創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(659)バーンバックさんとDDB(10)

(承前)


バーンバック------人に利点を記憶させる方法は2つあります。
1つは100回もそれを繰り返し言い、最後はダメになる方法。
もう一つは10回同じインパクトで言い切り、その表現の新鮮さに
よって人々の記憶を永続させる方法です。


■DDBアカウント・マンの資格


:DDBのように、クリエイティビティに専念し、また、そのため
に有名でもある代理店のアカウント・マンはどうなのですか?


バーンバック たいへん結構な質問です。
率直に申して、DDBのアカウント・マンは、ほかの代理店の場合より、
すぐれた手腕を要求されます。
DDBのクリエイティブ・マンは、自分の仕事が効果的であるためには、
それが健全な知識に基づいていなければならないと考えています。
そして、クリエイティブ・マンの仕事を効果的にするための事実、数字、
知識を供給するのがアカウント・マンというわけです。
そんなわけで、DDBのクリエイティブ・マンは、アカウント・マンにと
っていちばんこわい存在です。
クリエイテイブ・マンは、アカウント・マンをいじめぬきます。
クリエイティブ・マンは、あらゆる情報---- マーケティングの状況はど
うか、競合会社の状況はどうか、消費者の状況はどうか----を要求しま
す。私は、アカウント・マンにいうのです。「後生だから、君はクリエイ
ティブの細かい点には気を使ってくれるな。君が気を使うべきことは方
向づけということだ、君が気を使うべきことは、クライアントのことだ。
君は、クライアントにとってはうちの代表者なのだから、君がやるべき
仕事は多い。制作室に行ってコピーを変えたり、レイアウトを変えたり
してくれるな。
そんなことは君の専門外だ。
われわれには君の専門技術がないが、君にもわれわれの専門技術はない
のだ」
長年の経験を経て、今、DDBには若い優秀なアカウント・マン、新進
気鋭のマーケティング・マンがそろっています。
彼らは、クリエイティブの仕事がなんであるかをよくわきまえています。
一方、クリエイティブの連中もアカウント・マンたちの仕事をよくわき
まえています。
DDBのような代理店が創立時に直面した危険は、若い未熟なアカウン
ト・マンがいて、この種のアカウント・マンには、われわれが何をしてい
るのかよくわからないということでした。
こんなアカウント・マンが、クライアントのところに行って「これが私
たちの仕事です。どうぞよろしくお願いします」などというわけです。
ある若いアカウント・マンが社に帰って私にこういったのを覚えていま
す。「クライアントは、この作品に乗り気でなかったのですが、 うま
く口説いて売ってきました」
そこで私は「それを見せてくれ」といい、その作品を見ていってやり
ました。
「これはクライアントのほうが正しい」
自分が正しくなければ、強く売り込むことはできないはずです。
よい広告ができるなら、いくらよくしてもよいわけです。
結局のところ、私たちは広告の質によって利益を得るところ、
私たちは広告の質によって利益を得て繁栄するのです。
広告をつくったのは自分たちだといった、ちっぽけな自尊心に
よってではありません。


【chuukyuu註】アカウント・マンと訳しているが、"DDB NEWS" 1971年8月号で
ふえてきているアカウント・ウィメンの活躍ぶりをリポートしている。いずれ、当ブログ
に紹介する予定。下は、同号の表紙。



『創造と環境』より
アカウント部もDDBで働いている
クライアントと戦うアカウント部




以下、明日
このコンテンツ構成には若手コピーライターの安田慎一さんと菊池小百合さん
プロデューサーの転法輪 篤さんのごのご助力をいただいています。

補足下は1969.10.03の"Time"誌に慶されたDDBの自社広告です。
"DDB NEWS"によると、オハイオ・ベル電信電話社の専務取締役、
ボストンの出版社の編集長、一般消費者などから、多数の共感の手紙が
寄せられたといいます。


これをするか、さもなくば死になさい。


この広告を脅しとみますか?
違います。しかし、そうなったかもしれないのです。
そして、米国のビジネスにとって、するか死かの別れ道でもあるのです。
広告を通じて、私たちはクライアントとともに、人びとをトリックにかける
すべての力と技を持っています。
あるいは持っていると考えています。

しかし、私たちは間違っているのです。
私たちはいついかなる時でも、いついかなる人をも、だますことなど出来な
いのです。

実際、この国の6歳の子どもは、12歳並みの知力を持っています。
そう、私たちは、知的水準の高い国民です。
そして、ほとんどの広告が知的な人びとを無視しているがゆえに、ほとんどの
知的な人びとがほとんどの広告を無視してしまうということになるのです。

そこで私たちは、仲間うちでの話をするのです。
媒体とメッセージについてとどまるところを知らない議論がそれです。ナンセ
ンスです。
広告のメッセージはそれ自身がメッセージなのですから。
何も書いてない紙面にしても、何も写していないテレビのスクリーンにしても、
同じことです。


そしてとりわけ、私たちがそれらの誌面やテレビの画面にのせるメッセージは、
真実でなければなりません。
もし、真実を曲げて伝えれば、私たちには死が待っているのです。


さて、コインのもう一面についてお話ししましょう。
それは、製品について真実を述べるには、真実を述べるに足るだけの製品が必要
だという。
ところが悲しいことに、多くの製品はそうではないのです。
あまりにも多くの製品が、改良の努力を怠っています。特長もありません.
それに製品が長持ちしないものもあります.
あるいは、なくてもいいような性能がつけられています。

もし私たちがこのトリックを用いるなら、死ななければなりません。
なぜなら、広告というものは、悪い製品が早くダメになっていくのを一層促進する
ものだからです。

どんなロバだって永久に人参を追いかけてはいません。
事態がのみこめれば、追いかけるのをやめます。
これは覚えておいてよいことです。


もしそうしなければ、死を待つばかりです。
もし改革がないならば、そのうちに、消費者の無関心という大波が、広告され、製造
されているたわごとの山を襲うでしょう。


その日こそ、私たちの最後です。
私たちは私たちの市場で死ぬのです。
私たちの商品棚の上で、空虚な約束を記した美しいパッケージの中で。
物音もなく、すすり泣きもされず。


しかし、それは私たち自身のきたない手が引き起こしたことなのです。




DO THIS
OR DIE


Is this ad kind of trick?
No. But it could have been.
And at sxactly that point rests a do or die decision for American bissiness.
We in advertising, together with our cliants, have all the power and skill t trick peple.
Or so we thinh.
But we're wrong. We can't fool any of the people any of the time.
There is indeed a twelve-year-old mentality in this country; every six- year-old has one.
We are a nation of smart peple.
And most smart peple ignore most advertising because most advertising ignores smart people.
Indead we talk to each other.
We debate endlessly about the medium and the massage. Nonsense.
In advertising, the massage itself is themassage.
A blank page and blank television screen are one and same.
A above all, the massages we putright on those pages and on those tele-vision screens must be the truth.
For if we play tricks with the truth, we die.
Now. The other side of the coin.
Telling the truth about a product demands a product that's worth telling the truth about.
Sadly, so msny products aren't.
So many products don't anythig better. Or anything different. So many don't work quite right.
Or don't test. Or simply don't matter.
If we also play this trick, we also die.
Because advertising only helps a bad product fail faster.
No donkey chases the carrot forever. He catches on. And quits.
That's the lesson to remember.
Unless we do, we die.
Unless we change, the tidal wave of consumer indifference will wallop into the mountain of advertising
and msnu-facturing drived. 
Thae day we die.
We'll diein our marketplace. On oue shelves.In our gleaming packages of empty promises.
Not with bang. Not with a whimper.
But by our own skilled hands.

DYLE DANN BERNBACH INC.

Time 3rd October 1969 




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