(560)ボブ・ゲイジの発明のあれこれ
ボブ・ゲイジの発明のあれこれ(本邦初訳)
(ヘルムート・クローンが選び、解説)
"DDB NEWS” 1972年11月号
ニューヨークA/Dクラブには、それまで、ボブを入れる『名誉の殿堂』がなかった
コピーライターの『名誉の殿堂』しかなかったのです。いまでは アートディレクターの『名誉の殿堂』もできており、[コンセプト広告をもたらした巨人]として8人が殿堂入りしていますが、そのトップを飾った現役A/Dは、DDBのボブ・ゲイジだったことは、いまさら言うまでもないこと。改めてご披露するのは、N.Y.ADC第51回のショウで、ヘルムート・クローンがボブを紹介したときのスピーチです。
私が子供であったころ、鉛筆書きでラフ・スケッチをどれくらいうまく描けるかによって、アートディレクターの力量が測定されていたものです。
そのすべてをボブ・ゲイジが一変させました。私たちが今日それを知っているように、ボブは現代的な広告のアート・ディレクションを発明したのです。
ボブは、コピーライターと一体になっての広告づくり体制で、自らヘッドラインを提案するや、たちまち、それをラフ・スケッチに描きました。
そして、そのヘッドラインを強調する写真を撮ったり、または「強打」するビジュアルを考案したのです。つづいてボディ・コピーをアレンジしたカンプ(コンプリヘンシヴ)にしあげます。このやり方は、たちまち、若い世代に受け入れられましたが、古参の絵つけ屋さんたちは、「ペイスト・ポットA/D」と、軽蔑気味に呼んでくれたものです。
そうですとも。ボブはオリジナルなペイスト・ポット・アートディレクターですとも。
ボブは、私たちみんなのためにクリエイティブ分野をすべてを一変させました。そして、ボブは現在、テレビでは彼自身、ディレクター兼カメラマンです。さらには、まだ変革されていない部分を拓くべく努力しています。
ボブはどんなふうかって?
彼は、仕事が速いです。
だから、すごい件数の仕事をこなしています。
でも、重役タイプではありません。
彼の個室には、ソファが置いてありますが、そこへ、腰を掛けている者を見たことがありません。アイデア会議の打ち合わせが、短時間で片付いてとまうからです。
思考が立ち停まるってことがないのです。
新しい、効果的なグラフィックの技法を発明しても、一度使うと、もう、こだわることなく捨てて省みません。手をいれてもっと完成させようなどとは、つゆ、おもわないみたいなのです。
ボブは、たえず動いているので、追っかけるのが大変です。
ぼくたちが、「これは新しい」とおもって興奮しても、よくみると、ボブがすでに発明し、使っていたものであることがよくあります。
ボブは、健康で、冷静で、精神科医など必要としていません。とりわけぼくが認めているのは、接する人たちからは、いいところだけを抽き出していることです。
ボブにないもの?
そう、貯めこむってことがないってことかな。
原稿づくりのためにはケチりません。
ボブは、A/Dの団体から14ヶのトロフィーやメダルをもらっていますが、きょうのこのショウのために飾ろうとおもって探したら、ボブの個室の机の引き出しの奥に無造作に入れてありました。
で、言ってやりました。
「ボブ。そろそろ、自分ちへ持ち帰っておいたほうがいいいんじゃない?」
ボブ・ゲイジ氏(右)の机の引き出しの奥から受賞の金メダルをつまみだすヘルムート・クローン氏(左)
☆ ☆ ☆
ボブ・ゲイジの発明になるアート・ディレクティングの数々---
1)
2段づくりの広告。写真を上下に置き、ヘッドラインをそれぞれにつけた手法。
2)
バス・カードなどの生活環境にあるものを利用した最初の広告。「あなたの右手にはめたグローブがバスを停めます」(製品である婦人用手袋がカードをつまんでいる)
3)
ボブは紙面を「爆発」させた。 グレイ広告代理店時代にオーバツクスの広告のA/Dだったポール・ランドのオーバックスのレイアウトはある原則に関係があって、紙面の中心に集約されていたが、ボブ・ゲイジは、紙面の外枠に執着するのを取っ払い、時には紙面の中心部に空白をつくったりを、ニューヨーク・タイムズでやってのけた。
4)
ボブは、タイプ・フェイスで、話し言葉を表現させた。
ささやき、ひとり言、金切り声、微笑---などを、目で読んで感じさせるようにした。
5)
ボブは現在、ぼくたちが《ポップ・アート》と呼んでいるものを発明した。一片のパンや買い物袋も美しいものがあることを証明してみせた。
6)
ボブは、写真で奇跡をおこなうことができることを発見した。鋏で西瓜のように夫の手の上で横向きの女性にバランスをとらせたり、赤ん坊を摩天楼よりも大きくしてみせた。
7)
モンドリアン・ボーダーを広告誌面に最初に採用したのはボブである。その後5年間の気でも狂ったかと思われるほどのモンドリアン・ボーダーの広告界の氾濫(1960年代、日本でもアメリカン・タイポグラフィと称して、デザイナーと名のついた人たちは猫もシャクシも乗り遅れまいと---)