創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(486)ロッサー・リーブス、広告の不変の原則(3)


起床が耐え難いほど、疲労感がたまってきた。暁闇のアップは無理になってきたようです。70歳の瀬をわたり終えようとして、突然、深い淵に落ちたみたい。眼底に重いものが入ったみたい。このシリーズが終わったら考えなくては---。反響も少ないことだし。


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 そうすると、ほとんどの場合、解答は商品自身の中にあるとお考えですか?


リーブス いいえ、そうとはいえません。

話が重要な領域にはいってきましたが、ずっと以前、競争相手の製品とほとんど変わったところのない製品をヒットさせることができる、と信じていたナイーブなメーカーがいました。


彼らはいったものです。
「よいコピーを書いてください。そして製品をよくしてください」と。


こんにち、これは正しくないことを、われわれは知っています。レバー・ブロス、プロクター&ギャンブル、コルゲート、ブリストル・マイヤーズ、アメリカン・ホーム・プロダクト、アルバート・カルバー……など、みんな大きな会社ですが、彼らは製品自身にアイデアがないかぎり、コピーライターはほとんど助けにならないことに気づいています。


ひとたび製品にアイデアがこらされれば、コピーライターは無からなにかを探しもとめるといったことは必要なくなるのです。
そのとき彼に必要なのは技術的な仕事なのです。
つまり、いかにして大衆に、その製品自身がもつアイデアをもっとも効果的にアッピールするかという仕事なのです。


 コピー・ライティングはテクニカルな仕事であって、クラフトやアートではないとお考えですか? クラフト・マンというより、むしろテクニカル・マンであるべきだとお考えですか?


リーブス 両方です。
ジョン・クリピトンが前に「アド・エイジ」誌のエディターだったとき、私にいったことかあります。
「リサーチとその展開が、コピー・マンのタイプライターにだけかぎられているなら、あなたはすでに失格しているだろう」と。


彼のことばは正しい。


メーカーは、市場にだす価値のある製品をコピーライターに提出すべきです。
ほかの同種製品と相違点がなければなりません。
そしてそれが、キャンペーンの背後にくるアイデアとなるのです。


たとえば1ガロンのガソリンで500マイル走る車をメーカーがもちだせば、キャンペーンの基本アイデアをあれこれセンサクする必要はない。
イデアは目の前にあります。
しかしもし、ほかの車とすこしも変わらないエドセルをあつかおうとするなら、すでに失敗するにきまっています。
どんなにすぐれたコピーでも、エドセルのために役立ちはしないでしょう。


 フレーズ・メーキング(ことばをこらすこと)ではだめ……?


リーブス そうです。
フレーズ・メーキンク゜だけでは救われないのです。


 製品によって、むずかしいものと、やさしいものとかあると思いますか? 一般的
にいって……


リーブス もちろん。


 もういちどいわせてください。
あなたは1929年いらい、コピーを書いてきました。
広告の種類によって、好き嫌いがありますか?


リーブス ないと思う。広告のコピーライターは、根本的には、外科医に似ていると思います。
肝臓を手術しなければならない日もあり、そのつぎの日には盲腸の手術です。
そのつぎの日は眼の手術、そしてそのつぎには脳腫瘍……。
しかし、有能な広告宗はこれらのテクニックをほとんど彼のカバンの中にそなえています。


 これらは、ほとんど無意識のテクニックであり、直感的なものとおっしゃるのですか?(岡田 耕・訳


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