創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(615)[ニューヨーカー・アーカイブ]を基にエイビス・シリーズ(7)


コマーシャル攻勢を軽くかわす


エイビスの「2位」キャンペーンが感情面(判官びいき)でも社会現象面(流行語)でも現実の営業面(売り上げと利益)でも、急速に効果をあげてきますと、ハーツにしてみれば「1位」であることが、なんだか悪いことをしているように世間が思っている……という心配にとりつかれる幹部がでてきても、その人たちを非難できません。


ハーツ側は、意を決して、反撃にでることにしました。
エイビス側が雑誌と新聞広告に予算を集中しているのに目をつけて、土俵をかえ、テレビ・コマーシャルを大量に流すことにしたのです。
ハーツのものすごい量のCMがテレビ画面にあらわれはじめると、エイビスも負けてはいません。
やり返してきました。
それも、じつに巧妙なやり方で…。



エイビスはテレビ・コマーシャル代が
払えません。
喜ばしいことじゃ、ありませんか?


テレビ・コマーシャル1本つくる費用をご存じでしょうか?
約1万5000ドル。
もちろん、その中には、ハイウェイとか、西部の空とか、車、カワイ子ちゃん、
そして音楽好きの心をときめかすような調子のいいコマーシャル・ソング製作費も含まれています。
それを電波に乗せるためには、さらに、放送料も払わないといけません。
エイビスには、そういうお金はありません。
私たちは、2位のレンタカーにすぎないのです。
私たちが持っているものといえば、ピカピカのスーパー・トルクのフォードのような生きのいい車をたくさん。丁重にふるまうことをいとわない女性たちが、お待ちしている受付をたくさん---なのです。
私たちには、テレビ・コマーシャル以外はなんでもあります。
業績も上向いています。
近いうちに、あなたは喜んでばかりはいられなくなるかも。


C/W ポーラ・グリーン Paula Green
A/D ヘルムート・クローン Helmut Krone
"The NEWYORKER" 1964.02.07


この広告は、広告界では物議をかもしました。
テレビを利用している広告主をバカにするにもほどがある……というのです。
しかし、一般の消費者は、いっそうエイビスびいきになってしまいました。 


頭にきたのは、ハーツです。
それはそうでしょう、多額の予算をテレビにつぎこんだところ、それがまるでムダ使いであるかのように野次られてしまったのですから。
ところが、エイビスのこの広告をよく読んでみると、「ハーツがテレビにお金を使っている」とはひと言も書いてはいません。


ハーツは「とらと猫」と題する雑誌広告でやり返しましたが……。




とらと猫


ある日、とらと猫が偶然に、森の奥にあるガソリン・スタンドで出合いました。
「ねえ君。いつかどこかで会ったことがなかったっけ? わかった、君はぼくにそっくりなんだ」と猫。
『いくらかね』と、とらが答えました。
「ぼくは、君とそっくりの長い尻っぽをもっているし、ひげも、四本の足も、毛並みもそっくりだね。ぼくの目は、暗いとこで光るんだぜ」と猫。
『たしかに。でも、全体的にみたら、どこかちがってるぜ』ととら。
「まあ、とにかく、ぼくは君のつぎに偉いんだ」と猫。
そして猫は、とらのつぎに自分が偉いんだとつぶやきながら、あらあらしく車を駆っていきました。
猫は、とらよりも大きく、強くなりたいと思っていました。そして、猫はいつも「とらはぼくに似ているべきだ。なぜって、ぼくはとらに追いつこうと一生懸命やっているんだから」と結ぴました。
こんな調子で一年が過ぎ、猫ととらは再会しました。猫は車からとびおりて、とらのところへ駆けより、
「見て。ぼくがどんなに大きくなったか……』
『じっさいは、君はほんのすこししか大きくなっていないよ。気がつかないのかい? ぼくはとっても大きくなったよ』とらはやさしく答えました。


物語ふうにエイビスを皮肉っています。


これも失敗でした。
判官びいきの消費者が、このハーツの広告に対していったのは、
「一位のくせに弱いものいじめをするなんて、みっともない」