創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(559)ボブ・ゲイジについて。そしてボブ・ゲイジとの会話 連結編(下)

『CA(Communication Arts)』誌 1966年 Vol.2より


DDBの場合、バーンバックさんという精神的な支柱になるボスがいることはもちろんだが、ほんとうのところは、クライアントの方から頼んでくるから、意志が通せるんだとわかっていても、周囲に刺激しあえる仲間がいるから、お互いに伸びるし、実力以上のものが出せるのかも---と、つい、思ってしまう。広告の質をあげるのはクリエイターの責任もあるが、クライアントの責任のほうが多いんじゃないのかなぁ。

ゲイジのTV-CM論


ゲイジがTVのことを話すと、印刷媒体にもTV-CMにも同じ個性を与えるべきだという確信には、同じように強いものをもっている。


「広告代理店は最近まで印刷媒体とTVの間にはっきりした線を引いてきました。
形式的に、いつも、一人の人が印刷媒体を手がけ、もう一人の人がTV-CMを創っていたのです。
DDBではそれは愚かしいことと考えられています」


「TV-CMにも印刷媒体で見られるものと同じバイタリティに同じアイデアを使います。
ただ媒体の違いがあるだけです。
その媒体のフィーリングを捉えてしまえば、クリエイティブ人種ならどんな媒体でも使いこなせます。
印刷媒体のアートディレクターにとって、TV-CMは、ただもう一つほかの特性(小道具)を差し出しているだけです」
「コピーライターからADにもなれるとか、A/Dもコピーライターになれるとか、そんなことまで私は言うつもりはありません。
DDBでは、コピーライターもアートディレクターも「広告制作者 アド・メーカー」と呼んでいるのです。

TV-CMのアートデイレクターのゲイジの見方


TVではボブ・ゲイジは、小さな輪の中で働いているように見える。
ボブは、ポラロイドとアメリカン航空の仕事を、アンガー&エリオット社のマイク・エリオットとマイケル・ネビアとやり、クラッカー・ジャックとジャマイカ観光局の仕事をローズ・マクウッド社のアーネスト・キャパロスとやり、アキュトロン時計とポラロイドの仕事をテレビ・ビデオ社のジャックス・レテリエールとやっている。
音楽はミッチ・リーと一緒に担当している。


ここで、マイク・エリオットが登場。


「ボブ・ゲイジと何年にもわたって一緒に仕事をしていれば、彼がどれだけTVに対して尽くしてきたかおわかりになると思います。
ボブは、ルール・ブックは窓から投げ捨ててしまいました。
ボブは自分が欲っしているものを知っていたのです。
そしてこの媒体にそれを表現させてしまったのです」


「ボブは、TVはモーション・ピクチャー(活動写真)であるという伝説を破りました。
ぼくたちは、取り決めと制限のある動作をもつスチール写真を使っています。
TVでモーション・ピクチャーを真似するのはやめてしまいました。
今では、映画がTVを真似ています」


「ゲイジは、どのアイデアでも自分のものに固執するということはありません。
ボブは、自分のはっきりしたアイデアをもって現われはしますが、それを補強するものがあれば、すぐに取りいれます。
もちろん、それはボブの赤ん坊ではありますが、赤ん坊の手足はボブのものではないのです」


「ボブは一緒に働くのにすばらしい男です。
‘もの静か’でめったに叫ばず、それでいて一つのアイデアを追求するという点においては、確固たる人なのです。
そしてボブは、撮影をいつ止め、いつまで続けるかということを知っています。
ボブの才能は、編集の時にもっともよく表われます。
ボブには、どれをカットし、どういうふうに編集するかということに対する一種のセンスがあるのです」


「ボブがなしとげたことを見ると、あなたはきっと、彼が傲慢なエクゼクティブのように振舞い始めるのではないかって思われるでしょうが、ボブはまったく始めたころと同じ彼なのです。
ボブの強みは、そのシンプルさです。ボブはすべてのものをシンプルにします。
そして信じ得るものに---」


「ボブは、起用したキャストに、人間になれ、俳優になるなと強います。
撮影中に誰かが鼻をほじれば、それがゲイジにとっては、いいことなのです」


TV-CF for Burlington Mid-Length Socks


chuukyuuの感想】シンプルということでいうと、このTV-CMほど、シンプルなのは少ない。言葉がなくても、意図が完全に伝わるのだから。
カンヌの国際TV−CMコンクールで、審査員を引きつけるのは、言葉ぬきで了解できることもその一つかと思う。


chuukyuu補足】末尾の織物のパターンは、バーリントンという企業が、織物メーカーだったため、ファッション素材を提供するだけだったので、米国でも最大級の織物メーカーという消費者の認識が極端に薄かったので、織物メーカーといイメージをすべてのCMにトレーラーしたわけです。

ゲイジのイラスト観


「イラストレーションと写真のせめぎあいには、どちらの味方もしたくありません。
広告は信じ得るものでなければなりません。
そして読み手にそれが伝わらなければなりません。
これを成し遂げることは、イラストでも写真でもできます。
最近のサクソンのイラストを使ったアメリカン航空のキャンペーンがいい例です」


「私たちは、一つにまとめたい個々の要素をたくさん持っていました。サクソンがそれを見事にやってのけてくれました。
ジャック・ディロン(写真)のコピーに、サクソンはコンセプトの発展に莫大な力となっています。そしてジャックには、サクソンの絵にまさにぴったりのキャプションをつくる余裕があります」


「サクソンは、一緒に仕事をするのにとても刺激になる人だと思います。
チャックは、私たちが彼を最高な仕事ができるように扱ってくれる---アイデアが設定され、作り始めると、もう肩ごしにのぞくようなことはしない---と言っています」


「サクソンの仕事ぶりは、よくハンディにもなります。
サクソンは夜仕事をして、昼は寝ているのがすきなのです。
ですから、私たちが急な仕事をしなければならない時でも、夕方に呼びだしてベッドから出すのです。
そうすると、一ト晩中やって、翌朝寝る前に仕上がった絵を渡してくれのす」

サクソンの語るゲイジ


夕方6時15分にゲイジの部屋で見つけたサクソンに会話に加わってもらった。
「ポブ・ゲイジを正しく評価するのに2,3日かかりましたよ。ゲイジは、たへんにくつろいだ、気のおけない、シンプルな人なので、その即時理解力と計算器のように正確な選択が、仕事をやり易く、最高の仕事ができるようにしているのだということが、当初、ぼくにはのみ込めなかったものですから。まあ、当座は、何も問題がなかったので、物事は順調にいくように思っていましたしね。でも、しばらくして、彼のすばらしさが、十分にのみ込めてきました」


サクソン氏のイラストレーションを使ったアメリカン航空のシリーズ



わが社のスチュワーデスは盗まれっぱなしです。


わが社のほとんどのスチュワーデスは、2年とたたないうちに、辞めて、ほかの男性のもとに走って行ってしまうのです。
驚くほうがどうかしているんですね、きっと。だって、5時間半もほほえみを浮かべていられる若い女性なんて、そうザラにはいませんからね。
申し上げるまでもないことですが、124人もの人たちが夕食に何を食べたがっているかを覚えていられる細君をみつけることもね(その上、お望みとあれば、気象現況やジェット機のことについてもお話しできるんですよ、彼女は---)。
でも、私たちが問題にしているのは、 こういったことではありません。問題はどういう女性を私たちが雇っているか、です。美人というだけではダメなんです。いいえ、それが重要じゃないと申し上げるわけじゃありませんよ。ただ美人というだけでは十分じゃないってことなんです。
つまり、私たちが求めているのは、そう、親しみのある女性です。
あなたが、彼女たちはすべての乗客に親しくしすぎるとおっしゃるのはムリといものです。
ご自分だけ---をお望みなら、スチュワーデス養成所時代の彼女をおさらいになるんですね。




People keep stealing our stewardesses.


Within 2 years, most of our stewardesses will leave us for other men.
This isn't surprising. A girl who can smile for 5 hours and half is hard to find.
Not to mention a wife who can remember what 124 people want for dinner. (And tell you all about meteorology and jets, if that's what you're looking for in a woman.)
But these things aren't what brought on our problem. It's the kind of girl we hire. Being beautiful isn't enough. We don't mean it isn't important. We iust mean it isn't enough.
So if there's one thing we look for, it's girls who like people.
And you can't do that and then tell them not to like people too much.
All you can do is put a new wing on your stewardess college to keep up with the demand.



「アリスじゃないじゃないか!」


そう、彼女はアリスじゃありません。アリスは辞めたんです。
彼女が同乗する路線の〔ご常連の方々に〕とって、彼女がいないことが、どんなに悲しいことか---ご同情申し上げます。
アリスときたら、一度ご同乗なさったあなたのお顔を、次にお乗りなるまで覚えていたんですからね。三度目はお名前までも---。
こうなれば、サッカリン入りのコーヒーを出されても、あなたはご満足なさったわけです。
アリスはどうしたのか、ですって?
お知りになりたい? 彼女は、お客さまのひとりと結婚したんです。
じつのところ、私たちが養成したスチュワーデスのほとんどが、お客さまと結婚してしまうのですよ。
(わが社のスチュワーデスときたら、2年ともたないんですからね)。
アリス嬢がいないとしても、私たちをそんなふうに見ないでください。
(ドリーか、ノーラか「可愛い赤毛のナントカちゃん」がいなかったとしても)。
彼女たちをどんどん引っこ抜いておいて、一方では飛行機の中で出会いたいなんて、ちょっと---ね。




"You're not Alice."


No, that isn't Alice.
Alice isn't with us anymore.
And we understand the "regulars" on her night aren't very happy about it.
After you flew with Alice once, she remembered your face the next time.
And your name the next time.
And that you liked your coffee with saceharin after that.
And what happened to Alice?
Well, if you must know, one of you married her.
In fact, one or another of you has married practically every stewardess we've ever had.
(It' got to the point now where we can't keep girls more than 2 years.)
So don't look at us that way if you happen to miss Alice.
(Or Doreen or Nora or "that little Miss Whoozis with the red hair.")
You can't go on removing these girls from the premises and still expect tofind them on the airplane.

chuukyuu付言】コピーを担当したジャック・ディロン氏とのインタヴュー
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ゲイジの写真家観


さて、ゲイジが語る番です。ポブが知っている写真家、好きな写真家、一緒に働いた写真家について話します。
「私のように、ほんの少数の写真家としか仕事をしないのは、私の一つの欠点でしょう。でも私は、お互いがお互いのことを知っている人と仕事をした方がよりよい仕事ができるって思っています。私たちはお互いに理解しあい、好意を持ち、相手の意見を正当に評価しなければなりません」
「私は、創造性の高い写真家と仕事ができたのはものすごく幸運だったと思います。たとえば、ウィリアム・ペインハワード・ジーフ、そしてつい最近ジャマイカ観光局の仕事一緒にしたエリオット・アーウィットとデニス・ストックといった人たちです」
「『私たちのビールは50年も遅れています』というテーマだ、ユチカ・クラブのシリーズを発展させていた時のジーフとの打ち合わせは最低限ですみました。ハワードは、こんなふうにいいました。『出かけて、昼飯でも食いながら、アイデアを練ろうではないか』 ランチが終わる頃には、太陽の下で仕事のことは除いて、ほとんどのことは語りつくしていまた。この時、ジーフは飛び上がって言ったのです。『分かった、さ。それで行こう』と」
ジーフの配役選びの本能は最極上です。このシリーズに出演の男たちはみんな50年昔の頃の人のようでした。3番街のクラークス(クランシーにセットして)で撮影していた時、私は一度だけロケ現場を覗きました。すべてが順調にいっているのを見ると、2度とそこへ行きませんでした」




私たちのビールは50年も時代遅れです。
(私たちは、それを誇りにしています)


あなたが軽くて泡の多い現代的なビールをおさがしなら、ほかの銘柄になさったほうが無難です。
私たちのは伝統的なコクと個性をもったピルゼン風のビールです。
あなたはホップの香りをかぐことができ、モルトの味を味わうことができます。ヘッドは濃くクリーム状で、干すにつれてグラスのふちに繊細なレースカラーを残します。
注ぐときは昔のやり方でやってください。一気に、グラスのまん中にガポッとやってください。缶のときは、カン切りで穴は一つにしてください。
私たちはこのビールを、実験室からではなく、天然の収棲物からつくります。
私たちはホール・グレインだけを使います。シロップやエキスは使っていません。私たちは特選のモルトとホップを使います。ケチケチしません。私たちはビールを何カ月もねかせますた。ただの数週間ではなしに、ビールを熟成し、芳熟させ、ビール自体に自然の生命を与えるためにです。
人工的な炭素化工程は加えていません。
今もし、これがあなたがさがしていらした種類のビールなら、あなたは、それを見つけたのです。
その名はユチカ・クラブです。


art director:Robert Gage
copywriter:David Reider

ハワード・ジーフ氏の演出によるTV-CM葬式」 】


埋葬墓地へ向かっている車の葬列。死者である百万長者が、遺言を読み上げている。
[アナウンス]
私は、生まれつき、安定した健全な精神と肉体を持っています(遺言状の冒頭の決まり文句)。
しかして、以下のごとき遺言を残します。
まず、明日という日がないかのごとく、お金を使いまくっていたわが妻ローズには、100ドルと明日もあるということを教えるために1枚のカレンダーを残します。
息子たち---ラドニーとビクター---2人は、私がやった10セント硬貨すべてを、風変わりな車と身持ちの悪い女につぎこんでしまいましたが、この2人には、10セント硬貨で、50ドルずつ残します。
それから、浪費が唯一のモットーだったビジネス・パートナーのジュールズには、なんにも、なんにも残しません。
そして、これまたも1ドルの価値を知らなかった友人たちと親戚には、1ドルずつ、残します。
最後に、甥のハロルドル。彼はいつも、「マックスおじさん。VWを持つことは確かに損にはならないんですよ」と言っていたが、この甥には、私の全財産10億ドルを残します。


art director:Roy Grace
copywreiter:John Noble


「葬式」はCMではタブーの一つだった。伊丹十三さんの映画「葬式」でいくらかはタブーもゆるんだであろうが---。


chuukyuuの思い出ハワード・ジーフ(Howard Zieff)氏は、スチール写真家からコマーシャル・フィルムの演出家兼キャメラマンに転向して名をなした。
40年前、1分もの1本のCM演出料が5万ドル、しかも月に5本は撮るという記事を読んだので、撮影風景を見学させてほしいと手紙をだしたらあっさりOKの返事。
勇躍ニューヨークへ飛んで(といってもDDBの取材がらみだったけれど)、指定されたスタジオへカメラ持参で---途端に、スチール・カメラを持ったおじさんが「お前はどこのユニオンだ」と詰問。ユニオンに入ってなかったら、カメラを没収すると。で、「ジーフ氏に聞きなよ」って答えたら、ジーフ氏のところへ。ジーフ氏が「彼はいいんだよ」でおじさんもあきらめた。
スタジオ内には20人のアシスタントたちが働いていた。これでは5万ドルも取らないと---と納得。
その日の撮影は、シチューの素のようなもの。
勉強になったのは2人の女性を発見したこと。セットの裏の大テーブルに食材を山と積んで料理している中年婦人に、「何をしているの」と聞いたら、「私はホーム・エコノミスト」で、撮影用のシチューを作った」と。ホーム・エコノミストには2種類あって、食品会社で献立などを開発する人と、この人のように撮影用の料理をつくる人と。山のように余っている食材は、撮影スタッフの昼食になるんだと。もちろん、支払いは撮影経費の中。
撮影は、西部劇風のキッチンで、19世紀風の髪型・衣装の女優さんが「おばあちゃんの味つけのシチュー」とおたまでシチューをすくう場面。と、おたまから1滴のしずくが鍋へ。跳ね返ったしずくが女優さんのエプロに染みをつくった。とたんに女優さんが泣き顔。代わりのエプロンを買ってくるまで、全員待機だと、その時間給を払わなければならないらしい。
すると、脇に控えていた女性が女優さんの肩をだいて、衝立のかげに。そこには、おなじエプロンが10枚ハンガーにかかっていて、すぐに着替えさせた。その女性に職業を聞いたら、「スタイリストです」と。これでは1本5万ドルも高くないなあ---と思いましたね。



このジャマイカ政府観光局の広告の写真家は、エリオット・アーウィットとデニス・ストックのどちらだろう? ボデイ・コピーの中の"デュピー(悪霊)"については、まだ調べがついていない。



【抄訳】
150年前
このジャマイカの木から、
トム・クリングルは歌ったのです。
死ぬまで。
(彼らの伝説です)


彼らは、これは、脱走奴隷を「絞首刑にする時の樹木」であったとも言います。
だから、"デュピーズ"(悪霊)は上のほうの枝に住んでいる、と。
いろんな言い伝えがありましてね。
トム・クリングルは、実在した人ではなく、19世紀の小説の主人公として名前だけ登場しました。スパニッシュ・タウンの道端に聳えている象のように巨大なこの綿の木(ポプラ)の別名でもありました (そうそう、この樹木に吊るされた記録はまったく存在しないのです)。
まあ、樹齢500年なんですから、物語だって成長するでしょうよ。
とくに、老婆の心の中ではね。
綿の木は(コロンブス以前には)、漁民が刳り抜き長小舟をつくるために、よく切り倒されたものです。そうすると、"デュピー"は転居するんですって。
殺されたいろんな人の霊が"デュピー"になっているんです。もう、物語はつきません。
私たちの300年ものの結婚ダンス、カドリール。
その、物語がお知りになりたかったら、ニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンゼルス、シカゴ、マイアミ、トロントモントリオールの地元旅行代理店かジャマイカ観光局へお問いあわせを。




150 years ago
Tom Cringle also swung
from this Jamaican tree.
Until he was dead.
(They say.)


They also say this was the "hanging tree" for runaway slaves.
And that "duppies" (evil spirits) dwell in its upper branches.
It's a lot of lore.
Actually, Tom Cringle was the hero of a 19th century novel who gave only his name, not his life, to this elephantine cottonwood on the Spanish Town road. (And there's no record of hangings.)
But when a tree's been around 500 years, tales will grow.
Especially among Old Wives.
Ours always say, "It doesn't matter how wet you get in themorning because you can't catch a cold before noon:'
They also say, "If your knee itches, you're going to change" your bed.'
Even a silky hotel maitre d may go' home to a house "painted blue to keep duppies away.'
For they say, "Duppy look for new home when cotton tree cut down.
And cottonwoods are cut often to be carved into fishermen's longboats that date back centuries (before Columbus).
As qo many of our beaches. Unspoiled since the Indians.
And our 300-year-old wedding dance, the quadrille.
And our Rose Hall Great House, renovated to its 18th century grandeur, but still haunted by the 'duppy of Annie Palmer who slew husband' and lovers there. And who, they say, "was strangled in her bed and you can still hear screaming if you go on a dark night:' Go.
For more of our ghosts, goblins and murderous old wives, see your local travel agent or Jamaica
Tourist Board in New York, San Francisco, Los Angeles, Chicago, Miami, Toronto, Montreal.

会話の終わり


ボブ・ゲイジとの、そして、ボブ・ゲイジについての会話は、ある冬の休暇の夕べで終わりを告げる。外はもう暗くなっていた。彼の机は、夫人と3人の息子とのポコノスでのスキーのための長い休暇を控えていて、きれいになっていた。ゲイジは椅子の背にもたれて煙草に火つけ、ゆったりとくつろいでいた。
「アートディレクターっていうのは、世界で一番ラッキーな人種ですよね。したいことをしてお金をもらってるんだから。私たちのように、環境に順応しにくい人種は、ほかに、どこでこんなにてて生計が建てられましょうか。でも、時々ですが、本当に環境に順応しにくい人っていうのは、私たちではなく、ビジネスマンだと思います。あの人たちは、自分のしたくないことをやってお金をかせがなくてはならない人が多いんですからね」


ボブ・ゲイジ氏のアート・ディレクション作品をもうすこし紹介したいが、オーバックス百貨店の広告群は別に独立させているので、ユチカ・クラブ・ビールとオリンを1点ずつ掲げる。



この時代のビールのうまさの秘密は?


● ウォルター・J・マット
この写責は1895年の夏、私たちのビール会社が恒例のピクニックに行ったときに撮ったものです。私の父---F・X・マットは右から5番目にいます。

私の父が1878年にドイツからこの国にやってきたとき、彼はビールのつくり方について非常に強い確信をもっていました。

彼は、ブラック・フォレスト地区のあるビール会社でこのやり方を学びました。そして彼が99歳でこの世を去ったつい3年前まで、彼は昔のやり方の多くがやっぱりビールづくりの最高の方法だと信じていました。(速いやり方ではありませんでしたけれど)。
父は自然なやり方のビールづくりがいちばんよいと信じていました。

ビールは実験室からでなく天然の収穫物からつくられるべきだと考えていました。
後年、シロップや調合液が簡単に使えるようになってからも、父は、けっしてそれを使おうとはしませんでした。
今日に至るまで、ホール・グレインだけが依然としてユチカ・クラブ・ビールでは使われています。

父はちょうど母が台所を切り回すようなやり方でビール会社を経営しました。90歳になるまで自分で仕入れもしました。そして一度もしくじったことはありませんでした。

私の覚えているかぎり、ユチカ・クラブ・ビールに使われているモルトは「特級」です。これはだれもが使うあいまいな言葉(たとえば「優良」などのように)としてではなく、ほんとうに手にはいるかぎりの最高の品質ということです。

父は、ビールはビール自身の生命をもつべきだと考えていました。人工的なカーポネーション(炭酸ガス補入)ではなく、この自然の生命を作り出すために、ビールは数週間ではなく数ヶ月寝かせるべきです。
問屋の倉庫のぴんの中でではなく、厳重な管理の下に冷蔵大オケの中でです。

自然にねかせるのは非常に経費のかかることです。3〜4倍の収容場所と、3〜4倍の大きさの大オケ、3〜4倍の冷蔵能力がいります(いいかえれば、同じ量のビールをつくるのに余分の設備と非常に多額の投資が必要だということです)。

さらに必要なことは、余分に十分に寝かせるということは、それだけ高いビールにつくということです。これをやるには、あなたは聖人のようにならなければなりません。
特に、暑い日には、問屋は血まなこになってビールを求めます。
そんなとき、まだまだビールが十分に熟成していないから店に出すわけにはいかないと彼らにいうには、よほど頑固でなくではなりませんす。いつも、父はたいへんに頑固な人でした。

この方法でつくられたビールの味は、どこが違うのでしようか? それは個性をもっているのです。ヘッドは濃くクリーム状です。味はまろやかでソフトです。そしてこれが今でも私たちがユチカ・クラブ・ビールをつくるのにとっているやり方なのです(ダークではなくライトです) 。この国の数少ない自然の味を生かしたビールの一つです。

しかしこういう味が好さではない人もいるということは、私たちがいちばんよく知っています。カーポネート(炭酸ガス補入)率の高い戦後のビールで育った人びとには、ユチカ・クラブは初めはちょっと変わった感じするでしょう。しかし、あなたが輸入もののドイツやデンマークのプランドに高い金を払っているビール飲みなら、あなたのユチカ・クラブに対する反応はこうでしょう。「どうして、だれかもっと早くにこのビールを教えてくれなかったのか!」
                社長 ウォルター・J・マット


with copywriter Julian Koenig



どのシャンプーもフケをとります。
しばらくの間だけなら。


そこで登場したのが、リンスでシャンプーを洗い流してしまった後でもフケとたたかい続けるシャンプーなのです。フケの根本的な原因である菌ととっくむオリンの新物質を含んでいます。十分リンスをしたあとでも、ズィンク・オマディソは頭皮に残り、この菌の成長を防ぎます。
このシャンプー(プロククー&ギャンブルの新しい「ヘッド&ショルダー」)は香りもよく、泡立ちも豊かです。普通のシャンプーと同じようにお使いください.。ただひとつ違う点は、フケでお困りの方に試していただいたところ、93%の方がよくなったということ。
菌とバクテリアに警告:ズィンク・オマディンのつぎの標的は、みずむし、汗臭、にきびだよ。


Any shampoo will get rid of dandruff.
For a while.

But now there's a shampoo that keeps fighting dandruff even after you rinse it off. Itcontams a new substance from Olin that tackles the fungi that are often at the bottom of the problem. Even after thorough rinsing, Zinc Omad.ine~stays on the scalp and actually keeps the organisms from growing.
The shampoo (Procter & Gamble's new "Head & Shoulders") smells good, lathers richly. You use it like any ordinary shampoo. Just one difference. In a test among dandruff sufferers, 93% showed improvement. In 64%, the scaling problem was completely eliminated.
Fair warning to fungi and bacteria: next on Zinc Omadine's little list are athlete's foot, perspiration odor, acne...