創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(535)DDBの広告『これをするか、さもなくば死になさい。』

この20日(金曜日)夕方7時から、TCC(東京コピーライターズクラブ)のクラブ・ハウスでスピーチをしました。
演題は、なんどもご紹介したとおり、[ 1960〜70年の米国のクリエイティブ革命はなんだったのか]で、まあ、このブログで書きついできた内容を中心にしたものでした。

スピーチを始める前に、会のあと家にお帰りになり、3連休のあいだにでもお目とおしください---といって、以下の広告のコピーを全員の方に配りました。

1969年10月3日号の『Time』誌にDDBが出した自社広告で、DDBはバーンバック会長の「この広告はDDBの思想であるから熟読してほしい」との手紙をはさんだ、その号を全従業員に渡したと、1969年12月号『DDBニュース』が報じていました。

C/W はボブ・レブンソン氏、A/D はレン・シローイッツ氏。当ブログではおなじみのDDBの俊英クリエイターです。


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これをするか、さもなくば死になさい。


この広告を脅しとみますか?
違います。しかし、そうなったかもしれないのです。
そして、米国のビジネスにとって、するか死かの別れ道でもあるのです。
広告を通じて、私たちはクライアントとともに、
人びとをトリックにかけるすべての力と技を持っています。
あるいは持っていると考えています。


しかし、私たちは間違っているのです。私たちはいついかなる時でも、
いついかなる人をも、だますことなど出来ないのです。
実際、この国の6歳の子どもは、12歳並みの知力を持っています。
そう、私たちは、知的水準の高い国民です。


そして、ほとんどの広告が知的な人びとを無視しているがゆえに、
ほとんどの知的な人びとがほとんどの広告を無視してしまうということになるのです。


そこで私たちは、仲間うちでの話をするのです。
媒体とメッセージについてとどまるところを知らない議論がそれです。ナンセンスです。
広告のメッセージはそれ自身がメッセージなのですから。
何も書いてない紙面にしても、何も写していないテレビのスクリーンにしても、同じことです。


そしてとりわけ、私たちがそれらの誌面やテレビの画面にのせるメッセージは、真実でなければなりません。


もし、真実を曲げて伝えれば、私たちには死が待っているのです。


きて、コインのもう一面についてお話ししましょう。
それは、製品について真実を述べるには、真実を述べるに足るだけの製品が必要だということです。


ところが悲しいことに、多くの製品はそうではないのです。
あまりにも多くの製品が、改良の努力を怠っています。特長もありません.
それに製品が長持ちしないものもあります.
あるいは、なくてもいいような性能がつけられています。


もし私たちがこのトリックを用いるなら、死ななければなりません。
なぜなら、広告というものは、悪い製品が早くダメになっていくのを一層促進するものだからです。
どんなロバだって永久に人参を追いかけてはいません。
事態がのみこめれば、追いかけるのをやめます。


これは覚えておいてよいことです。
もしそうしなければ、死を待つばかりです。
もし改革がないならば、そのうちに、消費者の無関心という大波が、
広告され、製造されているたわごとの山を襲うでしょう。
その日こそ、私たちの最後です。
私たちは私たちの市場で死ぬのです。私たちの商品棚の上で、
空虚な約束を記した美しいパッケージの中で。
物音もなく、すすり泣きもされず。
しかし、それは私たち自身のきたない手が引き起こしたことなのです。


DDB


『Time』1969年10月3日号
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『DDBニュース』は、この広告に寄せられた投書を紹介していました。


「貴社のあの広告は、私がこれまでに見た、広告代理店、あるいはわれわれの業界のどの広告よりも、深遠な叙述である。それをいう勇気を持ってくれてありがとう」……ボストンの一雑誌発行者


「私がこれまでに読んだマーケティング業における、いわゆる洗練された広告というものの良識をうまくまとめた最高のものです・・・」……ある大会社のマーケティング・マネジャー。


「私がかつて読んだ中でいちばんスマートな広告だ。これをつくった人はメダルを受ける価値がある・・・」……ワイオミング州・キャスパーに住む男。