創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(623)[ニューヨーカー・アーカイブ]を基にエイビス・シリーズ(15)


1年間以上も衰えなかった"We try harder"バッジの人気


きょう、掲出した広告は、このシリーズの第6回目、1963.11.23号の『ニューヨーカー』誌に掲載されたものと、一行一句、異なりません。


アンコールのわけは、"We try harder"バッジの人気---(あるいは要望)が、1年間、ずっとつづいていたということでしょう。


この"We try harder"バッジを提案したのは、DDBの販売促進部のケイ・ギブソン氏でした。"We try harder"が全国的に流行語となっているのだから、さらにそれを定着させるために、空港のエイビス・カウンターにおくべきである、と考えたのです。
ちゃちな名入りボールペンとかなんかのギブ・ア・ウェイよりもよほど喜ばれる---と主張しました。
難色を示したのは、ヘルムート・クローン氏だったといいます。
「安っぽすぎないか。"We try harder"キャンペーンは、全エイビス関係者が必死になって格闘しているキャンペーンである。それを、こんなバッジでシンボライズしていいのかね?」


しかし、エイビスの仕事に従事している人たちは、すすんで胸に挿しました。
空港に降り立ち、エイビス・カウンターにやってきた人たちも、一つ、二つとポケットに入れました。
クローン氏は、自分のレベルで判定をくだしていたことを認めた---というより、キャンペーンがずっと広い層に共感されていたということ。


エイビス側は、さらに予算をつけて、増刷することになり、この広告となったのです。



このエイビス・ボタン
大学生の息子さんへ送ってやりたいと
お思いになりませんか?


あるいは、お宅へ皿洗い機を設置にきた人に? または、あなたのシャツのボタンがとれたままで渡したクリーニング屋に?
この「もっと一生懸命にやりますボタン」は、あなたのお知り合いのだれかの目を覚まさせます。
私たちをそうしたように。
このボタンは、私たちをふるい立たせました。レンタカー業界で2位にすぎないということを私たちに思い出させました。あなたに、ぴかぴかのスーパー・トルクのフォードのような新車をお貸しするだけでなく、とてもたくさんしなければならないことがあったのです。
私たちは、あなたに、またいらしていただくようにするために、もっと一生懸命にやらないといけませんでした。
私たちのみんなが、です。
受付カウンターの女性も、ガソリン・タンクを満タンにする男性も、整備係も、そして事務所にいる社長も。私たちは依然として2位にすぎないのです。けれども、目に見えて向上しています。
どこのエイビスのカウンターでもけっこう、ボタンをお取りください。
もし、スローガンが効力を発揮していなかったら、裏がえして襟に挿し直してやってください。


C/W ポーラ・グリーン Paula Green
A/D ヘルムート・クローン Helmut Krone
"The NEWYORKER" 1964.10.24
1963.11.23