創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(591)東京コピーライターズクラブ・ハウスでのスピーチ(1)

2009年10月20日に開かれた、西尾忠久さんを囲む会。
DDBの黄金期をリアルタイムで体験した世代の方から、
いまなお色あせないクリエイティブ作法を学ぼうという若手の方まで、
たくさんの人で会場はにぎわいました。
梶原正弘さんを聞き手として、クリエイティブの枠を超えて、
広告ビジネスについて実に多くのことを西尾さんは語られました。
その模様をご報告します。


【節分けと、それに付された赤い色のリードは、TCCのご担当の方の手によるものです】


まずはじめに、おすすめの本と、これからのコピーライターに求められることについて…。


       ★     ★     ★


この5年間のうちに、興奮して読んだ本が二つあります。
ひとつが、作家・宮城谷昌光さんの小説。
簡単に手に入るのは、新潮文庫6冊の『風は山河より』で
端正な文章がすばらしい。
もうひとつが、梅田望夫さんの『ウェブ進化論』。
これには、インターネットではみんなが文章を書くから、
原稿料が限りなく安くなるとあります。
今までみたいに「コピー書いていくら」といってられへんよ、
ということですね。


そしてインターネットの話から、
西尾さんがブログ「創造と環境」で日々紹介されている
DDBの話へと流れていきます。


日本の広告はアメリカに50年遅れているといわれています。
1960年代から70年代にかけてアメリカの広告界で起きた
変化のことを「広告革命」といいますが、
そこには3つの意味があります。


まず、クリエイティブ革命


これはいまも変わらず生きていると思います。
でも、日本では残りの2つの革命が欠けている。


そのひとつは、「ビジネス革命」。


日本ではプロダクションは広告代理店になれない。
マスメディアの枠を買えないんですね。
これからはどうか分かりませんが---。
インターネットにはまだ利権がないですからね。
でも、いままではメディアの枠が買えなかった。
アメリカの場合は、誰でもメディアが自由に買える。


だからクリエイターが会社をつくって、
メディアを買うということができたんです。
そういった広告ビジネスの変化が日本ではできなかった。


そしてもうひとつは、「インカム革命」。


インカムというのは収入です。
当時のアメリカの人たちがやったことは、DDBもそうだし、
メリー・ウェルズも、ジョージ・ロイスも
そうなんですが、株を公開したんです。


広告代理店の株を、高い時価で売ったわけですよ。
バーンバックさんの奥方が、奥方がですよ、
会社ができて20年もたっていないのに、3億円手にした。
ご亭主のバーンバックさんは2.5億円。奥さん名義で株を
引き受けていたんでしょう。
あと、創業時からいたロバート・ゲイジは2億円弱。
そのほかのクリエイターの多くが、
何千万という金を手にした。
そんな知恵が、日本のわれわれにはなかった。
自分たちの給料とアルバイト料にこだわっただけ。
ここが根本的に違う。


→(参照)DDB株式公開時の売却額リスト




広告革命の象徴ともいえるビートルの広告「Think Small」の
事例をまじえながら、インカム革命についてのお話がつづきます。


フォルクスワーゲンの広告のアート・ディレクションは、
ビートルをヘルムート・クローン、
ステーションワゴンをジョージ・ロイス、
がやっていました。


小さことが理想。


10年前、最初の2台のフォルクスワーゲンが米国へ輸入されました。
ビートルに似た、その奇妙な形の小さな車は、まあ、無名といってもよいほどでした。
やがて、リッターあたり13.5kmも走ることが認められました(レギュラー・ガソリン、ふつうの運転で)。
さらに、一日中時速100kmで走ってもビクともしないアルミ製空冷式エンジン、ファミリー・サイズの適切さ、手ごろな値段も認められてきました。
フォルクスワーゲンは、ビ−トル並みに増殖し、1954年には、米国への輸入車のトップに立ち、以後、ずっとその地位を堅持しています。1959年には15万台のフォルクスワーゲンが売れました(うち3万台はステーション・ワゴンとトラックでしたが)。
ずんぐり鼻のフォルクスワーゲンは、いまでは米国名物のりんごストルーデル(デザート菓子)同様、50州すべてで見かけられますが、その鉄鋼はピッツバーグ製でシカゴでプレスされています(工場の動力源すら米国からの輸入石炭です)。
どのフォルクスワーゲンのオーナーにお聞きになっても、そのサービスのすばらしさとどこへ行ってもうけられる充実ぶりについては、褒め言葉ばかりでしょう。フォルクスワーゲンの成功は、決して小さくはありません。部品も常備されて、しかも安価です(一例をあげると、新品のフェンダーはたったの21.75ドルです)。フォルクスワーゲンの成功の要因は決して小さいとは言えませんね。
今日、米国ほか119の国々でフォルクスワーゲンは着荷するなり売り切れていて、生産が追いつかない状態です。小さな車に全力を注いでいるフォルクスワーゲンの生産規模は世界で5番目に大きいんですよ。もっと多くの人びとに、小ささを理想としていただきたいものです。


「Think Small 小さいことが理想」という有名な広告のエピソードをご紹介します。


これは最初、アメリカのビジネス誌に掲載するため
だけに創られました。


この雑誌では、フォルクスワーゲンアメリカの製品---
鉄板なんかをどの程度使っているのかという特集を組むこと
なりました。
そこで、アメリカの製品を使っているフォルクスワーゲン
というテーマが製作チームに与えたられたんです。


コピーライターはジュリアン・ケーニグ
ケーニグは郊外に住んでいて、列車通勤していました。
与えられたテーマをかかえて帰宅のときに、列車の向かいの
席のビジネスマンが雑誌を二つ折りにして読んでいた。
裏側へまわったほうの記事のタイトルに「Think Big」とあった。
大きく考えろという考え方が、当時大流行してました。
ジュリアン・ケーニグはそれを見て、
この逆を行きゃいいんだということで、
「Think Small」とやったわけです。
ビートルはアメ車と比べれば小さいですからね。


「Think Small」を翌朝ヘルムート・クローンに渡した。
そしたらクローンは、とんでもない、
ビジネス誌の読者は受け入れないと、反論しているところへ
ステーション・ワゴンをやっている
ジョージ・ロイスが来たんです。


20代のジョージ・ロイスが「何をもめてるの?」と聞き、
「Think Small? 簡単じゃん」と、
真ん中に小さな車のをポンと置いて「これでいけるじゃん」と提案した。
それでも、クローンは「うん」と言わない。
冗談じゃないと。


そこへ別なアートディレクター、ピッキリーロが
「まあまあ。車の位置はクローンさんがきめればいい」
折衷案でなだめた。
で、いよいよバーンバックさんのところに
持っていくときに、クローンは、ヘッドラインを、
本文と同じ大きさにしていったんです。
「Think Small」だからこれでいいだろうと。
そしたら、アート部門の責任者ロバート・ゲイジが、
「何で君はヘッドラインとボディ・コピーを同じ大きさに
したのかね?」
0.K.しなかった。

この広告はとにかくフォルクスワーゲンを象徴する広告の
ひとつなんですが、同じビジュアルとヘッドラインで
ボディ・コピーが異なるのが4種類あります。
アメリカ人の生活態度にすごい衝撃を与えたので、
2年間のうちに「ライフ」とかいろんなの雑誌に掲載された
んですが、雑誌によって説得法を変えたんですね。


参照】先日、米国のツイッターで大話題になったヘルムート・クローンのインタヴュー ()()(



小さいことが理想


きっちりつめたら、 ニューヨーク大学の18人の学生がサン・ルーフVWに乗れました。
フォルクスワーゲンは、 家庭向きに考えて大きさが決められています。おかあさん、おとうさん、 それに育ちざかりのこども3人というのが、 この車にふさわしい定員です。
エコノミイ・ランで、 VWは 1リットルあたり 平均21km強の記録を出しました。 あなたには、ちょっと無理な数字です。 プロのドライバーは商売上のすてきな秘けつを持っているんですから。(お知りになりたい? ではVWBox #65 Englewood, N.J.へお手紙をどうぞ)。 ガソリンはレギュラー、 また、 オイルのことは次の交換時期までお忘れください。VWは在来の車より全長が4フィート短くできています。 (とはいっても、 レッグ・ルームは同じくらいあります)。 ほかの車が混雑したところをぐるぐる巡りしている間に、あなたはほんの狭い場所にも駐車できるんです。
VWのスペア部品は格安です。 新しいフロント・フェンダーは(VW特約店で)21.75ドル、 シリンダー・ヘッドは19.95ドル、品質がよいのでめったに必要とはしませんが。
新しいフォルクスワーゲン・セダンは1,565ドル、 ラジオ、サイド・ビュー・ミラーのほか、 あなたがほんとうに必要なものは全部ついています。
1959年には、12万人のアメリカ人が、 小ささを考えてVWを買いました。 ここのところを考えてみてください。



小さいことが理想。


私たちの小さな車は、最近では、さほど物珍しくなくなりました。
12人以上もの大学生が押しあいへしあい、つめこみ競争をすることもなくなりました。
給油所のパート・タイマーがガソリンの注入口を訊いてうろうろすることもなくなりました。
車の外形に目を丸くされることも---ね。
じっさいのところ、私たちの小さな車はリッターあたり13.5km走るなんてことを信じない人も---。
そう、オイルも5クォートじゃなくて5パイントです。
ええ、不凍液もいりません。
タイヤも64,000kmはもちます。
てすから、私たちのエコノミィカーになされば、こういったもろもろは思案の外になるのです。
あ、駐車スペースは狭くてもいけるし、車の保険更新料も少くてすむんです。修理代も安いんです。車を下取りに出して新車になさるときもお得です。
考えどころですよね。


1967年8月6日号 『ライフ』


広告業界誌《Ad Age》が広告の専門家97人に、「この200年間でベストと思う広告キャンペーン」の推薦を依頼、集計してベスト10を選定したのに、DDB創造のものが3点」と誇っていると『DDBニュース』の記事にあった。
図版の大きさどおりに、1位がVWビートル、10位にエイビス・レンタカー、そしてアルカ・セルツァー。


Advertising Age, for its Bicentennial issue, asked 97 advertising professionals to name "the best ads or ad campaigns that you've ever seen heard."
Three of the 10 campaines chosen as best ever were created by DDB, more than any other agency produced.


クローンはDDBでは3番目のアートディレクターで
したから、「お前、勝手なことやったな」と
ジョージ・ロイスともめました。
それでロイスはジュリアン・ケーニグといっしょに
出ていっちゃったわけです。
PKL、パパート・ケーニグ・ロイスという会社を
設立しました。


パパートというのはアカウントをやる人です。
3人で会社をつくって、1年もしないうちに株を公開した。
アメリカの広告代理店で最初の株式の公開でした。
PKLの一人ずつが1億円。自分たちで出資していた株を
半分くらい売りに出したら1億円だったわけですよ。
しかし、ロイスはその1億円を持って辞めちゃった。
ケーニグというコピーライターは精神病院に入ったと
聞きました。競馬に凝っちゃったのかな。
そんなことで、PKLという会社はいまや影も形もないわけで、
株も紙くずになっちゃった。


ところがロイスは1億円を使って
また別な会社をつくっています。
そのあと、また3つめの会社もつくっている。
最後は1人でデザインの会社をやりました。
てもね、株をつかまされた人がいるんです。
見方によっては社会に対して無責任ですね。


とはいえ、市場が受け入れたわけですから、
不正ではないんです。
日本じゃプロダクションは株式の公開って、ほとんど
してないでしょう。
ライト・パブリシティなんかはできると思うんですが、


最近、日本のプロダクションなども
50年遅れで、
やっと気がついたか、という感じですね。


「インカム革命」というのはそういうことなのですが、
広告革命のうち、いちばん大事なのは
「クリエイティブ革命」なんです。


お金なんかしょうがない。
ただ、DDBがそういう風にして1960年代から
70年代にかけて非常に華々しい活動をして、
The son of DDBというのがいっぱいできたわけです。
でも、生き残ったのはメリー・ウェルズのところだけ。


インカム革命の流れでDDB出身のクリエイター
メリー・ウェルズの話題に


以下、明日につづく