創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

[息抜きタイム](682)[シーモア・クワストとの1時間](3)

1973刊 chuukyuu編『アイデア別冊 シーモアクワスト』より



(New York Magazine 男性図解---彼があなたといるとき---目、心の中ではたった一つのことを考えてあなたを見ています。微笑、それは偽善的---
THE EYE It looks at you with only thing in mind. )



(PIONEER MOSS 写真製版会社 クラシック・トレイドマーク集)


プッシュピンの創設期


chuukyuu プッシュビン・スタジオのもとになった「ブッシュピン・アルマナックをつくっていた時のことを訊きたいのですが。
クーパー・ユニオン在学中からやっていたのですか?
卒業してからですか?


クワス  学校を卒業してから、ミルトン・グレイサー氏とエドワード・ソレルとレノルド・ラフインズと私の4人でスタジオを設立し、そこで銘々がフリーの仕事をしていました。
ミルトンがフルブライト奨学金を受けてイタリアに留学した後、レノルドとエドと私は、フルタイムの仕事をしながら「プッシュピン・アルマナック」を作りはじめました。
ミルトンもヨーロッパから帰国すると、アルマナック作りに参加するようになり、そして1年後、それまで続けてきた仕事をやめてフルタイムで仕事をする専門のスタジオを設立するための準備ができたと判断したのです。


chuukyuu プッシュピンという社名の由来は?


クワス  「プッシュピン・アルマナック」の名を取って付けました。
「プッシュピン」はデザイナーが使うものなのですが、この言葉がもつ面白味が「アルマナック」の内容と一致したかたちになったのです。


chuukyuu  「プッシュピン・アルマナック」はどれくらい刷っていたのですか?


クワス  3年間で15版出しました。


chuukyuu  どんな本だったのですか?


クワス  もともとアルマナック(磨)とは、年に1回発行される農民向けハンドブックのことをいい、カレンダーがついていて、農民に作物の作付け時期を知らせていました。また、病気の家庭療法や天気予報なども載せていたのです。


chuukyuu  どこへ送っていたのですか?


クワス    仕事を獲得するためにアートディレクターのところへ送っていました。


chuukyuu  「アルマナック」を出版するための費用はどうやって工面したのですか?


クワス   印刷屋さんとタイポグラファーがこの仕事に関心を持ち、無料で印刷を引き受けてくれました。
われわれがアルマナックを送っていたアートディレクターたちが印刷やタイプの仕事を彼らに発注していたからだったのですが、とにかくそんなわけで、ごくわずかな費用で済んだのです。
ただし、郵送料はわれわれが支払わなければなりませんでした。
また、アートディレクターたちの住所録を作り、各版ごと約2,000部を配布していました。


chuukyuu  ブッシュピン・スタジオは1954年に設立されたときいていますが・・・


クワス   そうです。


chuukyuu  設立当時はなん人ぐらいいたのですか?


クワス   ミルトン、エド、それに私の3人で始めたのです。その後徐々に大きくなって、秘書やレップやアシスタントなどを加えていきました。1年後にエドが出て行き、ミルトンと私がパートナーとして残ったのです。


chuukyuu  あなたとミルトン・グレイサー氏がプッシュピン・スタジオ
のディレクターと聞いていますが、それは2人が社長ということなのですか?


クワス   私たちはパートナーであってスタジオの所有権は平等です。ミルトンが社長で、私が副社長ということになっていますが、スタジオの責任とか利益とかは2人で等しく分かちあっています。


プッシュピン成功のヒミツ


chuukyuu  2人が18年間もパートナーでいられた秘訣は?


クワス  どうしてでしょうね。
私にもわからないのですよ。
私たちのようなパートナーシップはとてもまれな例なのですよ。ふりかえってみても、どういうわけか過去18年の間、2人の個人的要求やエゴは十分に満たされていたとしかいえませんね。
ミルトンやその他のプッシュピンのデザイナーたち、イラストレーターたちと一緒に仕事をする時、そこには相互の尊敬と喜びがありました。ひとりひとりが独立したフリーのアーチストである場合にはどうにもならないような問題が、スタジオとしてみんなで力を合わせて立ち向かえば解決可能となるのです。
意欲的に大きな仕事も引き受けることができますし、「プッシュピン・アルマナック」や、それにかわるものとして登場させた「プッシュピン・グラフィック」などを刊行するといったようなこともできるのです。
私たちはパッケージングや映画やイラストレーションやマガジン・デザインに関心を持っているのですが、そういった様々な分野の仕事をする場合に欠かせない機略を私たちに与えられるのが、プッシュピンのようなスタジオなのです。


chuukyuu   18年間に危機はありませんでしたか?
友情の面ではなくて財政面で---


クワス そうですね、幸いにもグラフィック・デザインの仕事は映画や写真を作るのと違って資金はほとんど要らないのです。
このスタジオで仕事を始めた当初、われわれは無一文同然でした。
仕事をするための屋根裏部屋、絵を描くのに必要な用具、電話1台、以上が発足当時私たちが所有していた全財産だったのです。
過去18年の間、私たちが特に注意してきた点は、このスタジオの規模をいかにして小さく保っていったらいいか、ということでした。小さく保っておけば、成長の歪みによって生ずる犠牲は回避できるのです。
ミルトンにしても私自身にしても、常にスタッフの仕事振りに目を光らせ、次から次へと回ってくる書類にサインする手を休める暇もないような経営者になりたいなどと思ったことはただの一度もありませんでした。
私たちはアーチストになりたいと心から願っていたのです。
ですから、私たちはこのスタジオをさらに充実したものにするために、そして私たち自身をアーチストとしてさらに磨きをかけるために、2人の利害関係を同等のものにしておく必要があったのです。


つづく




AN HOUR WITH SEYMOUR CHWAST (3)


Nishio  Now I would like to ask you about the time when you were making Push Pin Almanack, which became the foundation for opening Push Pin Studio. Have you been working for the Almanac since you were a student or after graduation from school?


Chwast  After graduation from school,Milton Glaser, Edward Sorel, Reynold Ruffins and I had a studio where we did freelance work. Milton went to Italy on a Fulbright scholarship and Reynold, Ed and myself started the Push Pin AJmanack while we held full lime jobs. When Milton came back from Europe, he bacame involved in the Almanack and after about a year we decided that we were ready to quit our jobs and form a full time professional studio.


Nishio  Why did you name your studio Push Pin?


Chwast  It was named after the Push Pin Almanack. "Push pins" are used by designers and the quaintness of the word was sort of consistent with the contents of the Almanac itself.


span style="font-weight:bold;">Nishio  How many issues did you print?


Chwast  We did 15 issues of the Push Pin Almanac over a period three years.


Nishio   What kind of a publication is an Almanac?


Chwast  An Almanac was originally an annual handbook for farmers and it had a calendar and told farmers when to plant crops.
It also gave home remedies for sicknesses and forecast good weather and bad.


Nishio   Where did you send them to?


Chwast  We sent them to art directors for the purpose of getting assignments.


Nishio  How did you raise money for publishing the Almanac?


Chwast  We got a printer and typographer interested in it and printed it for nothing because these same art directors we sent the Almanack to also bought printing and type so there was very little expense in publishing it. We had to pay for postage and paper and we developed a mailing list of art directors. We sent out about 2,000 Almanacs each issue.


Nishio   I heard that Push Pin Studio was set up in 1954 ...


Chwast  Yes.


Nishio   How many people were there at the time?


Chwast  We started with three, Milton, Ed, and myself. And then we slowly grew. We added a secretary and a representative and an assistant. Ed left after about a year and Milton and I remained as partners.


Nishio   I heard that you and Milton Glaser are the directors of Push Pin Studio but does it mean that both of you are the presidents of the studio?


Chwast  We are the partners and we equally own the studio. Milton is the president and I am the vice-president of the corporation but we share the responsibilities and the rewards of the studio.


Nishio   Do you have any knack to maintain this partnership for
18 years?


Chwast  I don't know. But son sufficiently satisfied all these years. There has been mutual joy as well as respect working with Milton and the other designers and illustrators at Push Pin. As a studio it is possible for us to do things that we couldn't do as independent freelance artists. We can take assignments that are ambitious and we can do things such as publishing the Push Pin Almanak and its replacement the Push Pin Graphic. We are interested in packaging, films, illustrations and magazine design. A studio such as ours can afford us the resources we need to get into many areas.


Nishio   During the past 18 years, didn't you have any dangerous
time between the two not because of the friendly relationship but because of the business?


Chwast  Well, fortunately in graphic design there is little capital needed, unlike filmmaking or photography. We started in the studio with no money. We had a 10ft just as a place to work and had some art supplies and a telephone that were all necessary to go into business. The problem through the years has been to keep the studio small enough, so that we don't become victimized by growth. Neither Milton nor myself never wanted to become managers where we had to spend all our time looking at other people's work and signing papers.
We wanted to be artists so that we had to balance our interest in developing the studio "and developing ourselves as artists.


>> (4)



(BECKET PAPER Co. ペケット製紙会社 プロモーション用パンフレット)



(シュヴェックス清涼飲料社 アルコール性飲料の雑誌広告)



(シュヴェックス清涼飲料社 ビター・レモンの雑誌広告)



(シュヴェックス清涼飲料社 ビター・オレンジの雑誌広告)


以下の4点は、McCalls Magazine "Start Something" 何かを始めましょう。ただ夢みているだけでなく、実行に移しましょう



(1月編み物始める。2月ベンキ塗り。3月庭いじりなどをやってみる。)



(4月〜6月)



(7月〜9月)



(10月。11月気にいったものを集める。12月真心こめたものを友人などへ贈る。)



(LONDON SUNDAY TIMES)




以下の4点は、AUDIENCE Magazine による test package designs.



(「愛の巣」チョコバー)



(「タイガー」チョコバー)



(「ブレッツ」ガム)



(「セロリ・ペブシン」ガム)



>> (4)




お願いchuukyuu編『アイデア別冊 シーモアクワスト』は38年前に僅少部数だけ
刊行され、これまで、ほとんど人目に触れていません。
もし、あなたが、「もっと多くのデザイナーが目にすればいいのに」とお感じになったのでしたら、
このシリーズのことを、必要なお友達に報らせてあげてください。
アクセス数次第で、順次「ミルトン・グレイサー」「プッシュピン・スタジオ」「ジョン・アルコーン」のシリーズを公開の予定です。
アクセス数が少なければ、時間をさけないので、公開はしません。