創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(17)「コピーとアートの結婚を語る」(後編)

レオン・メドウ DDB副社長兼コピー部アドミニストレイター
ベン・スピーゲル DDB副社長兼アート部アドミニストレイター

DDBニュース』1968年7月号に載った同誌編集長によるインタビューを、許可を得て『DDBドキュメント』に翻訳掲載…同書からの転載。


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若いアートディレクターの訓練法

問いDDBでは、若いアートディレクターたちをどうやって訓練するのですか? 決まったプログラムでもあるのですか?」

スピーゲル「いいえ、実際の仕事についての訓練です。これがいちばん有効ですね。彼らは、ブルペンで仕事をするのです。
そして、彼らが実質的に行ったことが糊でこねられ、彫刻のための材料が準備されるというわけです。
彼らは、自分がやっている仕事から学びます。観察したり、社内のあちこちを見回したり、大変に親切な社内のアートディレクターたちと話したり、アイデアを出したり、自分自身のポートフォリオをつくったりしながら…
時には、若いライターと組んで、広告をつくることもあります。
ほとんどは観察ですね。
アシスタント・アートディレクターが必要になった時、彼らを年功順に登用ということは、ここでは、しません。
彼らは、作品帳を提出します。それを、ビル・トウビンかボブ・ゲイジと一緒に見ます。こうして、最も才能があると思われる人を選びます。
DDBに一番長く在籍している人を選ぶのではありません。
彼は、こんな経過を経て、その仕事を得るのです。彼がアシスタント・アートディレクターになったら、もちろん、アートディレクターと一緒に仕事をし、その仕事ぶりを見ます。
そして、アシスタントの彼に、実際の広告のつくらせる機会を与えます。
彼は、そこで、また、学ぶわけです。
これは、だんだんにステップ・アップして行く養成方法ですが、ものすごく成功しているとおもいます」

問い「何人ぐらいが、ブルペンからアートディレクターになりましたか?」

スピーゲル「スタン・ブロックでしょう、ジム・プラウン…(氏名略)…など21人」
(chuukyuu注:氏名をあげるとラテン系、ユダヤ系、アラブ系などがわかる人には推察できるのですが。中にボブ・マツモトさんもいて、この人が、ぼくのDDBについてのリポートの大半をバーンバックさんのために翻訳していたようです)。

コピーライターの訓練法

問い「アートディレクターの訓練は、秩序のあるシステム化がなされているようですね。コピーライターの訓練はどうですか? どんな訓練が?」

メドウ「コピーライターには、アートディレクターのような予備的な訓練はありません。 実際の仕事について広告を組み立てたり、コピーを書くことが訓練です。
アートスクールでやっているように、糊づけをしたり、写真を切ったり、そのほかブルペンで必要とされていることを教えることはできないのです。
(chuukyuu注:現在では、ブルペン作業は、ほとんどパソコン操作がとって代わっています。)
何がコピーライターを生むのか、だれにもわかっていません。彼らは、ポーシェットあたり(注:ユダヤ系米国人が集まるリゾート地)から、ジャーナリズム・スクールから、失意のテレビ作家から、頭のよい秘書(たとえば、ジェイン・タルコットやエレン・パーレスのように)から、生まれるかもしれません。
彼らは、いろいろなところから生まれるのです。実際に、いかに書くかを教えるのは、大変にむずかしいことです。
言語についてのフィーリングがなければなりません。
言葉のリズム同様に、書くリズムのフィーリングも必要です。
そして、立派なものを書くために必要な、タイミングのセンスを教えるのは、まったくむずかしい。 
これは、抑揚とリズムの問題ですが、たとえ読む人や聴く人がその技巧に気づかないにしても、これが本質的に仕事をやるということです。オリジナリティを教えることはできません。
もちろん、簡潔さは教えられます。美しく、整然としたやり方で論法を提示することは教えられます。そして、書き出しを、中間を、結びをいかに書くかということも教えられます」

問い「ということは、訓練を受けている人たちがいるということですか?」

メドウ「現在、訓練を受けているといえる人は、一人か二人しかいませんね。
私がアドミニストレイティブ・ヘッドだったころは、20人か30人はいました。
われわれはできるだけ、選抜しようとするのですが、成功するチャンスはきわめて少ないのです。あれやこれやの理由で、彼らは、最後まで我慢しきれないようです。
そして、たまたま、非常に早く非常にうまくなっても、檻から飛びだしてしまうこともあります。
訓練生たちに払う給与は、たいした額の支出ではありません。われわれが考えるのは、指導者の時間なんです。これは非常に高価な時間ですからね」

ポートフォリオの中に《天才》を捜す

問いポートフォリオの中の何を期待なさいますか?」

スピーゲル「グラフィックのあらゆる面を習得した人を選ぼうと思います。必要なコースのすべてをとるかどうかは、彼(彼女)たちの意思次第であることが多いのですよ。
なぜなら、コンセプトのコースとか、グラフィックのコースだけとか、選択することができるからです。
でも私は、彼(彼女)たちがレタリングができるか、絵を描くことができるか、グラフィックに精通しているか、彼(彼女)たちがやらなければならないことは、写真を上に置いて、その下に小さくヘッドラインを置くことだ、そしてそれがすべてだなんて思っていやしないか、ということを知りたいと思います。
われわれは、彼(彼女)たちがやっている仕事の中に、興味のあるコンセプトやグラフィックがないか捜します。
それから、正確でありふれていることの代わりに、当たり前じゃない考え方、新鮮な考え方を求めます」

メドウポートフォリオを見る時、売り方についての基本的な考え方を見ます。それから、これらのアイデアが実際コピーの上にいかに展開されているかを見ます。
現在では若いライターたちは、おそらく書くことより、コンセプトの方が強いのではないでしょうか。これは、テレビの影響かもしれません。
テレビでは、どちらかといえば、書くことはコンセプトに従属したことのように思えますからね。
決してそうじゃあないんです。
コンセプトは、もちろん、きわめて重要です。コンセプトがなけりゃ、コピーは忘れられます。でも、コンセプトは、ただ戸を開けさせるだけです。
もし、コンセプトが商品をセールスするのに十分なだけ長く戸を開け放っておかなければ、書くことも失敗しますからね。

問い「そのほか、お2人がポートフォリオの中にお捜しになるものは?」

メドウ、スピーゲル「天才!」