創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(614)[ニューヨーカー・アーカイブ]を基にエイビス・シリーズ(6)


広告が一つの会社を変化させ、進歩を助けた稀な例


主たる訴求対象はビジネス・ピープルでした。
彼(女)たちをねらったのは、短期レンタカー(たとえば、空港→市内とか、短期滞在の出張先とかで、1時間からIヶ月間利用する)の客は、彼(女)らが中心になっているというマーケット調査に基づいているのです。


「NO.2(ナンバー・ツー)」広告は、たいへんな効果を発揮しはじめました。


エイビス1,800営業所の従業員のモラール(士気・執務態度)が変わりました。
接客の第1線にいるカウンターの受付女性たちがにこやかに客を迎えるようになりました。
受付カードを記入する速度も早くなりました。
客がひやかすように、
「きょうは、上天気だね」
「私たちは、2位なのです。もっと頑張らなくちゃいけませんでしょう?」
エイビス女性たちは、すかさず答え、客を笑わせるのでした。


「私たちは、2位にすぎません」というだけで、カウンターをはさみ、客とのあいだになごやかな雰囲気がかもし出されました。


配車係たちの動作も、キビキビとしてきました。
貸し出し前の車は、灰皿の中まで入念にチェックされました。
それでも、ときどき手ぬかりがありました。


客のひとりが、灰皿の中にチューインガムのカスが残っていたと苦情をいってきたとき、配車係は、こう答えました。
「ありがとうございました。私たちは前進するために、あなたのご協力を必要としています。私たちは、業界ではまだ2位にすぎません。私たちは、一所懸命にやらなくちゃならないのす。どうかこれからも、肩をすくめて『仕方がないや』でおすましにならないで、どしどし、苦情をおっしゃってください」
客は、片目をつむって、
「じつは、私の会社は、業界で9位なんだよ。エイビス以上にがんばらなきゃいけないね」
と笑いました。


この客は、DDBのコピー主任でした。
ポーラ・グリーン夫人の上役で、チューインガムも彼がわざと入れたものでした。


「2位」であることを宣言した場合、「どうせ俺たちゃあ、No.2さ」と従業員たちが負け犬意識におちいるのではないか、と懸念したエイビスの幹部もあったのですが、杞憂に終わりました。

アメリカでは、多くの人が、この[2位]キャンぺーンを、広告が一つの会社を変化させ、進歩することを助けた、きわめて稀な例として、高く評価しています。

 


このエイビス・ボタン
大学生の息子さんへ送ってやりたいと
お思いになりませんか?


あるいは、お宅へ皿洗い機を設置にきた人に? または、あなたのシャツのボタンがとれたままで渡したクリーニング屋に?
この「もっと一生懸命にやりますボタン」は、あなたのお知り合いのだれかの目を覚まさせます。
私たちをそうしたように。
このボタンは、私たちをふるい立たせました。レンタカー業界で2位にすぎないということを私たちに思い出させました。あなたに、ぴかぴかのスーパー・トルクのフォードのような新車をお貸しするだけでなく、とてもたくさんしなければならないことがあったのです。
私たちは、あなたに、またいらしていただくようにするために、もっと一生懸命にやらないといけませんでした。
私たちのみんなが、です。
受付カウンターの女姓も、ガソリン・タンクを満タンにする男性も、整備員も、そして事務所にいる社長も。私たちは依然として2位にすぎないのです。けれども、目に見えて向上しています。
どこのエイビスのカウンターでもけっこう、ボタンをお取りください。
もし、スローガンが効力を発揮していなかったら、裏がえして襟に挿しなおしてやってください。


C/W ポーラ・グリーン Paula Green
A/D ヘルムート・クローン Helmut Krone
"The NEWYORKER" 1963.11.23, 1964.10.24


サンフランシスコ空港のエイビス受付カウンター。
カウンターの一隅に各国語の"We try harder" ボタンが透明なボールに盛られていた。
3ヶ国語を探してとったら、受付の女性がほかのカウンターからもう4ヶ国語をとってきてくれました。