創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(550)離婚しないで仕事を成功させる法 (了)


『DDB NEWS』1972年8月号の表紙です。
編集部がバケーション・シーズン号の遊び企画として、DDB全支社に「オフィスの窓から眺めた周辺の写真を送れ」と頼んだのです。ロス、アトランタミュンヘン、ホノルル、メキシコ・シチー、ロンドン、デュッセルドルフリッチモンドトロントとも、言いつけどおりに窓から見える平凡な風景写真を送ってきました。
ところが、バーミンガムの提携社カーギル・ウィルソン&アクリー社のクリエイティブ班は、まともに受け取らなかったのです。


編集部が写真に付したキャプション。


This view out the window was contributed by Cargill, Wilson & Acree's Birmingham office.
We're told this is a photo of Art Director P. Holland (standing) discussing a new campaign with copywriter H. Frye (lying).
But does the railroad really run through the middle of the shop?


送られてきた写真に添えられていた文面は、
 「コピーライターのH.フライ(横たわっている女性)と、アートディレクターのP.ホランド(立っている男性)は、新しいキャンペーンのセッションを始めました、これがその写真」 


編集部注;オフィスの中まで線路がきてるのかしら? 


chuukyuu注;「バーミンガムは、アイデアでは、N.Y.本社のクリエイティブ部門にまけてはいませんぜ」って心意気でしょう。展示の機関車が蒸気を吐いているのが、なんとも、おかしい。
で、編集部としては、表紙にとりあげざるをえなかった。バーミンガムのプレゼン勝ち---はそれとして、ニューヨークとしては、2番煎じはできなくて、本社の43丁目ビルの窓から、ダウンタウン側を撮影。キャプションに曰く。真ん中がエンパイヤ・ステイト・ビル(摩天楼)、その右にかすかに白く貿易センター・ビル(9.11に消滅させられた)。



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以下、きのうのつづき。40年以上も前の、賢い共働きの奥方たちの弁
きょう、きのう、おととい---ともに39年前刊の拙編『DDBドキュメント』(ブレーンブックス1970.11.10)から転載。
女性の常連からのコメントを期待。




ジャン・マクナマラ(人事部長)


メイドにお給料を払いながら働いています。
しかし2人の給料を合わせても、たかが知れています。
子供がいたら、私はたぶん働いていないでしょう。
マンハッタンで子供の世話をしてくれる人を捜すのは不可能ですから。
たとえ捜したとしても、その人に給料の2倍も払わなければならないでしょう。


私か家庭にずっといたら、私はでたらめになるでしょう。
私はかつて3ヶ月間、そうしたことがありました。
すごく不幸でした。私は社交タイプではないのです。
そして3部屋しかないアパート分くらいの掃除しかしません。
主人は別の代理店でアカウント・エグゼクティブをしていますが、同じ仕事についているということは、すばらしいことです。
つまり、少なくとも、私には彼がなんのことを話しているのかがわかるからです。
仕事はちっともきつくはありません。
主人を待っていたり、5時か6時に人に会ったりするので、遅くまで働くこともあります。
働いていなかったころは、結婚生活はもっと苦痛でした。
とても退屈で……。
規則的というのは、私の重大事ではありません。
もし、主人が五時きっかりにテーブルで夕食を取りたいタイプの人間だったら、話も異なってくるでしょうが、彼はそういうタイプではありません。
彼は会社のアカウント(得意先担当としての)業務が片づいてしまうと、「帰りにマティニーを飲んで夕食をして行こうよ」といいます。
満腹しなかった時には料理をつくります。
といっても週に4日くらいなものなのですが……。


私は仕事が済んで歩いて帰りながら買物や用事を済ませます。
マンハッタンに住むようになってからは、ほとんどの店が7時まで開いているので問題はありません。


私は結婚した時に、郊外には引っ越さないことと、子供を2人半はつくらないことを主人と約束しました。
家庭の主婦になることは、私の生涯では収穫とはならないのです。
私は人に囲まれているのが楽しいのです。


結局は、男性しだいですね。妻が家にいて、家の仕事をすることのほうを好む男性もいますが、主人は、私か家に閉じ込められて気が変になる代わりに、働いていれば幸せなのを知っています。
そしてすべてのことをやるのに時間は十分あるのです。
本当にあるのです。


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ロール・パーカー(コピーライター 副社長)


私は、自分の結婚と仕事を結びつけはしません。私はこの二つを区別しています。
私は一つを家庭で、一つを会社でやります。
多くの主婦の障害は、すべてを家庭中心にやることにあります。
仕事を持った女性の障害は、すべてを仕事中心にやることでしょう。
そしてこの二つは、互いに他方を受け付けません。


救いは、私がこの両方ともが好きだということです。
私は、自分のやっていることを恥ずかしがっているようなコピーライターではありません。
私は、小説や短編を書くことにあこがれは持っていません。
私は、コピーライティングはやりがいのある、面白い、理性的な職業だと思います。


家庭では、私は熱心な料理人であり、パーティー主催者です。
また国際ホテルのマネジャーでもあります。というのは、私たち夫婦はよく旅行をしますし、私たちが外人のお客と一緒にいない時期はほとんどないからです。
不幸なことに、私たち夫婦には子供がありません。
ですから、旅行が私たちの生活を満たす代用品になるわけです。
夫婦が全く違った仕事をしているということは、助かると思います。
夫は、電子工学の技師で、私は彼の仕事については何も知らないし、何もわかりません。
彼も私の仕事については何もわかりません。
だから、彼にわかることといえば、私が世界中で最もすぐれたコピーライターであるということだし、私か彼についてわかることといえば、彼が世界中で最もすぐれた技師であるということなのです。


同じコピーライターとか、家に帰ってまで職業上の競争するような人と結婚するなんて、考えただけでもゾッとします。
私は働いているのですから、少しは大目に見てもらう権利があると思います。
みんな洗たく屋に出し、食料品店に電話で注文して配達してもらいます。
パーティーの時のメイドや、臨時の掃除人、窓ふき人、掃除婦などを雇います。
雇って処理できることならなんでもやってもらいます。
料理と装飾楽しめるので自分でやりたいと思います。
一日の仕事のあとの調理はちっとも苦になりません。気分転換になります。もう一つ、私かやっているぜいたくは、毎朝
の出勤にハイヤーを使うことです。


私は組織立った生活の中に、自分をはめ込む習慣を持つことは、役に立つことがわかりました。
私はなんでも非常にすばやくやることを覚えました。
もし朝の9時半までしか時間の余裕がない時は、9時半までにすべてのことを片づげます。
しかし、もし丸1日余裕がある時、たとえば風邪をひいて家にいるとか休みの日などは、一日かけてぐずぐずやります。 私私には、働いてないなんてことは、とても想像できません。
家にずっといたら、死んでしまうだろうと思います。
私は、もしゴールダ・メイア(注・イスラエル共和国元首相)が田舎へ引っこん
で、鶏肉のスープ料理をつくって生涯を送るなら、私もそうすることができるだろうと思います。


(『DDBニュース』1970年月号)

ロール・パーカー夫人とのインタヴュー
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パーカー夫人のスピーチ『DDBのクリエイティビティの秘密』
1966年10月15日