(446)ピンナップ・エイジェンシー
先日、資料庫へ入って探し物をしていて、古いスクラップ・ファイルを見つけた。
中に、1958年4月4日付の『ニューヨーク・タイムス』紙「マジソン街の話題]コラムとでも呼ぶべき記事が入っていた。
1958年といえば、51年前である。VWビートルのキャンペーンが始まったのはこの1年後である。
が、そのころ、もう、すでに、DDBには、〔ピンナップ・エイジェンシー ]という、とてつもない栄誉が冠されていたのである。
ぼくのDDBへの注目が、そのころから始まっていたことも証拠づけられた。
ああ、半世紀!
(1958.4.4 N.Y.タイムス 左:ドイル氏 右:バーンバック氏)
リサーチ,イエス。でも、アイデアも---。
-----よい趣味(テイスト)は売り上げに結びつく----
(『ニューヨーク・タイムス』紙 1958.4.4 「広告畑」コラム (1)抄訳)
この業界の最近の〔ピンナップ〕広告代理店は、DDBである。
競争の激しい広告業界で、他の代理店の仕事に対するお世辞や賞賛はまれなことである。
しかし、最近では、いろんな代理店を訪れると、クリエイティブ部門の人たちの個室に、DDBによって創られた広告作品が、参考例としてピンナップされていることが多くなった。
先週のインタヴューで、DDBの社長である46歳のウィリアム・バーンバック氏は、43丁目西20番地にある氏のオフィスで、ふだんの言葉で応じてくれた。
「私たちは、広告におけるよう趣味(テイスト)は、売り上げるに通じるということを証明したと考えてたいのです。
このことは、私たちの成功に大いに関係しています。
クリエイティブであることだけでは十分ではないのです」
このような仕事---オーバックスやブック・オブ・ナレッジ、リヴィ・パン、そしてフェアモント・フーヅは、この代理店の名声を高めた。
ジョーンの秘密がわかりましてよ。
彼女の話すのをお聞きになったら、あなただってきっと、この人ったら名士録に載るほどの人だなってお思いになってよ。でも、私、彼女の秘密をつかみましたことよ。ご主人が銀行家だろう---ですって? とんでもございません。銀行口座すらありませんわ。それに彼女の住んでいるあの邸宅だって抵当に入っているのよ! 想像できて? それなのにあんなにたくさんの衣装! ええ、もちろん、彼女は着こなし上手ですわ。 でも、ほんとうのところ、ミンクのストールやパリ製のスーヅや、あんなにたくさんの衣装が、ご主人の収入で買えるとお思いになれる? そこなの、私の発見は---ジョーンを尾行しましたのよ、そしたら彼女、オーバックスから出てきましたわ!
このいちごを切り刻むなんて---
(chuukyuu注)へルムート・クローン氏がVWVビートルのシリーズのフォーマットを創るときの下敷きにしたという、バーンバックさんの伝説的作品。とうぜん、DDBのクリエイターたちの創作護符的存在でありつづけた。
と同時に、これらのアカウントをずっと継続させつづけた。
バーンバック氏の冷静さは、リサーチ関連の質問のときにちょっと神経質になったようにみえた。
「私たちは、私たちがぱっと吐く息にのって飛び回るという神話をでっちあげた多くの人たちがいます。
私としては。どこでそのようなこの話が始まったかは知らないが、本当ではありません」
と、反論した。
「実のところ、私たちはどんな代理店よりもリサーチのよい友であります。
そのわけは、私たちは仮定されないようなことをリサーチに求めるようなことをしないからです。
ある代理店のエグゼクティブが、一度リサーチがなされたならば、誰だって広告を書くことができると言ったのを聴いたことがあります。
これは全くのナンセンスというほかありません」
グレイ代理店時代からバーンバック氏とともに働いていたネッド・ドイル氏(取締役副社長)は、
「200人のうちの従業員のうち、14人がリサーチの仕事をしているのです。
私たちはファクトを求めています。
しかし、いちど、それらがかき集められると、私たちが強調するのは、どのようにすればそれらが劇的に演出されるかということなのです」
「たとえば、ELALイスラエル航空の広告を見てください。ELALのブリストル機が、他の航空会社の機に比較して、大西洋の横断を2時半切りつめ、それをヘッドラインで訴えたような直裁な表現を、ほかの代理店が引き出せるとはきるとはおもわないのです」
解答:破られた写真
DDBの解決は、一部を破った大西洋の写真で、ヘッドラインに言う。「12月23日を期して、大西洋は20%、縮みます」
12月23日を期して、大西洋が20%小さくなります。
業界中で、とりわけ目立ったと、大評判になったこのアイデアは、バーンバック氏が両親との昼食から帰る時に浮かんだものであった。
明日に、つづく