創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(548)離婚しないで仕事を成功させる法 (1)

『DDBニュース』1972年6月号の表紙---ということは、創業23周年年号になるとおもいきや、それは無視し、マンハッタンの「タイム-ライフ展示センター」での〔DDBの印刷/テレビ・コマーシャル展〕を表紙にもってきました。
オーバックス百貨店の広告で有名になった「猫」をウインドウに飾っていますが、「招き猫」のつもり?


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話、変わって---こちらは『DDBニュース』1970年2月号から、[離婚しないで仕事を成功させる法]と題した、結婚女性DDBerによる賢い夫婦共同生活リポート。

39年前、米国でも、女性が専業主婦であることより、「セルフ・フルフィルメント(自己実現)」の旗印のもと、職場にとどまり始めた時期でした。そのリポート---ちょっと、色褪せたかな。(許可を得て拙訳/編『DDBドキュメント』ブレーン・ブックス1970.11.10)


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メリー・リー・ズネ(ニュープロダクト&スタイリング部コーディネイター)と


まず、くつろぐ方法、つまり、出社したら仕事のことのみを考え、会社を出たら私生活に専念する方法を知ることです。
そのためには大いに計画的でなければなりません。


私たちは、レンガづくりで夢のようにすばらしくはあるが、働いている2人にはふさわしくない家を捨て、フル・サービスつきのアパートに引っ越すことから始めました。


買物は1週間に1度と決め、品物は冷凍庫に入れておきます。
それから、週末には焼き肉のようなものをつくっておきます。
そうすれば、1週に1日か二日はそれを食べることができますし、6時に家に帰ってゼロから始める必要もありません。
大きななべ焼き料理をして、それを半分凍らせておけば、週の半ばにすてきな夕食もできるわけです。


洗たくは、私が洗たく機や乾燥機が自由に使える木曜日の夜に、アパートの地下室でやります。
私は洗たく室のお化けになります。
うまくやればアイロンがけだって省けますものね。
主人のシャツはさっさとクリーニングに出しておけばいいわけですし、子供にはにニットかウォッシュ&ウェアのものをそろえておくわけ。子供がいても、ベビー・シッターや乳母やメイドなしで済むか、必要だとしても、ごく短い期間で済むような年齢になっていたら助かりますね。
絶対にあなたはほっとためいきをつくでしょう。


土曜日は大切な計画日です。
一度にパッパッと片づけてしまいましょう。


主人は週に一度、夜、学校で教えています。その夜は文学的に自分を取り戻す日です。
覚え書きやリストや、やってしまいたいと思うすべてのことを書いておくメモ帳を肌身離さず持っていて、済んだものから消して行くことも、すごく役に立つことがわかりました。


私のところでは、現在はお手伝いさんは一人もいません。
メイドや乳母や料理婦だちとのいざこざもなくなり、家はずっときれいだし、お料理はおいしいし、娘は私の娘時代よりも、うんと上手にお料理の手伝いをすることを覚えました。
娘はまだ10歳ですが、彼女はすごくしっかりしていますし、たよりになります。
私が働いていることも、その原因の一つになっていると思います。
私は、両親が働いている子供たちは、そうでない子供だちよりもいくらか洗練されていると思います。
特にニューヨークではそうだと思います。


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ヘレン・デイビスメディア・ディレクター


私にはすばらしい家政婦と物わかりのよい主人がおります。
たぶん私たちはすばらしい家政婦だなんていわないほうがいいんでしょう。
だれか彼女を盗もうとするかもしれませんから。


私はニューロシェルに住んでいます。
そこは汽車が時刻表どおりに動けば32分の距離です。
そうではない時でも、私は同僚のジョアン・グリン(参照)の直似はしません。
私は汽車の中では働かない主義なのです。
ニューヨーク・タイムスや本を読んで楽しんでいます。
私は料理が好きです。
主人はテレビ・ディナー(注・オーブンに入れるばかりになっているハーフ・メイドの冷凍料理)のようなものを好みませんから、毎晩私がつくります。
ついに私たちは、それに打ち勝ちました。
夕食は9時か10時になることもあります。
しかし、彼は話すことがたくさんあるので気にかけません。
私たちは時間をかけてゆっくりとカクテルを飲んでいるといってもよいでしょう。
家には犬も一匹いますから、犬にも食べさせなければなりません。
だから私は6時半か6時45分に起きて、犬に餌をやり、朝食を用意し、私の雑用をやり、それから娘を学校に連れて行きます。
そうです連れて行くのです。
私にはこうしたことを朝のうちにすっかりやってのけることができます。だって、夜はただすわって話したり、料理をしたり
ふざけたりして、くつろぐための時間ですから。
家政婦はアイロンかけや洗たくなどの家事をやってくれます。
彼女は住込みではありません。
ですから週末は私がパート・タイムの母親と家政婦になります。
私にとって母親であることを全うするのには2日もあれば十分です。
それ以上だと、私は神経質になってしまうでしょう。


私の娘はすばらしい子です。
彼女の精神は曲がってはいません。彼女は賢く信頼できます。
彼女はちっとも抑圧されていません。
私か家にいると、彼女がいくらか神経質になるところから判断しますと、娘も自由でいられるほうを好んでいるようです。
私は彼女にはよい手伝い者がいることを知っています。
だれか信頼できる人がいれば心配する必要はありません。
彼女がペビー用アスピリンを1びんのみ込んでしまった時のように。
彼女の胃が疲れきって、彼女が病院から戻るまで、私はそれに気づきませんでした。


娘が生まれ10ヶ月間は家にいました。
その時、主人は、私のことを最も劣った母親で家政婦だと悟りました。
なぜって、私は非常に不きげんでしたから。
主婦や母親になる前に働くことが、私の習慣になってしまっていたのです。
そして私は、その習慣を変えるには年をとりすぎていると思います。
だから、主人は、仕事をしている私を認めてくれているのです。


明日も、このつづきでお2人が登場。