(739)クロード・ホプキンズ『科学的広告法』こだわり(27)
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坂本 登さん訳『科学的広告法』(1966.10.05 誠文堂新光社)より
クロード・ホプキンズの名言(18)
第21章 誇り高きビジネス――から (上)
「筆者が少年時代を過ごした家のそばに、流れの急な小川があった。こ
の小川には木製の水車があって、小屋では粉を挽いていた。しかしこの
原始的な方法のもとでは、川の流れが持つ潜在力のほんの一部を除いた
ら、すべてはむだに流れ落ちていた」
「だれかが、この流れに科学的方法をとり入れ、タービンや直流発電機
を取り付けたものである。その結果、今日では同じ水量、同じ力量で、
大きな生産工場に動力が送られている」
「むだな広告を見るたびに、この小川を思い出す」
「おびただしい潜在力をもちながら単に水車を回転させるだけに終わっ
ているものがあるかと思えば、同じ力量を何十倍、何百倍もに利用して
効果をあげているものもある」
「広告界においても、明らかに損と思えるおびただしい数の広告が、年
々惜し気もなく繰り返されている」
「コストの150パーセントは回収できるのに、わずか30パーセント
しか回収できなかったりしている」
「スペースのむだ、軽薄さ、巧妙なうぬぼれ、慰み……等々。広告だか
らいいようなものの、もしこれがセールスマンだったら気の確かさが疑
われるような"駄弁”で高価なぺージが埋められている」
「これらの広告は、必ずといっていいくらいカギが付けられてない。広
告的な気まぐれを満足させればそれでいいとでもいうのか、尊いカネは
盲目的に消費されている」
「新しい広告主だけではない。古い広告主にしてからが、広告の結果が
どうなっているのかも知らぬものが多い」
「ビジネスはいろいろな努力の結合によって発展するものであり、広告
もまたそれに一役買っている」
「年間70万ドルの広告費を使い、長年にわたってその声価をもち続け
てきたある広告主が、いったい自分の広告は価値があるのかないのかわ
からない、と筆者に語ったことがある。だから、ときには広告などにた
よらなくても、これぐらいの商売はできるとさえこの広告主は考えたも
のだ」
「こう答えた。「いや、私にはハッキリとわかります。だいいち、あな
たの広告にはムダが多すぎますよ。その証拠を1週間でお見せしましょ
う。それには、広告の末尾に、この広告を最初から最後まで読み通した
かどうかの回答を寄せてくださった方には5ドルの賞金を差し上げます、
と書いてごらんなさい。5ドルの賞金をかけても、おそらく回答があま
りに少ないのでびっくりされるでしょう」
明日に、つづく。
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