(691)[ポール・デイビスとの1時間](3)
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chuukyuu編『アイデア別冊 ポール・デイビス』(1970.12.05刊)より
(illustration for Sports Illustrated Magazine "サラトガ競馬百周年"より)
(Painted for McCall's Magazine for A Story About Africa)
ポール・デイビスとの1時間(3)
プッシュ・ピン・スタジオのころ
chuukyuu ブッシュ・ピン・スタジオにお入りになったのはビジ
ュ
アル・アーツを卒業してすぐだったのですか?
デイビス そうです……といっても正確には卒業してすぐというわ
けではありません。
学校を出てからおよそ半年、仕事がなくてブラブラしていました。
当時は、イラストレイターの職は皆無に等しく、それまでの作品といっ
たらほとんどがイラストレイションという私に、アートディレクターの
口を捜すのはまったくむずかしいことでした。
ましてや、働いてみたいと思う会社にあらかじめ提示する私のポートフ
ォリオときたらコマーシャル・ベースからかなりはづれたものばかりだっ
たのですから無理もないんですがね。
プッシュ・ピン・スタジオに入れたこと自体ラッキーだったとしかいいよ
うがないのです。
ですから卒業してしばらくはフリーで仕事をしていました、というのも、
ただ絵を描いているだけで済むような仕事を経営の重きにおく会社でや
らせてもらおうとすること自体なかなかむずかしいことだったのですから。
いまでもそれは変わっていないと思うのですが……。
chuukyuu プッシュ・ピン・スタジオに入ったばかりのころはどんな
仕事をしていたのですか?
デイビス 採用が決まると、さっそく、なんでもしますからよろし
くと一通り挨拶をかわしておいたのですが、実際職場に出て働くよう
になると、コンプ・レタリングやメカの仕事に加えて急ぎのイラストの仕
事も受けるようになりました。
実を言うと、コンプ・レタリングの仕事はあまり得意じゃなかったんです
よ。
chuukyuu プッシュ・ピン・スタジオで、たとえばミルトン・グレイ
サー氏の仕事を手助けしたとか……
デイビス あのスタジオでは、皆がいっしょになって一つの仕事を
するということはごくまれで、普通はめいめいがそれぞれ自分の仕事を
やっていました。
時には、こまごまとした小さな絵をたくさん必要とする大掛りな仕事の
依頼がくれることもありましたが、そういう場合は皆が協力して働きま
した。
しかし多くの場合これとは逆で、他人は他人、私は私という態度で仕事
をしていました。
ことにイザドア・セルツァーなどはどんな種類の画でも頭を悩ませずにす
ぼやく描いていましたっけ。
その点、私ときたらこれなら描けるけれどそいつはどうもといった具合い
にああでもないしこうでもないと考えこんでしまうほうでした。
chuukyuu 1963年にプッシュ・ピン・スタジオをやめていま
すが、何か特別
な理由があったからなのですか?
それともただ単に独立してみようとお考えになったからですか?
デイビス 独立したいというのが大きな理由でした。
ちょうどそのころが私の人生の大きな転換期でした。
わずか2日間のうちに私は離婚と辞職とをやってのけたのです。
とにかく解放されることを強く望んでいました。
chuukyuu ということは、その後は十分に自由を満喫したってことなのですね。
デイビス もちろんそうです。
それまでの私にはいつも一つだけ頭痛の種がありました。
それは、組織というものです。
いつも私は、規格化されたものとか秩序正しいものとかを見ると、これ
以上の不幸はないと感じていました。
とにかくその後はすべてがまったく自由で……幸せな話ですよね、まっ
たく。
アイデアの源
chuukyuu さて、あなたご自身のこと、イラストレイション
のことをおきき
します。
現在あなたはどのようにして仕事をなさっていますか?
デイビス 一番はじめにぶつかるもっともむずかしい問題は、
「アイデア」をつきとめることです。
アイデアがなかなか浮かばないで四苦八苦することが度々あります。
これにはもっとも多くの時間を必要とします。
さて、そうこうしているうちにアイデアが浮かんだとしましょう。
この段階でしなければならないのがそのアイデアを一つの構想にまとめ、
さらにあらゆる角度から吟味することです。
この時私に色々とアドバイスしてくれるのが私の妻なのです。
こうしてすべてが一つの絵となって現われて、はじめて私は筆をとるの
です。
一度アイデアがまとまったら、実際に画を描くのに必要な時間は極くわ
ずかでいいと私は信じています。
アイデアをつかむという一番最初の段階でつまずいてしまったり間違っ
たアイデアだったり、あるいは吟味が十分でなかったりするとすべてが
間違った方向に進んでしまいます。
ですから一度間違いに気づいたなら、私はもう一度はじめからすべてを
やり直さなければなりません。
chuukyuu あなたご自身に特に強い影響を与えた画家やイラストレイター、あるいは
グラフィック・デザイナーがいたらその人たちの名を挙げてください。
デイビス 私がもっとも強く影響を受けた人の多くは、マルグリットや
ルソーの系列にあげられる画家です。
それからアメリカの初期のすべての画家たちがそうです。
最近は、ピェール・デラ・フランチェスカのようなルネサンス初期の
画家からの影響の方が強いのではないかと感じていますが。
chuukyuu どんな点で?
デイビス 私はごく最近イタリア旅行から帰ってきたのですが、イタ
リアに行ったという事自体にこの質問に対する答えが隠されているよう
な気がするのですが。
私はそれまでに本を通してルネサンス初期のまだきらびやかになる前の
作品をたくさん目にしていました。
そして魅せられたのです。
ですからわざわざイタリアまで出向いたのです。
しばしば、無意識のうちに私の絵は現実主義的(リアリスティック)傾向
をたどることがあります。
私は自分の絵の中に冷淡なまでのよそよそしさを、非情なまでの厳しさ
を見るのが極端に嫌いなものですから、そうした傾向が自分のどこかに
潜んでいると知ると、いてもたってもいられず、自分自身に反抗するか
のごとく、だれか私に強い影響を及ぼしてくれるルネサンス期前の画家
はいないものかとふり返って考えてみるのです。
私の本当の人生観は決してリアリストではなくてヒューマニストなのです。
ヒューマニストと言いましたが……これを極めるとなるとなかなかむずか
しいことになるのですが。
アートもここまでくると堅くるしい現実主義的なものになってしまい、遂
には機械と同じようなものになってしまうのです。
これと同じことが私の仕事の中に起こりつつあることに気がついた時、す
でに私はあまりにも大きな妨害を受けているのです。
ですからもっと素朴になろうと私は自分自身に強く言いきかせるのです。
(Illustration for Holiday Magazine, Missisppi)
(Illustration for Redbook 「梨のすべて」)
(Illustration and Logo Design バルバドス諸島観光案内)
(サンタフェの歴史)
(Illustration for Play Boy Magazine)
(Painted For Push Pin Graphic "Chritsmas" Issue)
(Painted For Push Pin Graphic "Love" Issue)
An hour with Paul Davis(3) interviewed by Tadahisa Nishio
Push Pin Studios Period
Nishio Did you enter Push Pin Studios soon after graduating from Visual Arts?
Davis Yes. When I first left I couldn't find a job for about six months. Because I was showing a very un-commercial portfolio I couldn't get a job as an art director, and there were no jobs for illustrators. Most of my work was illustration and I' took out all the design works, in fact purposely.
Finally I was lucky. I was doing freelance work a little bit, but it was really difficult to find a staff job where you could draw and I suppose it still is.
Nishio What kind of job did you get at Push Pin Studios in the beginning?
Davis Well, when I entered I told them that I would do anything
but they gave me drawings to do right away in addition
to doing comp lettering and mechanicals. But I wasn't a
good comp letterer.
Nishio How did you work at the studio? For instance, did you
work under the direction of or co-operate with Mr. Milton
Glaser?
Davis Occasionally we did work on the same kind of the job together, but usually everyone there worked on his own job. Sometimes when we had a big project with lots of little drawings, we all did them together, and other times we worked alone. Isadore Seltzer could draw anything, very quickly without any complexes.
I always had a complex about certain things: there were some things I could draw and some things I couldn't draw and I struggled alot.
Nishio In 1963 you quit this studio but is there any special
reason for that or you just thought you should be independent?
Davis Yes, it was mostly just to be independent. My whole life changed at once. I got divorced and quit my job in two days. So I really wanted to be free.
Nishio Then you must be feeling very happy after that.
Davis Oh, yes. I always had one trouble, and that was regimentation. If anytime things are regimented or in order, I feel very unhappy, and things were just very free after that.
Nishio Now we'd like to ask you about yourself and your recent
illustration work. What kind of steps do you go through when you draw illustrations?
Davis The first thing, the hardest thing, is arriving at the idea.
Very often I don't have any idea at first. That takes more time than anything. Once I've got a clear picture of it, I do lots of research and my wife helps me with that. I gather all the pictures I need and then I sit down to paint.
I really think that once the idea is clear, the painting is the shortest part of it. If I make a mistake in the beginning, or have a bad idea, or I don't get the right research, then everything goes wrong. When I realize it, I have to start back at the first.
Nishio Did you get any special influence from other painters or
illustrators or graphic designers?
Davis I think most of the people that I've been influenced by are painters like Magritte and Rousseau and almost all ofthe American primitive painters. And lately I feel more under the influence of early Renaissance like Piero della Francesca.
Nishio How?
Davis I just came back from Italy. I think that that is the reason I went to Italy, because I've been looking at lots of books of early Renaissance work; you know, before it got very slick. Every so often my work begins to get more and more realistic and then I sort of rebel. I go back again to be influenced by more primitive people because I don't like
it to get too cold or too hard. I think really my view of life is humanist and not realist.
Humanist I mean ... well, this is very hard. Art sometimes goes so far that it becomes hard and realistic and it becomes machine like.
And when I find it happening in my work, I become too disturbed by it and go back to be more primitive.
(つづく to tomorrow)