創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(513)ライターは安易に妥協しては駄目 ジョージ・グリビン

5人のコピーライターは、ニューヨーク広告ライターズ・アソシエイション(NYコピーライターズ協会)から「名誉の殿堂入り」の指名をうけた大物たちです。それぞれが何年に指名されたのかを、盟友 atsushi さんが調べてくださいました。


"Copywriters Hall of Fame"受賞年と(『アド・エイジ』誌掲載号)は、以下の通りです。

1961年受賞 L.バーネット氏(4.12号)
1962年受賞 G.グリビン氏(3.22号)
1963年受賞 D.オグルビー氏(3.15号)
1964年受賞 W.バーンバック氏(4.5号)
1965年受賞 R.リーブス氏(4.19号)

掲載順は、大物たちのスケジュールによっただけだと推定しています。ジョージ・グリビン氏のインタヴューの翻訳は、毎回記載したように、秦 順士(当時:電通)さんをわずらわせました。そして、Y&R社の広告哲学の解説は、近藤 朔さんにお願いしました。転載のご許諾は、お嬢さんの伊藤(旧姓:近藤)緋沙子さんからいただきました。


その後は、
 1966年 ジュリアン・ケーニグ氏
 1967年 クロード・ホプキンス氏とBernice Fitz-Gibbon氏
 1968年 フィリス・ロビンソン氏
 1969年 メリー・ウェルズ氏
 1970年 ハワード・ゴーセイジ氏
 1971年 ロン・ローゼンフェルド氏
 1972年 ボブ・レブンソン氏


       ★     ★     ★



マジソン・アベニュー285にあるジョージ・グリビンのオフィスは、落ちついた茶色と赤で統一されている。
備品は英国の田園風と米国の植民地風が趣味よく調和されたもので、彼の大家族の彫像や写真が明るさをそえている。
オフィスは6階の隅にあるので、皮ばりのウィング・チェアに腰かけ足を組んで話す彼のことばを聞きとるためには、耳をすまさなければならない。
すぐ下のマジソン・アベニューから、タクシーの警笛、叫び声、トラックやバスの排気音などがきこえてくるからだ。






 グリビンさん、あなたがコピーライターになられたきっかけは?


グリビン 私はウィスコンシン大学でジャーナリズム科にいました。
かなりできのいい学生でした。

2年生のときジャーナリストになる決心をして、そのためには、もっと英語の勉強をしたほうがいいと思って、スタンフォードにいって英語の文学士になりました。
新聞社で引っ張りだこになるだろうと思ってデトロイトにもどってきたのですが、とんでもない……。

             
 それで、どうなさいました?


グリビン 広告というビジネスのことは、まるで知らなかったものですから、広告を書いて、それで収入を得るなどという仕事についている人たちがいるとは思いませんでした。


しかし、友人のひとりが広告を書くようにすすめたので、職をさがしはじめたわけです。
デトロイトの代理業をいくつかたずねました……キャンベル=エワルド にもいったはずです……でも、どこでも門前払いをくいました。


しかし、J・L・ハドソンにいって……とても大きなデパートです……世界最大のデパートのひとつです……そこで、やっと仕事にありついたのです。
というのは、その当時は、大学をでてデパートを志望する人は、たいしていなかったからです。
おまけに私は、たまたま、成績優秀な学生のクラブ……ファイ・ベータ・カッパの一員でした。


 みんな驚いたでしょうね?


グリビン ええ。
とにかく十分に教育を受けていると思われたものですから、やっとそこで仕事にありついたわけです。
でも、しばらくのあいだ私は、フラーのブラシを売ることになると思っていました。


 新聞の仕事につける日までのまに合わせに、その仕事につかれたわけですか?


グリビン そう思っていたでしょうね。
意識してはいなかったにしても、広告人よりは新聞人になりたいのではないか、と長いあいだ考えこんでいたと思います。


 消極的ですね、すこし。
なぜ新聞人になりたいと思われたのですか? 
お父さまのお仕事が新聞関係だったわけですか?


グリビン どんな子どもでも、なにかで頭角をあらわしたいという大きな望みをもっています。
私は運動神経が鈍かったものですから、ブット・ボールとか、野球とか、バスケット・ボールとか……高校生がうまくなりたいと思うようなものは、からきしだめでした。
だから普通以上に本にひきつけられたのです。
たくさん読みましたよ。
だから書くことがうまくなったのだと思います。
読まなかったら、そうはいかなかったでしょうね。


地方のエッセイ・コンテストで2回優勝したものですから、かなり文才があるという妄想にとりつかれてしまって……。
でも、過大評価だったと思います。


 とにかく広告にはいられて、コピーライターとして大成功された。
それでこんな質問をするわけですが、コピーライターとして成功するためにいちばんいいのは、どんな種類の訓練だとお考えですか?


グリビン 初歩のコピーライターのことですか?


 いいえ。コピーライター全般についてです。


グリビン そうですね、その質問に直接お答えすることにはならないかもしれませんが、以前Y&Rのライター採用に立会っていたころ(いまでは私はタッチせず、コピー部にまかせていますが)、ライターとビジネスマンのどちらかを選ばなければならないとしたら、ライターのほうを選ぶべきだと、私はいつも感じていました。


コピーライターはビジネスマンでなければいけません。
ライターがすぐれたビジネスマンになることはできると思いますが、ビジネスマンがライターになれるとは私は思いません。
こんな偏見をもっているというのも、自分をふりかえってみて、私がそうだったと断言できるからです。


ところで、資格についていえば、ライターは一般に青年として生きることに安易な「妥協」はしないほうがいいと思います。


 とおっしやると? もっとくわしく説明していただけますか?


グリビン つまり、広告にしろなんにしろ、ものをうまく書くことの中心は、人間にたトする理解、洞察、同感を深めた人だと思うのです。
これは、ライターが生活に安易に妥協しないほうが、グンと深まると思います。
理解の必要、同感の必要を自分で感じれば、その必要を他の人びとの中に見ることができるものです。


 「安易な妥協」とおっしやるのは、経済的な面と心理的な面でのことですか?


グリビン 心理的にです。
もっとも、普通の人の動機になることとは、すこしずれてしまうとは思います。
とても裕福な家庭で大切に育てられた場合には。
貧しいほうが中産階級の家庭で育てられるよりもいいとは思いませんが、中産階級の家庭で育てられるほうが裕福な家庭で育てられるよりもいいと思います。


 だから、あなたの会社のライターに、たまには大衆食堂のチョック・フル・オ
ナッツ・レストランで食事するようにおすすめになるのですね?


グリビン たまにあそこで食事しないとしたら、愚の骨頂ですよ。昼食や夕食に10ドル使わない人がたくさんいることがわかって、ためになるばかりでなく、あそこの料理はとてもおいしいですからね。(笑)


 グリビンさん、あなたのご意見では、広告を書くことは、他のものを書くことと
くらべて、むずかしいですか、むずかしくないですか?


グリビン ひじょうに主観的な答になると思いますが……。
というのは、広告以外のものは、ほとんど書いたことがないからです。
でも、学生時代に新聞に書いていた経験から判断すると、ジャーナリズムよりむずかしい技術だと思いますね、たとえ
ば。しかし、ほんとうにすぐれた新聞ライター……たとえばジミー・レストンのような人……と広告ライターとをくらべると、最高度のジャーナリズムのほうが最高度の広告よりむずかしいでしょうね。

あのような解説を書くにはたとえば……レストンやウォルター・リップマンのような人の仕事には……ある製品を提示するために必要な知識よりも広い知識が必要です。


 もっと知的だとおっしやるのですね?                                            
               
グリビン もっと知的かどうかは知りませんが、コンゴの状勢についてのほうが、缶
入りスープについてよりも多くのことを知らなければいけないことは確かです。

けれども、缶入りスープのために立派な広告を書くということになると、交通事故や強盗事件について書くよりもむずかしいですよ。
交通事件や強盗事件に人びとは興味をもちますからね。
そんな話を読ませるようにするには、才能なんていりませんよ。
いま広告されている多くの製品に人びとの関心を引くには、たいへんな才能が必要です。


 コピーを書くときは簡潔なものにする必要があるということについてはいかがで
すか? 
長いスピーチの原稿より短いスピーチの原稿のほうが書くのに時間がかかる、とだれかがいっていますね。


グリビン もちろん凝縮することは、コピーを書くときのむずかしい点のひとつです。

もっとむずかしいのは、生活経験や読んだことを生かすことだと思います。

自分の知っていることのうち、人びとが興味をもつと思われることを使用して、その共通の場に製品を入れることができるわけです。

このためには、人びとの注意をひくようなヘッドラインやコピーを書くことはもちろん、注意をひくような絵を考えだす能力が必要です。
たとえば広告の絵として一個の石けんを置いただけでは、多くの人びとにその広告を見たいと思わせることはできないでしょう。
もっとおもしろい絵が生まれるようなシチュエーションを考えつかなければいけません。

それにはもちろん、こんなイメージを生むひじょうに特殊な探究心が必要です。


 あなたがおっしやっていることは、ひとつには、広告のコピーライターは広告の
アート面で、ひじょうに積極的な役割を果さなければいけない、ということですか?


グリビン ええ、いつもアート・マンといっしょに働かなければいけません。
雑誌や新聞やポスターのために書いていたころ、私はいつもアーチストといっしょに働いていました。
最高のアーチストの一人はジャック・アンソニイです。
私たちはべつべつに広告をつくったことはありませんでした。
ジャックと私はおなじオフィスにすわって、2人でピクチュア・シチュエーションを考えだし、2人でヘッドラインを書いたものです。


 「コピーを書いていたころ」とおっしやいますが、いまはどのくらいコピーを書
いていらっしやいますか?


グリビン ほとんどありません。


 書いてはいらっしやるわけですね?


グリビン たまに広告のアイデアを考えます。
それから、ときどきヘッドラインをなおしたりします。
ですが、この会社では私にはコピー以外の仕事が多すぎて、私をコピーライターに分類することはできません。


 アイデアを考えることについて、グリビンさん。アイデアを生む技術について多くの本が書かれ、いろいろなことがいわれていますが、これについてなにかご意見がおありですか? 
広告コピーの問題と取りくむときにお使いになるはっきりした技術をおもちですか?

グリビン 実際にコピーを書いていたころ、作法とまではいきませんでしたが、私にはある習慣がありました。


ひとつは、ライターは製品についていろいろなことを知るべきだと思います……広告している製品の物理的な特長だけでなく……それを買っているのはどんな人か、どんな動機で買っているのか、などということを知ることです。
見込み客を知り、製品を知ること……しかもどちらもかなり深く知ることです。
それからあとは、べつにきまったことはなかったと思います。


私はすぐれたアート・マンといっしょになって、どんな絵がほしいのか、どんなシチュエーションかを考えたものです。コピーから独立した絵ではなく、すっかりとけ合っていたのです。

何年もまえにアロー・シャツのために私か書いたひじょうに簡単な広告を例にひいて、この点をはっきりさせることができると思います。
まったく普通の青年……衣服の広告に使われるひじょうにいきな様子のモデルではなく、あなたや私のような人間がシャツを売る対象なのだ、と私は思ったのです。
この点を伝えることができれば、いい広告になるだろうと思いました。
それで私は「ぼくでもアロー・シャツを着ればすてきに見える」というヘッドラインをつくりました。
そして、ごく普通のスタイルの人間をだしたらいいと思いました。
さらに、ちょっと戯画化したらいいと。
アンソニイも、うん、いいアイデアだ、と同意しました。
でも彼のほうが優秀でした。
その青年はノーマン・ロックウェル・タイプにして顔にそばかすをつけたらどうだ、といったのです。
親近感はありますが、漫画ではありません。


広告のアイデアがきまり、絵かきまり、ヘッドラインがきまれば、すっかりひとつになるわけです。
これが広告をつくる方法だと思います。
ばらばらにしてはいけません。
ところで、広告ができたら、こんどは分析にとりかかります。
そうすれば改善できる場合がよくあります。
その作法についてはお話しできませんが、それがすんだあとの作法なら確信があります。
ヘッドラインはコピーの最初のセンテンスを読みたくさせるか? 
コピーの最初のセンテンスは、つぎのセンテンスを読みたくさせるか?
というぐあいに、コピー全体を調べるのです。
読者が読むのをやめようと思うのは、最後の一語まできたときでなければいけません。

お気に入りの作品


ジョージ・グリビンによって書かれた広告の中でも、自分で気に入っているもの。
彼の信条は、
「広告をつくりあげる作法に関してはお話しできませんが、それがすんだあとの作法なら確信があります。
ヘッドラインはコピーの最初のセンテンスを読みたくさせるか?
コピーの最初のセンテンスは、つぎのセンテンスを読みたくさせるか? 
という具合に、コピー全体を調ぺるのです。
読者が読むのをやめようと思うのは、最後の一語まできたときでなければいけません」


 コピーライターとしてのあなたが影響を受けたのはなんですか? 
だれですか?


グリビン おおぜいの、きわめてすぐれた広告人の影響を受けたと思います。
ロイ・ホイッチャー、レイモンド・ルビカム、シド・ウォード、テッドパ・トリック……そのほか多くの人たちです。


 その人たちから、なにを学ばれたのですか?


グリビン 彼らを見つめているということではありませんでした。
Y&Rにはつねにコピー・スーパービジョンというひとつのシステムがあります。
スーパバイザーの承認を得ずに社外にでるコピーは、ひとつもありません。
あなたの子どもをもっとも正しく判断するのがあなただとは私たちは思わないのです。


問 あなたが最高責任者だとしたら?


グリビン 最高責任者ではない人のところへもっていって、見てもらいます。
最高責任者ではなくても、判断力のすぐれた人はたくさんいます。


 あなたに影響を与える人びとは、あなたが説明できる形で影響を与えるのですか? 
それとも、いつのまにか影響を受けてしまうのですか?


グリビン いい例はレイモンド・ルビカムです。
彼はだれよりもすぐれていましたからね。
社員全部が知っていたことです。
レイモンド・ルビカムよりすぐれていると自負する人間は、社内にはいませんでした。


 コピーライターとしてですか?


グリビン ライターとして、広告人として。
レイといっしょに働いた人なら、彼が想像力に富んでいて、驚くほど視野が広いということだけでなく、ものすごく徹底していることがわかったはずです。


ある広告についてルビカムと討論して、彼がOKをだすまでに、少ないときでも2〜3回、多いときには15〜20回も書きなおしたものです。


いちど彼とシリーズ広告をつくったことを思いだします。
それは第一に新聞にすぐれていること、つぎに雑誌にすぐれていること、そして最後にラジオ・ネットワークにすぐれていることを指摘する広告でした(テレビの現われる以前のことです)
3回のシリーズ広告でした。
私はまず新聞のための広告を書きました。


 企業広告だったのですか?


グリビン そうですね、おもに古典ですね、そのときのベストセラー小説ではなく……。
といっても、どの時代にも傑作というものがあり、書評欄を読めば、それがたくさんあることがわかりますよ。
しかし、たいして有名でないむかしの本を偶然みつける友人はいるもので、それが変わったものだということがわかれば、そのために普通では読まないようなものを読むようになるかもしれません。


私は生物学や植物学に興味をもっています。
その分野のものを読むのが好きです。
最近、この国で書かれの本のひとつは、ドナルド・カルロス・ピーティーのましたが正確な題名は忘れて『北アメリカの東部と南部の木』といった感じの題の本です。


さらに彼には、アメリカ合衆国西部の木についての本もあります。

こんなことは、ただいっただけです。

私たちのすぐれたライターたち……彼らは一般の人が興味をもつ分野のほかに、園芸の分野のものを読んでいるかもしれません。


 しかし、ライターは仕事と関係のないものを読むべきだ、とお考えなのですね?


グリビン ええ、そうです。
仕事に関係あるものを読む人や、週刊誌や月刊誌の読者などより多く読まなければいけません。


 あなたのなさったスピーチに感激して、記事にしたことがあります。
それは『広告復興期の人間』についてで、要点は…… 



グリビン ええ、たしかに要点のひとつでした。
多くのものを読まなければいけないと私は思います。そうすれば各人が自分の読者の専門分野にはいっていくと思うので
す。


 しかし広告のアイデアは、コピーライターから見れば、ビジネスの世界の内外から生まれますね?


グリビン ええ。そして大部分は、自分の生活から生まれるのです。


 ところで、ライターだったころに書かれた広告のうちで、いま考えられて最高の広告だと思われるのはなんですか? 
アローの広告に関係していらっしゃいますが、やはりアローがお好きですか?


グリビン 私かいままでに書いた最高の広告は、トラベラーズ(保険)の広告だったと思います。

トラベラーズの当時の社長にはじめて見せたときには、「未亡人」というヘッドラインでした。
「未亡人」などというヘッドラインをつけるというアイデアには陰気なムードがあると彼は感じたのですが、イラストレーションとコピーは気に入られました。
それでコピーの最初のセンテンスを肉太活字にすることになりましたが、そのほうが、「未亡人」よりはいいヘッドラインでした。


「28歳のとき、私はけっして結婚しないと思っていました」というのです(後の版では肉太活字さえ消えたヘッドラインのない広告になったのだ)。

60歳代の女性がポーチに立って月光を眺めている情景が描かれていました。
私はこれが私の書いた最高の広告だったと思います。
しかも私自身の経験から生まれたものなのです。

お気に入りの作品


ヘッドラインなしのトラベラーズ保険会社の広告のことをグリビン氏自身で「私がいままで書いた最高の広告」といっています。


「私自身の経験から生まれたものです。
私の妻が28歳のとき、結婚することになるとは思っていなかったのです。
背が高くて内気で、おそらく、だれからもプにポーズされないだろうと思っていたのです。

それからこの広告は、彼女がプロポーズされ、結婚し、幸福な生活を送り、やがて夫に先立たれたけれども、彼女の夫は彼女に保険を残したのです」

 28歳のとき、あなたは決して……


グリビン いえ、いえ。私の妻が28歳のとき、結婚することになるとは思っていなかったのです。
背が高くて内気で、おそらく、だれからもプロポーズされないだろうと思っていたのです。

それからこの広告は、彼女がプロポーズされ、結婚し、幸福な生活を送り、やがて夫に先だたれたことを述べています。彼女の夫は思慮深い人で、彼女に保険を残したのです。


 お書きになったのはいつですか?


グリビン (1965年から)25年ほどまえのことです。


 ものを書くときにも、生活するときにも、守らなければいけないきまりというものが、もちろんあります。
ご自分か、クライアントが確立した原則にもとづいて書くのと、白紙状態で書くのとでは、どちらのほうが楽ですか?


 
グリビン そうですね、あなたの製品、あなたの問題があなたの原則を決定します。
読者に……テレビなら視聴者、ラジオなら聴取者にあなたが広告している製品やサービスの利便を伝えなければいけません。
そのことが直接あなたの原則を決定するのです。


 クライアントが決定した神聖な牛(批判、攻撃できないもの)にのっとっで、いい広告が書けるとお考えですか?


グリビン そうですね、できますね。
できるといいますよ、その牛が象みたいに大き限りは。(笑)


 さきほど影響について伺いました。
レオ・バーネットは机に小さな箱を乗せていて、好きないいまわしや新しそうな方言にぶつかると、メモして、その箱に入れるそうです。
ところで、このバーネット氏の箱について、質問が2つあります。
(1)「ウィンストッはタバコらしい味がする」というような方言を広告を書くときに使うことを、どうお思いですか?(2) 身の回りに箱をおもちですか?


グリビン そうですね、箱はもっていません。
もっとまえに聞いておけばよかってたですね。
それはレオの傑作なアイデアですよ。


 アイデアをどのようにファイルなさっていますか? 


グリビン ファイルはしません。
実際にコピーを書いていたころ、あるいはコピーをチェックしていたころは、製品についてアイデアが生まれると、メモしていました。
箱はもっていませんでした。
そのかおり、黄色いメモ用紙の束をもっていました……
いつもフレッシュなアイデアが必要でしたから、特定の製品のための未使用のアイデアがぎっしりつまった屋根裏部屋をもつ必要はありませんでした。

フレッシュなアイデアはなかなか生まれるものではありませんでしたから、生まれるとすぐに使ってしまったものです。

方言を使うことについてですか?
 
米国のことばは立派でピリッとした自家製の多彩なことばです。
それというのも、方言のためです。
広告にしろ、他のどんな書きものにしろ、方言を断片的に使用してもむだです。
ただ方言を使うのではなく、周囲の生活のカラーを新鮮な方法で使用するのです。


 最後の質問をすこしはっきりさせてみましょう。
ある語句が頻繁に使われても、それが適切だとか正しいとかいうことにはならない、と多くの人がいいます。
いま問題にしているのは、広告のなかでことばが「誤用」されていることなのです。


グリビン 「ウィンストンの味」という広告にもどりたいわけですか?


 そうです。
しかしことばを乱す元兇として、とくにこの広告をとり上げたいわけではありません。
これはことばの誤用の一例にすぎないのです。


グリビン それでは "as" ではなくて "like" を使ったフレーズを例にとってみましょう。
ライターの耳には "as" ということばよりも "like" ということばを使ったほうがそのフレーズが生きると思えるだけのことです。
"as" は文法的に正しいので、私は話すときは "as" を使います。
しかしことばを誤用する人は多いので、その人たちの耳には "like" のほうが親しみがあlます。
ですから使うわけです。
もっと暮らし向きがよくなって、"he diesn't" といわずに "he don't" といったら驚かれることもあるでしょう。

J・L・ハドソンが若いころ、アルバート・コンキイというコピー・エディターがいました。
その人はミシガン大学で英語の教授だった人です。
電話にでて「アルかい?」と聞かれたとき、彼は "It's me"と答えました。
"It's I" というのは古いと感じたのです。

たしかに"It's I”は広告では廃語になっていますから、文法的には正しいかもしれませんが、使ってはまずい場合が多いのです。たまにY&Rの文法的なミスを指摘する手紙がきますが、たいていの場合、そんなペダンチックな態度は問題にする必要がないと思います。


 そのほうが理解されやすいし、広告の要点は人びとに理解させることだ、とおっしやるのですね?


グリビン そうです。


 「クリエイティビティ」ということばを使うことについて、グリビンさん。広告の仕事に応用なさるときには、定義をおもちですか?  (訳・秦 順士


【chuukyuu注】Winstonのキャンペーンのキャッチ・フレイズは "Winston tastes good--like a cigarette should" 1954w で、アド・エイジ誌によって企画された「20世紀をかざるベスト100キャンペーンの44位。

http://adage.com/century/campaigns.html

上記についてのDDBのコメントは、

http://d.hatena.ne.jp/chuukyuu/20090902/1251828143


グリビン 私はクリエイティブということばを使わないようにしています。
「クリエイティブ」マンとはいわずに、アート・マン、コピー・マン、テレビ・コマーシャル・マンなどというのです。
「クリエイティブ」ということばは代理業の隅まで行きわたっている、と私は何度も壇上からいっています。
たとえば媒体や連絡の仕事をしていても、コピーやアートとおなじようにクリエイティブでありうるのです。


 書きやすいものと、書きにくいものがあるとお考えですか?


グリビン ええ、もちろんです。
たとえば電気器具のほうが、特許売薬より書きやすいですね。

高価な電気器具を買うときが迫っている見込み客は、150〜200ドルをどう使ったらいいかということにたいそう関心があり、製品についてあらゆることを知ろうとします。頭痛の療法のことを知ろうとは、だれも思いません。

こんな製品を売るときには、かなりの程度に想像力を働かさなければいけません。


 お好きな製品について、お気に入りの業種がおありですか?


グリビン ええ、保険のコピーを書くのが好きです。
しかし一般に、あらゆる種類の製品を書くことを楽しんできました。
いろいろな方法で才能を発揮できるからです。

広告の仕事で最大の喜びのひとつは、すくなくとも大きな代理業では、いろいろな製品や問題に向かうことができるということです。

そして、ひとつの製品から他の製品へ飛躍しなければならないということは、幸せな環境です。


 特定の製品分野に経験があるライターを求める広告をごらんになったことがあると思います。
このような専門化については、どうお考えですか?


グリビン そうですね、テレビが現われてまもないころ、テレビ・ライターはごく少なかったときに、私はテレビ・コマーシャル部のヘッドにされました。
ですから私は、特定の媒体、あるいは広告の仕事の特定の層に経験をもつという背景が必要だと思うものではありません。
いちども自動車の広告を書いたことがない人が立派な自動車の広告を書ける、と思うのです。

 書いている製品を知っているとしたら。


グリビン そうです、まったくいい広告が書けるでしょうね。
しかし他の製品についてもおなじですよ。
絵画的な想像力というものをもっているため、動いている人を簡単には視覚化できない人よりも、テレビ・ライターに向いている人がいるとは思います。

けっきょくのところ、立派な戯曲をつくれるアーサー・ミラーのような人たちもいるし、ひじょうにすぐれた小説家で
たとえばトマス・ウルフのように戯曲は書けない人もいる、ということです。

才能というものがありますから、まだ試みたことがない人に才能がないと仮定することはできないと思います。


 グリビンさん、ライターとして広告界にはいりたいというお子さんがいらしたら、なんとおっしやいますか?


グリビン 文才があると仮定してですね。
そうですね、広告のコピーを書くことより楽しい時間が長い職業は、今日では比較的少ない、といってやりますよ。


 さきほどの質問にもどって、グリビンさん。すぐれたコピーをつくる人たちに、なにか特定の特徴を認められたかどうか、とおたずねしましたね。
きまり文句を避けることだとおっしゃいましたが……


グリビン それから、いろいろな本を読むことですね。
いろいろな生活にふれるべき
だと思います。いろいろなことをするべきだと思います。
家にじっとしているよりも、旅行するほうがいいと思います。
慣習に従うよりも、かなりの程度に破る傾向があると思います。
彼らに知恵があるかどうか、自分のものだときめたあとで慣習に従わせることです。
彼らが特定の大学にいくとしてもたとえばエールにいくとして、エール生に特別なものがあるとは思いません。
ことしは3つボタンで襟がギザギザのジャケットを着るほうがいいとしても、3つボタンで襟がギザギザのジャケットを私に着せるとは思いません。


ことし人気のある場所が、ウェスト・ハンプトンだとしたら、ニュー・ジャージーのラザーフォードにもいくべきだと思います。


教育とは自分のため、自分にとって大切な人たちのために自分でものごとを判断することを教えるべきだと思います。

ここできまり文句に頼らなければなりません。

ライターは陳腐なことをペストのように避けなければいけないと思います。

承諾者ではなく質問者になるほうがいいと思います。

すぐれたライターは俗物であるはずはありません。

俗物では人びとのなかにはいっていくどころか、人びとから遊離してしまいます。

それではライターにとって自殺行為です。

ライターは皮肉屋ではなく、陽気になるべきだと思います。

楽天家になるべきだと思います。

とにかく、人生を排斥することはライターにとってよくないといっているわけで、皮肉屋とは人生を排斥する人のことです。

参加せよ、参加せよ、参加せよ、と私はいいます。 (訳・秦 順士

       ★     ★     ★



解説


Y&Rの経営哲理

                                  
                近藤 朔


創立1923年)いらい40年間、ヤング・アンド・ルビカムは、「クリエイティブ重視」の基本方針を変えていない。
これはこの社の創設者ヤング氏、ルビカム氏の最高原則であり、現会長ジョージ・グリビン氏もこれを承け継いでいるのである。


An Advertising Agency cannot be great unless it excels ingenuity, and restlessness. 


広告代理店は、大をなすことを望むべきではない。
それよりもむしろ独創性と完全さ、さらに不断の努力に秀でるべきである。


これはいまなおYぉRの最高方針を表現するテーマとして有名であるが、もとをただせば、じつは同社創業当時のハウス・アドのヘッドラインであったのである。


このスローガンに示されている原則、づまり独創性、完全さ、不断の努力はそっくり、同社のクリエイティブ・ワークの特色となっている。


1.独創性の維持


170のプロダクトを6人のクリエイティブ・ディレクターの監督のもとに、74人のコピーライター(スーパバイザー20人をふくむ)と52人のアートディレクター(スーパバイザー7人をふくむ)20人のテレビ・アートディレクターで担当しているから、各自けっして暇などあるはずはない。
アートディレクターは1人で、2〜6件の担当プロダクトをもっている。
しかし、アート・バイヤーがフィニッシュ・アートを買いつけ、スタイリストがモデルの選択、衣装小道具の手配、考証を行なう。
さらに、タイポグラファーが活字を組み、校正係が校正をする。
だから、アートディレクターは、アイデアとそのビジュアライズに専念できるわけである。


コピーライターは1人2〜5件のプロダクトを担当。印刷、電波いずれの媒体のコピーも書いている。
それでも、一つのプロダクトにたいし2〜4人ずつのライターを擁しているので、仕事の割りふりにはかなり融通がきく。
そしてそれぞれのコピーライター、アートディレクターともプロダクト・グループに参加し、グループにたいし、責任を負っている。
したがって、いい加減な仕事はできない。
つねに新しいアイデア、手法の創造に没頭しながら、独創性の維持に努力している。
コピーライターは、当然のことだが、広告主の研究室、工場を隈なく見学、製品のテストの結果を十分のみこみ、さらには市場調査による商品の動向を熟知した上でアイデアを練り、コピーを書いている。


2.完全な作業


いくらすぐれたアイデアでも、締切りに間に合わなかったり、ミスがあっては完全な仕事とはいえない。
毎週トラフィックでまとめられるステイタス・レポートは、いわば作業進行状況報告ともいえるものである。これが週のはじめに、各クリエイティブ・ディレクターの手もとに回覧されてくる。
ここで進行の遅れているのが完全にチェックされ、締切りに間に合うよう督促されたり、間に合わないとみるやただちに善後策が講じられたりする。


クリエイティブ・プランズ・ボードも、クリエイティブ・ワークに完全を期するためのチェック機関である。
広告主に提出する前に、このクリエイティブプランズ・ボードにかけられ、キャンペーン・テーマにかなったアイデアか、Y&Rの作品として完全なものかどうか厳重に検討されるのである。


そのチェックたるや、じつに厳しいという。
チェックする側は、何回でもやり直しを命ずる。命ぜられるほうも、あたりまえのように何度もやり直す。
ちなみにデトロイト支社で行なった1964年度のクライスラーヘのプレゼンテーションは前後じつに5回。一時は取扱い問題危うしとまで報道されていたものを、ついに挽回した。
とりわけ2、3、4回目のプレゼンテーションの際は、グリビン会長以下フェルドマン副社長(プラソズ・ボード議長)、マカーシイ副社長(コピー担当、プランズ・ボードのメンバー)ら最高首脳が立会い、コピーにはみずから筆を入れたとのことである。(注…64年のクライスラーのアカウントは同社扱いの約0%、2,600万ドルと推定される)。

3.不断の努力

スプリットランによるコピー・テストも、雑誌広告のリーダーシップ・サーベイも定期的に行なわれている。その結果がでると、いち早くクリエイティブに回覧したり、調査部門もクリエイティブに協力して、作品の質の向上には、たゆまぬ努力がつづけられている。

ディビジョンCのクリエイティブ・ディレクター、ラパム氏のところには、ディビジョンで制作した作品のプルーフ、フォト・スタット(ストーリーボードを縮小したもの)がかならずまわってきており、そのたびにラパム氏はよきにつけ悪しきにつけ、なんらかの形で担当者に評価を伝えている。
制作担当者にしてみれば、クリエイティブの最高責任者から反応があれば、励みにも警告にもなろうといもうのである。


やや保守的だが、ヤング・アンド・ルビカムのクリエイティブの水準に定評があるのは、このあたりに原因しているのであろう。

石橋をたたいて渡る


米国の広告代理店でも、取扱いの移動は大問題で、大きなアカウントは平均7年に一度ずつ扱い代理店を換えている。
頭の痛いことだ。
代理店では、限られたスタッフを効率よく作業させ、しかもより完全なクリエイティブ・ワークを目ざしている。
Y&Rニューヨーク本社の全アカウント38件中21件が、20年以上つづいているという。
これほど古い広告主の多い代理店も少ないだろう。


ところで、新規のアカウントはどうして開拓し、獲得しているのだろうか。


ニュー・ビジネス担当の副社長ルーボー氏によれば……
1 企業は利潤を追うものである。したがって、つまらない仕事はできるだけ敬遠する。つまり、必要以上に広告主の数はふやしたくない。あくまでも質のよい仕事を目標としている。


2 しかし、ここ10年間は扱い高を倍にすることが社の目標になっている。本来、to get client は楽な仕事ではない。缶詰のフタを開ける前に、中味を推測するような仕事である。


3 別にY&R方式というようなものがあるわげではないが、功を急がず、じっくり構えて作戦を練った上で実行に移す主義である。

  たとえばBreak ははじめて社長に会ってから、具体的には4年後に実行にうつして成功した。
 その間、プランもアイデアもありとあらゆる角度から検討し、レポートをまとめ、最高首脳会議にかけられ、グリビン会長が決を下した。

4 結論として、AE、マーケティングAE、クリエイティブ・ディレクターを3本の柱とするすぐれたプロダクト・チームをつくり、それが広告主にたいして責任を負う。
すぐれた広告キャンペーンを創造することは当然の役割りである。
しかしそのさい、代理店も利潤を追求するために、広告主と相互に選択の自由を保有するということでる。ちなみにY&Rの取扱いアカウントの最低基準は年額25万ドルとなっている。
このように、石橋をたたいて渡る式のY&Rの新規広告主開拓方針は、投機的プレゼンテーションをいっさいやらないという事実からもうかがわれる。
長期計画を立て、目標を定めて、実行に移してゆく。
保守的ではあるが、この代理店もまた、すぐれたクリエイティビティをそだて得る体質をもっているといえるだろう。
64年には、待望の航空会社アカウントEeasternを獲得した。(下の図版は、アカプルコのダイバーを示すことで冬のニューヨークからの旅を誘うイースタン航空の広告)




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『5人の広告作家』の原文をテキストに勉強会をしていたTCCの若手---AWAの会の人びと。

AWAの会のメンバー(当時) 50音順・敬称略)
赤井恒和、秋山晶、秋山好朗、朝倉勇、糸田時夫、岡田耕、柿沼利招、梶原正弘、金内一郎、木本和秀、国枝卓、久保丹、栗田晃、小池一子、小島厚生、清水啓一郎、鈴木康行、田中亨、中島啓雄、西部山敏子、浜本正信、星谷明、八木一郎、吉山晴康、渡辺蔚。(その他の協力者)菊川淳子、高見俊一、滝川嘉子、秦順士

5人の広告作家』より


バーンバック氏 広告の創り方を語るクリック


インタヴューの末尾につけた解説
バーンバックさんとDDB 西尾 忠久

5人の広告作家』より


ダヴィッド・オグルビー氏のインタビュークリック


>>調査から導き出されたコピーライター、アートディレクター、TVプロデューサーのための97の心得