(534)DDBの隠し玉---ジョアン・グリン夫人とスタイリング部(連結編 英文)
これは、40年前の『DDBニュース』(1969.10月号)に載っていた記事を、許可を得て『DDBドキュメント』(誠文堂新光社ブレーン・ブックス 1970.11.10)に翻訳・転載。広告代理店の機能の未来像を暗示する一つ---と40年前に思ったのです。不幸にして、日本の広告界では、この記事は一顧だにされませんでした。あまりに進みすぎていたからだったからかもしれません。
ジョアン・グリンとスタイリング部
その女性は、クールな洗練さと恐ろしいまでの落着きを備えている。彼女は、あの例外的逆説---つまり、女性らしさをつねに失うことがない。しかも同時に有能で経験を積んだ婦人なのである。あるいは、彼女の仲間が付言したように、「職業的機械でもある最も人間的なるもの」といえるだろう。
ジョアン・グリンは、1942年に、マンハッタンビル大学を卒業して以来、この世界に入った。B・アルトマン社での特別訓練を受けた後、シンブリシティ・パターン社で商業スタイリストに、グラマー社の編集者、ついでDDBのプロダクト・スタイリング部門のヘッド兼副社長と、着実に登り続けていた。
グリン夫人と話していれば、だれでも家庭の主婦である面が決して出てこないことに気づくであろう。「時代が変わったのです。家庭に閉じこもってお料理や生け花をしたのは一時代前の奥さまですわ」と彼女はいう。
ジョアン・グリンはものすごく忙しい。プロダクト・スタイリング部のヘッドとして、広告界におけるこの分野の第一人者らしく、彼女には特異でユニークな仕事をすすめている。そのうえ、彼女は、米国の現代の大衆の趣味を高める人であり、独裁者の一人である。たとえば、アメリカン航空のスチュワーデスの服装一式をデザインしたのも彼女であり、これが制服から、コスチューム・デザイナールックの傾向を招来することになったのである。
(スチュワーデスの制服ノファッション化の嚆矢となったグリン夫人のアイデアによるアメリカン航空の刷新
『DDBニュース』1969年4月号より)
彼女はいう。「あれが今、私がいちばん誇りに思っている作品なんじゃないかしら。というのは、それが生きているからです。飛行機に乗るたびに私は、あのアイデアが動いているのを見ることができるんですもの。それは、まあいわば、あなたが書いた本がまだ出回っていて話題にのぼっている、そんな本を持っているようなものですわ」
15年前にファッション・ディレクターだったフランセスカ・キルパトリックとそのアシスタントだったジョアン・グリンの2人で始まったこの部は、高度に専門化された21人の女性ばかりが働いている部門にまで成長し、今では、ジョアン・グリンがその責任者である(彼女は、ふざけて「セント・トリニアン女子校を経営するようなもの」といっている)。
この部には何人かの専門化された職能を担当している幹部がいる。メリー・ルー・サリバンは、たとえばDDBの印刷広告のモデル探しを担当している。
ダイアン・カーは、テキスタイルや繊維のエキスパートである。
キャシー・ジョローイッツは、家具やインテリア・デザインのコンサルタントである。
アン・ドリーズは、料理専門家としてすべての食品コマーシャルに関係している。
ローズマリー・フェイは、ファッション・スタイリストのグループを率いている。
アイリーン・ベックマンは、グリン夫人の片腕であり、お気に入りで、多数の新製品コンセプトのデザインと実務を負っている。
オーシニズでジョー・A・スピーゲルと昼食
「もちろん、旅行をしたり、すばらしい場所で昼食をとったり、それにそれぞれの分野の先頭に立っている有名人たちと会ったりすることはすばらしい」
「DDBがたくさんの分野でパイオニア的創造性を発揮できたのは、私たちの部があったからですわ。ほんと---」とグリン夫人はいう。「この部は、一種の、スタイリングと製品開発アイデアの『シンク・タンク』ともいえますね」
しかし、まだ、ある。グリン夫人の仕事の多くは助言することである。たとえばもし、DDBのクライアントが新しいコストの安いストッキングを発表したいと望んだなら、グリン夫人は製品の可能性について助言するだけでなく、可能なマーケティングやパッケージングの助言すらするのである。
また、よくあることだが、グリン夫人は、たとえば、イタリア家具デザイン展などへスタッフの1人を派遣したりする。持ち帰ったスケッチ類---それがスチーマー・トランクであったとしたら、彼女は新しいホーム・チェスト(注:少女が嫁入りに必要な品を集めて入れておく箱)を思いついたり、宝石箱のアイデアを思いうかべる。そして、それはDDBのどれかのクライアントの手で実用化されるのだ。
別の日、グリン夫人は、アカウント部の幹部たちのグループのアイデア会議に同席して、沈滞したアカウントに活気を与える方法を考えているかもしれない。たとえば、食器会社は、国際的な規模のプロモーショナル・キャンペーンを利用して、販売を伸ばすこともできるわけである。
グリン夫人は、この国際デザイン・コンペのスポンサーになることで世界中から新しいパターンを求めることになると助言したりする。
こういった仕事では、多くのことに関係ができてくる。長い間の有名人たちとの間に築かれてきた交友関係も役に立つだろう。彼女は新製品を送り出すために、有名人の推奨シリーズを手配することもある。
あるいはちょうど私がそこにいた日にそうだったように、有名人のほうから彼女と交渉を求めることだってあるわけだ。
たとえば、テレビの一時間特別番組の企画を依頼していたのは、世界的に有名なバレリーナであって、このバレリーナは、至急に”100万ドル”を必要としていたのであった。スポンサーを見つけるのがグリン夫人の仕事というわけだ。
このファッションや「すてきな人びと」にかかわることとか、何が流行したり、何がすたるといったさまざまな傾向に気を配ることを、ほんの表面的なことと考える人たちもいるが、グリン夫人の意見は違う。
「ファッションやスタイルは、常にそれぞれの世代の考え方の反映でした。だからファッションの問題は現象的なことではなくて、私たちの文化の肝心な部分を占めるものです。時代を形づくって行くのは時代を反映しているその人たちなのです。そして私自身そのグループの一員となっていることに喜びを感じます」
と彼女はいいきる。
そして彼女は女性らしい率直さでこう結論する。
「もちろん、旅行をしたり、すばらしい場所で昼食をとったり、それにそれぞれの分野の先頭に立っている有名人たちと会ったりすることはすばらしい」
アリス・グローヴスのショーでモデルと
何が流行したり、何がすたるといったさまざまな傾向に気を配ることを、ほんの表面的なことと考える人たちもいるが、グリン夫人の意見は違う。
しかも、そのグループにはいっているということは、いつでもトータルなマーケットに遅れないでいるということを意味するし、それは、疲れもするし、むずかしいものでもある。毎日おびただしい種類の国際的な記事を読むようなものだ。それは最近の芸術、家具、服装、アクセサリー、遊び、映画、ブティック、レストラン---つまり端的にいえば、生活スタイル---世界中の流れを知るために、広範な旅行(昨年の例でいえば、シカゴ、ニューオリンズ、アカプルコ、ロンドン、パリ、ローマ、ギリシア、イスラエルなど)をすることを意味する。
ご主人と4人の小学生をかかえた婦人がどうやって時間を見つけられるのだろうか。長いあいだ彼女を助けてきたある人はこう説明する。「彼女は驚くほど上手にやってのけています。彼女の生活のすべてがうまくアレンジされています。子どもたちでさえそうなのよ。つまり、女の子、男の子、女の子、男の子って具合です」
ジョアン・グリン自身こういっているのだ。「私が思うに一日中ぶらぶらしている女の人たちだって、私以上に子どもたちとの時間を持っているとはいえないのですよ。幼年期には彼らは友だちと遊びたいので、母親と遊びたいなんて思ってやしません。そして学校に入れば、そう、一日中、学校にいるんですから。その時間、私の時間がいくらか残っているし、私には十分エネルギーがありますもの---回転の速い新陳代謝とでも呼ばれるでしょうか。私はどこでも眠れます。通勤時もほとんどといっていいくらい座れますから、30分眠るとか、本を読むかです」
それからちょっと困惑とした表情になって、彼女が続けるには「でも、席がとれなかった場合は、すごい時間の浪費ですね」 しつけのよい家庭的背景が見られる。そして「私はそれがいやでした。でも必然的に同じ道をたどっていましたね。私自身の子どもたちについては少し緩和されてきたようですけど」と認める。
そして彼女は健康を維持して行くのにどうているのか? 「一日に一錠ビタミン剤を飲みます---自分のしていることに深い興味を持つことです---それが本当に私を保たせていると思いますわ」それから彼女は真剣になる。「もし仕事についていなかったら、さらにもっと自治会活動やボランティア運動をしていたでしょうね。本当にすべきことは山ほどあって、それをする人びとは十分いないのです」
「もし仕事についていなかったら、さらにもっと自治会活動やボランティア運動をしていたでしょうね。本当にすべきことは山ほどあって、それをする人びとは十分いないのです」
だぶん私たちは、このすっかり完成されたエネルギッシュな女性、メリー・ジョアン・グリンをかきたてているものを知る手がかりを、なすべきことはが山ほどもあり、しかるにそれのできる人がそれほどいないという点に見いだすだろう」
【参照】「DDBのスタイリング部は女性のトリデ」(2009.5.25)