創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(593)東京コピーライターズクラブ・ハウスでのスピーチ(3)

昨日からのつづき

日本の広告とアメリカのDDBがつくった広告の違いについて。


では、日本の広告とアメリカのDDBがつくった広告と
どう違うのかというのを、これから具体的に話します。
DDBという会社は1949年、ですから、
戦争が終って4年後にできた会社です。


どういうことかと言いますと、戦争中、ヨーロッパとか
太平洋とかにアメリカの兵隊がいっぱい出たわけです。
それがアメリカのいわゆる家庭生活というものを非常に
富ましたと思うんですよ。
それまで田舎でシャワーも知らなかった兵隊が
軍隊でシャワーを浴びて、こんなものもあるのかと
気が付いて、おらが村さ帰ったらこれをやろうって
考えたんだろう思うんです。


ノーマン・メイラーの『裸者と死者』というガダルカナル
を描いた小説を読むと、そういえます


それが丁度戦争が終って4年ぐらいたったときに一般化して、
同時に合理化して生産するということを、
どんどん工場のほうもやったと思うんです。
その花が咲いたころが1949年だろうと。
その1949年6月1日にドイルとデーンと
バーンバックさんの3人が会社を作ったんです。


【参照】バーンバックさん、創業25周年を語る



まず、シーヴァス・リーガルの事例を紹介。


それから20年後ぐらいにシーヴァス・リーガルという会社が、
広告を作ってくれないかと頼みに来た。


ヘッドラインだけ読みますと、
「シーヴァス・リーガルの瓶を変えた間抜けは誰だ」と書いてある。
これがDDBが手がけたシーヴァスの最初の広告なんです。


シーヴァス・リーガルの瓶を変えたマヌケはだれ?


シーヴァス・リーガルの社員は、最近瓶を変えたことで、なんらかの抗議がくるのは覚悟していました。
こてんこてんにやられることさえ、いとわないつもりでした。
確かに最初は無茶なことのように思えました。
どうしてクラシックな瓶を変えるのか?
風格のあるダーク・グリーンの瓶ですよ。そしてウォルター・スコット卿時代からのものらしい古色蒼然たるラベルと。
「瓶型を変えなかったのが不思議なぐらいだ」
とあるシーヴァス・リーガルのファンの方がつぶやいていらっしゃいましたっけ。
そうなんです。瓶型は変わっていません。
あいかわらずのずんぐりで、気どっています。
そんなことより大切なこと。中味のスコッチもあいかわらずのシーヴァス・リーガルなのです。
12歳より一日として若くはなく、「うまくて、時代を経たウイスキーは天国の酒」というやつです。
では、どうして瓶を透明な硬質ガラスに変えたのでしょう? どうして古いラベルを明るくしたのでしょう?
いま私たちが住んでいる世が混乱の世であるからです。
小さな混乱の一つに、「軽い」スコッチとはどういうものであるかということがあります。
「軽い」スコッチは、色も淡いと考えていらっしゃる人がいらっしゃいます。色は軽さとは全く無関係なのです。
「軽い」スコッチとは「薄められた」ウイスキーだと考えている人もいらっしゃいます。いいえ、そうではないのです。ほとんどのスコッチは86度です。
本当の意味での軽さとは、スコッチらしい「口当りのよさ」をいうのです。
軽いスコッチは水のようにスーツとのどを降りていきます。あるいは蜜のように。「くちびるのかみしめ」も起こりません。息がつまることも、たじろぎも、身ぶるいも起こりません。
たくさんの人がシーヴァス・リーガルがいちばん口当りがよい(あるいは、いちばんライトな)スコッチだと考えていらっしゃいます。
なぜ?
1786年以来、シーヴァス・リーガルはグレンリベットのソフトなハイランド・ウイスキー(一級のスコッチ・ウイスキー)でつくられています。
熟成には、あいかわらずスペインから法外な価格のシェリーの樽を輸入して熟れさせています (1樽35ポンド以上かかります)。
あいかわらず、シーヴァス・リーガルは透明な琥珀色をしています。
この色なんです、瓶を変えることになったのは---。
シーヴァス・リーガルを試したことのない人がたくさんいらっしゃいます。それは、この透明な琥珀色が見えなかったからです。
すてきな瓶ではありましたが、古いダーク・グリーンの瓶がシーヴァス・リーガルをダークに見せていたのです。
それで「重い」と言っていた人もいらっしゃったのです。
レストランやバーでシーヴァス・リーガルを見たことのない人もたくさんいらっしゃいました。
かつてのダークな瓶とラベルが隠していたせいです。
これからは大丈夫。
新しく透明になった瓶のおかげで、なにものにも邪魔されないシーヴァス・リーガルの真の姿がはっきり見えます。
そして暖かく歓迎されてもいます。
とまあ、こんなふうに考えていただけば、そんなに間抜けでもないでしょう?
さすが---といっていただきたいぐらいのものです。


1962.5.12 『ニューヨーカー』


クライアントのところに持っていったら、
見て腰抜かした。


シーヴァスの会社は、
黒い瓶から透明な瓶にした。
お酒の色も少し薄くした。

ウィスキーの色は着色なんです。

つまり、アメリカ人のスコッチを飲む人たちというのは
軽いウイスキーを求めているというんで、黒い瓶から
透明な瓶に変えた。
瓶形は変えていないんです。
ラベルも、同じデザインで、明るめにした。


そういうことを書いて、持っていったら、
この「間抜け」というのは困ると。「天才」と書いてくれと、
クライアントに言われた。


それでバーンバックさんが、天才と言ったら誰も読まない。
信用しない。自分のことを間抜けと言うから、
みんなが読むんだ、かえって信頼するんだと言って
筋を通しちゃったわけです。
だからDDBといえども、すんなり通るような広告ばっかり
作っているわけじゃないんですね。一度は問題を起こしている。


これは、日本のお酒会社が
しばしば拝借するでしょう。
「ホスト側がもう半分飲まれたといい、
客側はまだ半分残っているという」という有名な広告ですね。


もう半分も飲んだのか、と主人側。
まだ、半分もあるじゃない、と客。


1975.5.26 『ニューヨーカー』


A/D Charles Gennarelli
C/W Larry Levenson

同巧のアイデアでも、目先き変えられる---


こちらの瓶は半分       こちらの瓶は半分
しか残ってない       も残っている


もしこれがあなたの瓶だとなると、あなたは、
多分、半分しかのこっていないと感じる。


しかるに、友人宅を訪れて、その瓶が同じ状態だと、
あなたはまだ半分も残っていると安心する。


1970.9.26『ニューヨーカー』


同じことを言っているわけですね。


優美なデカンターへ移さないほうが
より優美な場合もありますよね。


A/D Bill Harris
C/W Peter Murphy


1974.12.2 『ニューヨーカー』


シーヴァスのいい酒だけで十分だと。


もちろん、シーヴァス・リーガルなしでも生きてはいけます。
しかし、そんな生き方が楽しいといえましょうか。


1978.2.28 『ニューヨーカー』


で、キャビアを出してね。


父の日は、おじいちゃんの日でもあります。


1978年6月12日 『ニューヨーカー』


2本贈りましょう。


こう、考えることにしたら。
シーヴァスが空になってしまったのではなく、
友だちが数人増えたのだって。


1969.3.15 『ニューヨーカー』

A/D Mike Lowlor
C/W Mike Mangano


ボトルのせいで、人びとはシーヴァス・リーガルを買う。そう思われるのでしたら、これを売ってみてください。


art director : Jim Scalfone
copywriter: Larry Sillan


お金持ちのスコッチ
(でも、シーヴァス・リーガルは普通のスコッチよりそれほど高いわけではありません)


"Harper's Bazaar Octover 1977

12年物ですからね、普通のスコッチよりちょっと高い。
2ドル高い。


シーヴァスが減ってくるにつれて、
気前のよさも減っていきませんか?


1972.11.11 『ニューヨーカー』


シーヴァスが減ってくると、注ぐ酒が少なめになってくる。


他のスコッチより栓を開けにくいように
思えるのは、
他のスコッチよりきつく栓をしめている
からなんでしょうな。


1970.2.14 『ニューヨーカー』


開けるときに感じる。常に、飲まれないように、強く締めている。


シーヴァス・リーガルでもてなす時には、急に
氷の大盤振るまいなりませんか?


1969.4.19 『ニューヨーカー』


ここんところ毎年、贈られたネクタイをお義理で締めてはいる。
だけど、本音(ほんね)は---ね。


1970.6.6 『ニューヨーカー』


「この広告を作るまでに6年かかりました」と。
クライアント側の会長は、シーヴァスはすごい酒なんだから
円柱にのっけろよと言うんだけど、そんなのどこの酒でも
できるんじゃないかって全部断ってきた。
だけども、そんなにおっしゃるんならやりましょうということで、
6年目にやってあげたというんですね。

DDBといえども、毎回クライアントから、こうやってくれ、
と言われていたということを言っているわけです。
すんなり通っているわけじゃないんです。
やっぱり相当きついやりとりがあるわけですね。



シーヴァス・リーガルの会長は、6年目についにこの広告を出してもらえることになりました。 


「シーヴァスには柱脚つき台座がふさわしい」彼(会長)は私たち(DDB)に憶えきれないほど何回も説いてきました。
「そんな広告は古くさいもいいとこだ」 私たちは彼に数えきれないほどそう説明してきました。
「どこが古くさい?」 会長はいつもこう訊き返したものです。「シーヴァス・リーガルは世界最高級のスコッチだ。台座に合うスコッチは、シーヴァスをおいて、ほかにないはずだ」
「それはそうです」と私たちの返事はお定まり。しかし、台座に載せただけでは、世界最高級のスコッチだと人びとを説得させられない。そんなのはどんなスコッチにだってできる」
「わかった」会長の返事はいつもこう。「広告は君らが専門家なんだから」


何年もこんなことのくり返しでした。でも、数か月前、仕方がない、一度会長のやりたいように写真を撮らせて、私たちが言ってる意味をわかってもらうよりないということになりました。
そう、やってみると、この写真は、私たちにもあることを教えてくれました。
台座に置かれたシーヴァス・リーガルは幾分古めかしく見えます。
しかし、ほかのスコッチがこれをやっていたら、きっと平凡で陳腐なもののように写ったに違いないのです。


1967.10.21 『ニューヨーカー』


DDBのいろんな作品の中で、
ぼくはこのシーヴァスのシリーズがすごく好きなんです。
酒飲みの心理をぴりっと突いているでしょう。


ワーゲンのシリーズは、どことなく無理がある。
やっぱり、ああいう車ですからね、
全員に好かれるとは思わない。
シーヴァスのシリーズは、酒を飲む人だったら、
買う、買わないは別として、
うん、うんと納得する。


しかも12年物ですから。
中味は知りませんよ。
だって12年物がちょっぴり入っているだけでしょうから。
あとはブレンドでやっている。


ただ、この広告シリーズで売上が3倍になったというんです。
他のスコッチは段々だんだん落ちていったと。


なぜ落ちたかというと、ワインに変わっていった。
ワインのほうが粋に見えると。


パーティー用の酒ですからね。
パーティーに、日本でもワインが
出てくるようになったでしょう。
アメリカではもっと早々と。
スコッチというと、われわれはジョニ赤とか
ジョニ黒という時代ですけど。


イギリスは戦後10年以上、15年以上かな、もっとかな、
イギリスに住んでいる人たちはスコッチ飲めなかったんです。
全部アメリカに輸出していたんです。
要するに借りていた戦費を返していた。
スコッチも、返済戦費の一部。
ですから、とにかく飲んでくれなきゃ政府も困る。
戦費の元がとれないから。だけれども、やっぱり
スコッチってそれほどうまいものではない。


大英帝国でもある時期、スコッチは飲まれなかったんです。
フランスとかから輸入して、ワインを飲んでいたんです、
ところが、根切り虫というのが19世紀の終わり頃
ヨーロッパに蔓延して、それでワインができなくなった。


呑み助というのはどこの国にもいるわけですから、
何かないかって探したらスコッチがあるんじゃないかと、
じゃ、あれを薄めて飲めばいいということになった。


だから、根切り虫が退治でき---退治というよりも
根切り虫に強い木を接木してブドウ畑が復活したら、
大英帝国はスコッチを飲まなくなってワインのほうに行く。


そういうわけで、
アメリカでもワインを飲み始めるとスコッチを飲まなくなってくる。
だけど、これだけは伸びたということなんですね。


ぼくは開高健の「人間らしくやりたいナ」というのも好きだけども、
シーヴァスが酒飲みの心理を突いているように思うんです。
「人間らしく」も素晴らしいと思います。


さっきジョージ・ロイスの話をしましたね。


ジョージ・ロイスが自分の会社を興して
ウオッカの広告を作ったんです。
そのときに、もうちょっと助平さを入れたんです。
バーで飲んでいて隣の女の子の膝に手を置くぐらいの助平。
ウォッカの広告をそういう形にやったんです。


ダブルミーニングです。
ウオッカの瓶が、
「ああ、可愛い子ちゃん。おれと一緒に寝れば
素晴らしいブラッディ・マリーが作れるよ」
こう言うと。トマトのほうがね、
「あなたって、いかすからね」と。
「あなたのものって、いいからね」みたいに言うわけですね。


     
「きみは、たいしたトマトだよ。2人で美味しいブラディ・マリーがつくれるよ。ぼくは、その辺の連中とはできが違うんだからね」  
  「あなたって好さよ、ウルフシュミット。あなたって、あれがいかすんだもの」


ウルフシュミット・ウォッカは、純正でよき時代のウォッカ特有の微妙な味わいを持っています。ブラディ・マリーに使ったウルフシュミットは、勝ち誇ったトマトの味です。ウルフシュミットはひとロごとに最高の味わいです。


今度はオレンジが転がっていると、
「そこの可愛い子ちゃん。俺があなたをいいところを
引き出して有名にしてあげるよ」



「かわいいお嬢さん。ほんとにカワイ子ちゃん。ぼくの趣味にピンとくるね。ぼくがきみのいいところをひき出して有名にしてあげよう。こっちに転がってきて、キスしようよ」 「先週ごいっしょだったトマトさんとは、どうだったの?」


ウルフシュミッツ・ウォッカは、純正でよき時代のウォッカ特有の微妙な味わいを持っています。スクリュー・ドライバーに使われたウルフシュミットは、オレンジを恍惚とさせます。ウルフシュミッツは、ひと口ごとに最高です。


タレントスカウトの常套文句じゃないですか。
それを言うと、
「先週のトマトさんは、どなた?」と、
オレンジがいなす。
スクリュードライバーですね。


男と女のシリーズ広告でした。
ウオッカですからね、もう少しレベル落として
いいわけですよ、
ウオッカを飲む人というのは、そんなに高尚じゃない。
シーヴァスを飲む人はもう少し高尚だけど。


いわゆる人格ですか。人格といったら、
日本語の人格という言葉だとちょっと違うね。
個性というのかな、色合い、人間の色合いというのかな。


僕は広告というのは、どうやって商品、あるいは企業に
人間くささを与えるかだと思うんです。
それ、どういう製品と聞かれて、
ぱっと、こういう製品っていう
答えををつくる---
お酒なら助平でいいわけですよ。
人格をぽんと与えるのが広告じゃないかと。


いまの日本の広告で、
いい広告と言われているのは、全部が一品広告なんですよ。
一品もいいのを作らないかんですけど、
一品一品重なってきてひとつの人格が、
人間像というのがそこへ出てくるような
広告でなきゃいかんのじゃないかと。


そこの点では土屋君がやっていたんじゃないかな
という気がするのね、
それともうひとつは、
会社をあまりうぬぼれさせない広告だと思います。


うちの会社はでっかいだとか、工場はこんなに立派だとか、
生産工程はこんなふうに完備しているとか、
そんなことを言っていたでしょう。
そういうことを言わない広告のほうがいいんじゃないかと、
思うんですけど。


明日は---】
DDBにとって、フォルクスワーゲンの次に
プレステージ・クライアントとなったエイビスの事例。


明日につづく