する問題ではなくて、厳密にコピーそのものだった。
つまり、読者を購買へ誘引する上での影響の強いメッセージだったのである。
雑誌、新聞、ダイレクト・メールをはじめとし、ラジオやテレビのコマーシャルまでがホプキンズの名著『科学的広告法』から稗益するところが大きいのは、じつにこのためなのである。


ホプキンズが効果的広告に貢献したレベルにまで今日の広告リサーチが到達するには、まだまだ先が遠い。
確かに今日のリサーチは進歩した。
だがその有用性を聞かれると、30年も前にホプキンズがやった方法よりは進んでいる、と答えられる程度でしかない。


『科学的広告法』の初版は絶版になっており、入手がほとんど不可能である。
これだけの名著を絶版のままにしておくのは惜しいので、私はホプキンズ夫人に再版をすすめてみようと思った。
ところが、それとなく様子をさぐっているうちにホプキンズ夫人のお孫さんにあたるシャーウッド・ダッジ氏から、この本の著作権が半年前に切れたという情報を受けた。
そこでシャーウッド・ダッジ氏の協力とホプキンズ夫人の同意を得て、私がこの名著を再版することに腹を決めた。


ところがいざ馴れない仕事を手がけてみると、本造りがいかに面倒なものかを思い知らされ、これは「餅は餅屋」で出版社にお願いするのが一番いいということになった。
幸い、ムーア出版社( 当時「アドバタイジング・エイジェンシー」という広告専門誌を発行していた)がこの仕事を喜んで引き受けてくれ、この再版が生まれたわけである。


ところで、この本の再版では版元のもうけは雀の涙程度でしかなかった。


私はこの本が、広告を注意喚起の手段以上のもの、専門技術の見せ場あるいは経営首脳者の"印象”をよくする手段以上のものとみる広告専門家に役立つことを希望する。


広告の目的は好かれ、称賛され、記憶されることだけにあるのではない。


製品を前面に押し出し、プリント広告やコマーシャルが忘れられるという犠牲の上に立って、その製品を記憶され、好かれ、購入されるようにすることにある。


だれかに、あるストーリーを語らせたとき、よくこんな言葉で始めるのを耳にした経験はだれもが持っているはずである。
「どこで読んだか記憶はないのですが」
とか、
「たぶん、ラジオで聞いたと思うんですが」
といった調子のものである。
語り手はストーリーのポイントをつかんではいるのだが、それが出ていた場所を忘れてしまったのである(ちょうど、製品のメッセージを伝える広告と同じである)。
つまり、肉体的に感じた強い衝動が、時間の経過によって記憶から失われてしまったわけである。
 

この点は、覚えやすい広告ほど効果が薄いものだということを思い合わせると、納得がいかれるのではないだろうか。
コピー・リサーチが思ったよりむずかしい仕事なのは、このためなのである。


私はホプキンズの考え方に全面的には同意はできない。
すくなくとも彼が否定的広告、サンプル配布、その他多くの面について述べたことは、不完全であると私は考える。
しかし、へたに批判的な脚注を加えては読者をまどわすことになるのでこれを避け、何よりもまずホプキンズの説くところを一気に読んでいただくことにしよう。


ホプキンズは、"科学的”という言葉を比較的ルーズに使っている。
また多くの点でドグマチックなきらいがないでもない。
テストの重要性を力説していながら、テストによって得た発見事実と一般的な観察や推理の結果到達した結論との間に存在する限界を示していないのがその良い例である。
とはいえ、こうした科学的態度の欠如は、よく見かける科学的考え方が全く不在の科学的態度よりははるかに救われる。


    ニューヨーク市にて
                      アルフレッド・ポーリッツ
1952年11月




明日は、ロン・ローゼンフェルド氏のインタヴューより、ジョン・ケープルス式のスタイル


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