(191)大もの---ジョージ・ロイス氏(23)
Great art director Mr.George Lois
ジョージ・ロイスへの道(3)
ジョージ・ロイス氏は、1978年、第57回目のニューヨーク・アートディレクターズ・クラブから「名誉の殿堂入り」の指名を受けた。この制度は始まって7年目で、翌年がヘルムート・クローン氏、1年置いてウィリアム・トウビン氏、次の年が写真家のリチャード・アヴェドン氏、さらに3年後がレン・シローイッツ氏だから、いかに早かったかわかる。
指名された年の『ニョーヨークADC年鑑』に、表題の文章が載った。大要を数回にわたって紹介している。
それまで非表現技術者の統制下にあった第2次大戦後世代は、徐々にそして確実に、反体制文化の新しい創造的世代として、マジソン街に台頭しつつあった。広告制作の過程で、ビジュアルしと言葉の表情の豊かさは分割できないことを理解したアートディレクターとコピーライターを、反逆者たらしめたのである。古い規則の下に彼らを縛りつけておくことは、もう、できなくなりつつあった。
こうして、広告美術の新しい種は、目に見えて育ってきていた。とりわけ、グラフィック分野ではそれが顕著だった。彼らがつくりだしたものは、以前にあったものとはまるで異なっていた。 創造的な胎動は日に日に力をましていた。 この新しい広告創造の動きは、ウィリアム・バーンバックがドイル・デーン・バーンバック(DDB)広告代理店を設立した1949年に爆発した。彼の新しい組織では、アートディレクターとコピーライターは創造的なペア・チームとして働いたからである。アート=コピー・チームこそ、広告制作システム革命の主体であった。この組み合せから「新・広告時代」が誕生したといっても過言ではない。
マジソン街は、もう、後戻りできなくなった。
ビル・バーンバックが、彼の新しい広告代理店を設立したクリエイティブの基盤は、アートディレクターのボブ・ゲイジであった。さらには、ヘルムート(・クローン)やウィリアム・トウビンなどの、広告業界の超天才的なアートディレクターの多くがDDBへ参集した。DDBはバーンバックの下で、すでに広告界の「広告革命 Creative Revolution」の産物として受け取られている作品群を輩出したのである。
【DDBの名を高めた広告作品の一つ---ポラロイド・ランド・カメラ】
新ポラロイド・ランド・フィルムの登場です。 ご覧になっているのはルイ・アームストロングの60秒写真を拡大したもの。 以前のフィルムよりも2倍も鮮明に写る新しいフィルムで撮りました。 この最新の開発によって、ポラロイド・ランド・カメラの鮮明でメリハリのきいた60秒写真はあなたのものです。ポラロイド・ランド・カメラは72.75ドルから。 新しいフィルムは包装箱で見分けがつきます。
60秒ポートレイト:サルバドーレダリ。 無修正ポラロイド・ランドで撮った拡大写真をご覧になっています。 実際、以前のフィルムより2倍シャープに写る新しいポラロイド・ランドのフィルムで撮りました。 ご覧のように、新しいフィルムですみずみまで鮮明な60秒写真があなたのものです。 ポラロイド・ランド・カメラは74.95ドルから。 試し撮りはディーラーで。