創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(622)[ニューヨーカー・アーカイブ]を基にエイビス・シリーズ(14)


指を2本立てた、No.2のキャンペーンが始まったのは、"The NEWYORKER" では、1963年5月16日号からでした。
これは、1964年10月3日の"The NEWYORKER" に掲載されました。
約1年半経過、14番目の広告です。
ニューヨーク市での売り上げは、最初の1ヶ月で51パーセント上昇したとの記録があります。
全国的には7ヶ月で31パーセント増という、これまた驚異的な数字でした。
エイビスの当初の目標は、弱小の安売りレンタカーに対抗するはずでした。


ところが、市場占有率でも、徐々に1位のハーツのそれを侵食していました。
(これについては中間の数字は手元にはありませんが、6年間で29.9パーセントから、37.6パーセントまであがり、ハーツは56.6パーセントから48.9パーセントまで落ちたという結果の数字はあります)


29.9% 対 56.6%の戦いが、37.6% 対 48.9% の対峙へ向かったといっていいでしょう。



エイビスの第1弾のこの広告は
よくある、
マジソン街流の誇大広告だった?


はい、その通り。
だから、広告はすばらしい効果をあげました。
第1弾の広告は、実に多くの人を魅きつけました。
私たちはレンタカー業界で2位でしかないのだから、お客さまのために一所懸命にやりますと宣言したのです。
お客さまは、すべての言葉を信じてくださいました。
お客さまは、私たちが広告で約束したすべてのこと---清潔な灰皿、満タンのガソリン、きちんと動くワイパー、心からの笑顔、ピカピカのフォードの新車---が実現されていることを期待なさいました。
ほとんどの方は、失望されることはありませんでした。
その方々は、再度、車を借りに見えました。さらに、くり返しくり返し。お友だちも連れて。
あなただって、冗談でお店を幾度も訪れたりはなさいませんよね。
ましてや第1弾が、誇大広告だったりしたら。
広告は真実を語っていました。



C/W エド・ヴァレンティ Ed Valenti
A/D ヘルムート・クローン Helmut Krone
"The NEWYORKER" 1964.10.03


(訳:FuFuFu & chuukyuu)

こちらは、DDB自身の企業広告。
「あなたがレンタカー会社を経営したらこんな広告作りますか」というのを、ライフに載っけたんですね。
たぶん、広告出稿量の増大へのページ無料提供を利用したのでしょうか。





あなたがレンタカー事業をやっていたとして、
こんな広告を出したいとお思いになりますか?


自分のことを業界で2位だなんていう広告主はいません。
しかし、大胆に、そして劇的に語られた真実には、迫真力があります。
上の広告のように。
私たちは、このフランクな(だからこそ関心を引くことができる)やり方を基本にしています。
負け犬の訴えは巨大です。消費者の心に、すごく親密な、そしてすばやい反応をひき起こします。
エイビスはそうしました。
エイビス・キャンペーンの成功と、DDBの仕事の多くの成功は、広告の真実を実にみごとに強調しています。
成功する広告には、よいアイデア以上のものが必要だということ。
それは、よいクライアントです。


       ドイル・デ−ン・バーンバック 広告社


DDBにとって、エイビスは、確実に、ビートルに次いで、プレステイジ・クライアントになっていました。