(527)「コピーとアートの結婚を語る」(連結編 英文つき)
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レオン・メドウ | DDB副社長兼コピー部アドミニストレイター |
ベン・スピーゲル | DDB副社長兼アート部アドミニストレイター |
『DDBニュース』1968年7月号に載った同誌編集長によるインタビューを、許可を得て『DDBドキュメント』に翻訳掲載…同書からの転載。
広告賞は広告の効果を反映しない
問「メドウさんは、コピー部という大世帯のアドミニストレイターでいらっしゃいますね。そして、いつもコピーを書いているというわけではありませんね。
それなのに、広告業界の同僚たちは、あなたを大コピーライターの一人に選んだ…」
メドウ「ええと、彼らは、私がベター・ビジョン協会の仕事で得た栄光に影響されたんですよ。
あの仕事は、実際あらゆる広告賞をさらいました。
でも、アートディレクターのレン・シローイッツといっしょだったから賞がさらえたのですよ。
あの仕事は、たぶん、私が広告界にはいってからずっとやってきたどの仕事にも増して、この業界に私の名を広める力をもっていました」
問「おっしゃっているのは、賞を得ることは、単に才能の問題ではなくて、すばらしいキャンペーンを手がけうるかどうかの運によるということのようにも聞こえますが…」
これは点字です。「あなたはたった一組の目でずっとやってきたんです。年に1回かそこらは検査してやんなくちゃあ」と書いてあります。
>>ベター・ビジョン協会、広告キャンペーンのアートディレクターである、レン・シローイッツ氏のインタビューはこちら
メドウ「賞について問題になることの一つは、人間だれでも賞をもらうのが好きだということ。自分自身のことだけを考える人たちによって審査が行われることです。
『ぼくがあれを書いていたら』とか『自分がこれをアート・ディレクトしていたら』と考えるけれど、『製品をよく売るだろうか』とは考えないのですよ。
一般に、広告賞は、作品の真の目的とその効果を反映したものだとは思いません」
コピーライターとアートディレクターの仲人
問「コピーとアートのチームの割当てをする時、どんなことを考慮して組ませるのが最も大切ですか? 欠けているところを補足するやり方? それとも気性ですか?」
スピーゲル「レオンと私は、一緒になって、その人たちが有機的に両立できるか、確かめます。才能上の見地からもね。
われわれは、それぞれに、その仕事が適当と思われる人間を選び出します。彼らは、気性の面からいって、一緒に仕事ができるだろうか、と…」
問「いままでに、『私にはできない』といってきた人はいましたか?」
スピーゲル「ありますよ。『私はあのアートディレクター、またはライターとはとても一緒に仕事はできない』といって戻ってくる人はいますよ。これは有機的な原因のほうですね」
メドウ「この《コピーライターとアートディレクターの結婚》というのは、非常に親密な関係なんです。
2人を一室に入れておくとしますね。お互いにじっと見つめ合って、問題に取り組む方法がこうだからとか、身体上のくせがこうだからとか、小さいことまで検討して、2人は気分的にもうまくやれると結論するのです。
そこで私は、彼らに、これは大変幸せな永遠に続く結婚なんかではなく、よい広告をつくるためのものだとといってやるのです」
スーパバイザーは内部から登用する
問「チーム・ワークが非常にうまくとれているとわかったら、永久に組ませておくのですか?」
メドウ「いいえ、それは不可能です。永久に組んで仕事をやらせると、結果として、その部の組織は硬直状態に陥ってしまうでしょう。
われわれは、それができる場合には、彼らを組ませておきます。でも、部を動かして行くにあたっては、そのほかにもいろいろ考慮しなくてはならないこともあるのです。
一つには、それぞれの人間への仕事量の配分を優先して考えなければならないし…」
問「そのチームが、あらゆる賞をかち得たとしても?」
メドウ「そんな時でも、私たちは、彼らを一緒にしておいて、ほかの者たちとは仕事をさせないなんてことはやりません。
それに、彼らは、いつも一緒にうまく仕事をし続けることはできません。そのようなチームでも、しばらくすると、どちらか一方の側に新しい血を吹き込むことが必要になつてくることもありますね。
もう一つの有効な方法は、老練なアートディレクターを連れてきて、あんまり慣れていないライター、またはその逆でもいいんですが……と組ませるのです。チームに、あまり慣れていない面をもたらすためです」
問「老練な人は、障碍になるということですか?」
メドウ「いいえ。彼らがプロなら違います。彼らのほとんどは、彼らが2重の役割を持っていることを理解しています。
一つは、よい広告をつくること。
もう一つは、部自体を向上させるために貢献することす。
われわれは、ここにいる立派なライターや、アートディレクターが、彼らの知識の多くを、若い人たちに分かち与えたからこそ、存在していられるのです。
少なくとも、われわれの成功の98%は、この代理店の内部からもたらされたものです。
われわれは、アート部やコピー部に、スーパバイザー格の人を雇い入れることはめったにありません。
われわれの会社のスーパバイザーは、かつて若いライターやアートディレクターだった人たちです。
そして、伝統と知識は、かわるがわる、初心者に受け継がれて行くのです」
若いアートディレクターの訓練法
問「DDBでは、若いアートディレクターたちをどうやって訓練するのですか? 決まったプログラムでもあるのですか?」
スピーゲル「いいえ、実際の仕事についての訓練です。
これがいちばん有効ですね。
彼らは、ブルペンで仕事をするのです。
そして、彼らが実質的に行ったことが糊でこねられ、彫刻のための材料が準備されるというわけです。
彼らは、自分がやっている仕事から学びます。
観察したり、社内のあちこちを見回したり、大変に親切な社内のアートディレクターたちと話したり、アイデアを出したり、自分自身のポートフォリオをつくったりしながら……
時には、若いライターと組んで、広告をつくることもあります。
ほとんどは観察ですね。
アシスタント・アートディレクターが必要になった時、彼らを年功順に登用ということは、ここでは、しません。
彼らは、作品帳を提出します。それを、ビル・トウビンかボブ・ゲイジと一緒に見ます。こうして、最も才能があると思われる人を選びます。
DDBに一番長く在籍している人を選ぶのではありません。
彼は、こんな経過を経て、その仕事を得るのです。
彼がアシスタント・アートディレクターになったら、もちろん、アートディレクターと一緒に仕事をし、その仕事ぶりを見ます。
そして、アシスタントの彼に、実際の広告のつくらせる機会を与えます。
彼は、そこで、また、学ぶわけです。
これは、だんだんにステップ・アップして行く養成方法ですが、ものすごく成功しているとおもいます」
問い「何人ぐらいが、ブルペンからアートディレクターになりましたか?」
スピーゲル「スタン・ブロックでしょう、ジム・プラウン…(氏名略)…など21人」
(chuukyuu注:氏名をあげるとラテン系、ユダヤ系、アラブ系などがわかる人には推察できるのですが。中にボブ・マツモトさんもいて、この人が、ぼくのDDBについてのリポートの大半をバーンバックさんのために翻訳していたようです)。
コピーライターの訓練法
問「アートディレクターの訓練は、秩序のあるシステム化がなされているようですね。コピーライターの訓練はどうですか? どんな訓練が?」
メドウ「コピーライターには、アートディレクターのような予備的な訓練はありません。
実際の仕事について広告を組み立てたり、コピーを書くことが訓練です。
アート・スクールでやっているように、糊づけをしたり、写真を切ったり、そのほかブルペンで必要とされていることを教えることはできないのです。
(chuukyuu注:現在では、ブルペン作業は、ほとんどパソコン操作がとって代わっています)
何がコピーライターを生むのか、だれにもわかっていません。彼らは、ポーシェットあたり(注:ユダヤ系米国人が集まるリゾート地)から、ジャーナリズム・スクールから、失意のテレビ作家から、頭のよい秘書(たとえば、ジェイン・タルコットやエレン・パーレスのように)から、生まれるかもしれません。
彼らは、いろいろなところから生まれるのです。実際に、いかに書くかを教えるのは、大変にむずかしいことです。
言語についてのフィーリングがなければなりません。
言葉のリズム同様に、書くリズムのフィーリングも必要です。
そして、立派なものを書くために必要な、タイミングのセンスを教えるのは、まったくむずかしい。
これは、抑揚とリズムの問題ですが、たとえ読む人や聴く人がその技巧に気づかないにしても、これが本質的に仕事をやるということです。オリジナリティを教えることはできません。
もちろん、簡潔さは教えられます。美しく、整然としたやり方で論法を提示することは教えられます。そして、書き出しを、中間を、結びをいかに書くかということも教えられます」
問「ということは、訓練を受けている人たちがいるということですか?」
メドウ「現在、訓練を受けているといえる人は、一人か二人しかいませんね。
私がアドミニストレイティブ・ヘッドだったころは、20人か30人はいました。
われわれはできるだけ、選抜しようとするのですが、成功するチャンスはきわめて少ないのです。あれやこれやの理由で、彼らは、最後まで我慢しきれないようです。
そして、たまたま、非常に早く非常にうまくなっても、檻から飛びだしてしまうこともあります。
訓練生たちに払う給与は、たいした額の支出ではありません。われわれが考えるのは、指導者の時間なんです。これは非常に高価な時間ですからね」
ポートフォリオの中に《天才》を捜す
問「ポートフォリオの中の何を期待なさいますか?」
スピーゲル「グラフィックのあらゆる面を習得した人を選ぼうと思います。必要なコースのすべてをとるかどうかは、彼(彼女)たちの意思次第であることが多いのですよ。
なぜなら、コンセプトのコースとか、グラフィックのコースだけとか、選択することができるからです。
でも私は、彼(彼女)たちがレタリングができるか、絵を描くことができるか、グラフィックに精通しているか、彼(彼女)たちがやらなければならないことは、写真を上に置いて、その下に小さくヘッドラインを置くことだ、そしてそれがすべてだなんて思っていやしないか、ということを知りたいと思います。
われわれは、彼(彼女)たちがやっている仕事の中に、興味のあるコンセプトやグラフィックがないか捜します。
それから、正確でありふれていることの代わりに、当たり前じゃない考え方、新鮮な考え方を求めます」
メドウ「ポートフォリオを見る時、売り方についての基本的な考え方を見ます。
それから、これらのアイデアが実際コピーの上にいかに展開されているかを見ます。
現在では若いライターたちは、おそらく書くことより、コンセプトの方が強いのではないでしょうか。これは、テレビの影響かもしれません。
テレビでは、どちらかといえば、書くことはコンセプトに従属したことのように思えますからね。
決してそうじゃあないんです。
コンセプトは、もちろん、きわめて重要です。
コンセプトがなけりゃ、コピーは忘れられます。
でも、コンセプトは、ただ戸を開けさせるだけです。
もし、コンセプトが商品をセールスするのに十分なだけ長く戸を開け放っておかなければ、書くことも失敗しますからね。
問「そのほか、お2人がポートフォリオの中にお捜しになるものは?」
メドウ、スピーゲル「天才!」
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1969年までのDDBに在職中にあなたが創った広告でもっとも気に入っているものは? との問いにメドウ氏は、この1点を選んだ。
アン・フリンの両親がこの写真の使用を許可したのは、なぜでしょう?
理由は2つあります。
(1) 適切な手当てを受けた彼女は、いまではすっかりよくなっていること。
(2) フリン家の問題は(あなたもご存じのように)すべての子どもの目の問題につながっていること。
すべての親ごさんに、アンほどひどくはないとしても、目の障害のことを知っていただきたいと思ったのです。それは発見しにくいことです。あるいは、さほど重要とみなされないで見過ごされがちです。ご注意ください。お子さんが3歳になる前に目の専門的な検眼を受けさせてごらんなさい。学校にあがって初めてやるというんではなくて---その後は年に一度ずつ。
とりわけ、このことをお忘れく。ほとんどの目の問題は予告なしに迫ってきます。しかし、徴候はあります。あなたに即刻の行動をうながすつぎのような徴候です。
1 しつっこく頭を傾ける。
2 過度に眉を寄せたり、ひどく斜視する。
3 過度に目をこする。
4 片方の目を閉じたり伏せたりする。
5 本を目に近づけすぎる。
6 読んだあと、頭痛を訴える。
7 普通よりもまばたきの回数が多い。
8 目の動きを異常に繰り返す。
メドウ氏のコメント(要約)
クリエイティブの問題とは別に、両親の同意を得ることありましたからね。アン・フリンは実名で実在している子供でしたから。
困難をきわめました。アンの両親は『ライフ』誌にこの広告が掲載された場合に、彼女の友人たちによってアンが重大な困惑を引き起こすかもしれないことを恐れていたのです。
しかし、終局的には、広告は、彼らの個人的な危惧を十二分にカヴァーしたのです。
すべては正しい方向へ収斂したのです。 心温まる読者からのたくさんの応答をもたらしました。 アンと同じような障害な苦しんでいた子たちに手術を受ける決心を両親にさせたのです。
ライターが創った広告から受け取るこれ以上の報酬がありましょうか。
クライアントにとっても---。
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スピーゲル氏が自選したのは---
ピカソは長生きしている。
生命保険の広告らしいが、図版が小さくてよめません。
スピーゲル氏の自選の弁---
私のもっとも好きな広告は、いつも一番最近に創ったのになります。生命の問題を扱った広告でもあり、ピカソを登場させているので記事のようにデザインしました。 彼が世界をわがもののようにしているように見えたピカソの写真のシリーズから選びました。 これで、見出しをロス・ローゼンバーグとかんがえました。