(604)DDB25周年にバーンバックさん、才能の発見を語る(まとめ編)
昨日---今日---明日と、3日連続で、DDBの創業20周年、25周年、30周年にあたる6月号の『DDBニュース』に載ったバーンバックさんのインタビューを連載しています。
DDBは、36年前の1974年6月1日に創業25周年を祝いました。
クリエイティブ・パワーの凄さと、豊富に育ったクリエイターたちは、米国マジソン街---いや、世界中の広告界の羨望の的であり、目標の一等星になっていました。
DDBが創り出すキャンペーンの新しさ、正直さの衝撃力、アートの質の高さ、販売パワーは「クリエイティブ革命」とさえ呼ばれました。
『Ad Age』誌は「20世紀、最高の広告人』の称号を贈っています。
ぼくにいわせれば、『広告界の良心』であり、『広告革命』の実践者ですが---。
あるいは、前途有為の若者を、自らすすんで汚濁の広告界に身を投じさせる伝道師だったかもしれません。
1974年6月号『DDB News』で、バーンバックさん(右:似顔絵)が25年間を、静かに振り返りました。
★ ★ ★
問:ドイルさん、デーンさんのお3人で創業なさったこの代理店が、うまく行きそうだと思えてきたのは、いつごろですか?
バーンバック :そうですね。
私たちは、3人が寄ればうまく行くと堅く信じて始めましたから、創業の相談をしている段階で、お互いにわかっていたと思いますよ。
問 なるほど。バーンバックさんは、グレイ社のころからオーバックス(廉価衣類主体のニューヨークのデパート)を手がけていらっしゃったのですから、うまく行く確信がおありだったのでしょうね。
バーンバック はい、ミスター・オーバックは、私に創造の完全な自由を与えてくれましたからね。 でも、ほかのクライアントがつづいて来てくれるという保証はなにもなかったのです。
私たちの創業を報じてくれた業界紙は、広告代理店を新しく始動するのには不適切な時期だと社説で警告していました。
たしかに、同じころに創業した広告代理店のいくつかは、生き残っていませんからね。
問:創業するには、いま以上に難しい時期だったのですね?
バーンバックその通りです。
いまは、多くの新しい代理店が創業していますが、当時は、そうではありませんでしたから。
問: 新しく広告代理店を始めるのは、現在でも依然として難しい時期がつづいていると?
バーンバック そうです。
私たちが創業したのは、クリエイティブの力を示そうということでした。
そんな考えで独立した広告代理店は、当時は、ありませんでした。
クリエイティブの力で衝撃的な広告をつくるというのが、私たちの信念でした。
そう、このことを実現することが目標でした。
幸いなことに、あのころは、競争相手がいませんでした。
テレビは始まったばかりで、人びとは、まだ読む時間を持っていました。
しかし、まもなくメディアが多様化し、消費者の注意の奪い合いになることは、私たちにはわかっていました。
そして、広告メッセージが新鮮な方法で表現されていなければ、人びとが見てくれないようになると。
そうなんです、広告は、これまでなかった新しさを持ち、新鮮でなければなりません、昔ながらのやり方では、気づいてくれません。
これが、私たちが始めたときの、私たちの基本的な考えでした。
そしてそれは、今でも変わることのない私たちの哲学です。
新しくて新鮮な訴え方をすることが、私たちの哲学なんです。
古臭い公式にしたがって---なんてことは、かけらもありません。
現在、新鮮で何か新しいものを生み出すということは、容易ではありませんよ。
しかし、それが私たちの目標であれば、みんな、そうするにやぶさかではないでしょう。
問:創業当時にもどって、お聞きします。
コピーライターのフィリス・ロビンソンさんとアートディレクターのボブ・ゲイジさんは、バーンバックさんといっしょに、グレイ代理店からDDBへきたのでしたね?
バーンバック そうですが、ボブ・ゲイジは、若いアートディレクターとして、すばらいしい才能をもっていることを見抜いて、ほかの代理店からグレイに、私が入れたのです。
それで、彼を、それまでの著名なアートディレクター---ポール・ランドやネイツチ Neitsche に代えて起用しました。そんなこともあって、こんど、新しい広告代理店を立ちあげるのだが、と言うと、うれしいことに、いっしょに行きますと答えてくれたのです。
フィリスは、グレイの販促部門にいました。
彼女が書いた小冊子のいくつかを見て私は、彼女がこの国のコピーライターよりはるかにいい素質をもっているとわかりました。
そこで、ボブに言ったことと同じことを告げたら、いっしょ行きますとの答えが返ってきたのです。
問:才能の発見の成功物語ですね。マジソン街中に、誇らかにお話になっていいエピソードです。
バーンバック そう、誇らかに---。広告業界をみわたしても、この成功例に似た例は、まず、ありませんからね。
それとね、私がうれしいのは、DDBで育って、一度は外にでて行ったクリエイティブのスターたちが、やっぱり戻ってきてくれていることです。
彼らが戻ってくる理由というのが、私たちが、注意深く、注意深く保ってきたDDBのクリエイティブ部門の雰囲気のよさにあるようなんですよ。
【参照】「戻ってきて、本当によかった」←クリック
問 バーンバックさんが引退なさったら、DDBのその雰囲気が違ったものになるとはお思いになりませんか?
バーンバック そうは思いません。
私が思うに、クリエイティブ部門は、才能豊かなボブ・レブンソン、マーヴィン・ホーニング、マイク・マンガーノ、ジョン・ノブルといった人材に引きつがれています。
こんなに人材がそろっている広告代理店がほかにありましょうか。
さらに言えば、ボブ・ゲイジ、フィリス・ロビンソンからも学べるのですよ。
デイブ・ライダー、ヘルムート・クローン、レスター・フェルドマン、ジャック・ディロン、バート・スタインハウザー......多士済々、つきることなくいるではないですか。
問:バーンバックさんは、若くて、すぐれた才能にめぐまれた人たちが、将来ともに、DDBの名声を慕って途絶えることなく集まってくるし、彼らを教える人にもこと欠かないとお考えなんですね。
バーンバック はい、DDBはそれに応えられると思っています。
というのも、私たちは、新鮮なやり方を求めることを奨励していますし、彼らの才能が拡散しないで、正しく発揮されるようとの注意も怠ってはいません。
「何を言うかがわかったら、次はいかによりよく言うかを考えよ」と言ったのは、たしか、バーナード・ショーでしたよね。
これにつけくわえると、何を言うかが決まったら、私たちは、それをどう表現するかを探求するということです。
私は、品のない表現はとりません。
感度が高くセンスのいい表現は、広告の効果を高めます。
もちろん、品がよくないのに効果のある広告も存在することは否定しませんがね。
しかしです......あなたが創った広告が生き生きとしていて、製品を売る力があって、しかもハイセンスでもあるなら、あなたは達成感につつまれますよね。さらに人びとはその会社が好きになります。
つまり、すぐれたセンスは、製品を買う気にさせ、会社のパブリック・リレイションにも資するでしょう。 そんなすばらしい機会を逃がしてはいけません。
その広告は、まわりのクリエイターにもよい影響をおよぼしますし、クリエイター自身は、周囲の称賛と、仲間内や業界で賞も与えられます。
受賞は、クリエイターに自信と誇りが増えますから、私は、そういった機会にすすんで参加するようにすすめています。
問:お考えに合わないものって、ありますか?
バーンバック 時として、ここで仕事をしていても、仕事を通じて成長していなくて、また受け持っている仕事も彼に合っていないように見える人がいることがあります。
人間としては、いい人なんですがねえ。
それでも、しばらくは観察するんですが、結局、別の会社で活躍したほうが彼のためにはいい、と判断せざるをえないときですね。
そんな決定をしなければならないときには、気が重くなります。
もう一つは、これはぜったいにDDBにとっては正しくないとわかるようになってきた大口のクライアント......しょっちゅうトラブり、先方と考えが一致しないことがあまり重なってきたとしませんか。
これは、もう、アカウントを辞退するしかクリエイターを守ることができないと判断をくだす時ですね。 まあ、それで扱い高が減少し、社としては、何人かに辞めてもらわざるをえません。
これって、経営者としては責任重大です。
私が避けたいとおもっていることの2つ目のものがこれです。
問:私のみるところ、多くの出版社から著書の打診がきているように思うんですが---。
バーンバック これまで、受諾したことはありません。じつのところ、いま、出版社の人と昼食をともにしてきたばかりなんです。
問:ずっとお断りになってきたのは?
バーンバック 著述のためにあくせくなんか、したくなかったんですよ。
問:それはありますね。きつくて、お体に障ることもあるでしょうから。でも、こんどはお受けになった?
バーンバック:自著を書くとして、いくつかのアイデアを、かのブレンダン・ジル氏に話してみたんです。そしたら、非常におもしろいから、ぜひ、書きなさいってすすめられてしまって---。本を書くことについてはあやふやだった気持ちが、ブレンダン・ジルのような著名な著作者が太鼓判をおしてくれたんなら、に変わったんです。
問:もう、書き始めていらっしゃるのですか?
バーンバック とんでもない。内容は、コミュニケーションについて考察したものになるはずですが、まあ、例の「オオカミ少年の後日譚」のつもりで読まれればいいとおもっていますよ。
問:小説をお書きになるお気持ちは?
バーンバック ありませんね。
問:なぜ、そう、はっきり否定なさるんでしょう?
バーンバック かけらほども、ないからですよ。
問:では、話題をDDBへ戻しましょう。ここ数年間のうちに、何か変化がおきているとお感じになっていますか?
バーンバック 変化はむしろ、製品やサービスの側に起きているんではないでしょうか。競争がより激しくなってきています、どう対応すべきかについては、クリエイティブ部門の者たちも、アウント部門と同様に肌で感じていますよ。
そう、私たちは、私たちが創りだし提案してきたフィロソフィ(主張)を踏みはずしてはならないのです。何が正しいか、それは何なのか、と同時に、これまでに使われたやり方でいうのではなく、いかに新鮮ないい方でいうか、なのです。
そうでなければ、広告は気づかれもしないで捨てられるでしょう。オーブンから焼きあがっていまでてきた香ばしいパンのように、食欲をそそらなければなりません。
25年前に真実であったものは、変わるはずはない。そんな中、広告は、どんな顔をして現れたらいいのでしょう。どういえば、彼らの目をこちらに向けさせ、彼らに聞き耳をたてさせ、行動に駆り立てることができるのでしょう? アイデアだけが彼らに到達できるのです。それこそ、アーチストの手腕こそが頼りであり、ものを売る力なのです。
私は、著名な作家や画家とディナー・パーティで、よく、同席します。そのときに、彼らが、VWビートルの広告や、ポラロイドやリヴィ・パンなどなどのキャンペーンから学ばせてもらっています---あれこそ、アートです---と言って、どれほど私を嬉しがらせてくれているか、いいあらわしようもないほどなんです。アートこそが、ものを売る効果的な力なのです。
問:DDBの今後は?
バーンバック 私たち全員が、自分のハードルを高くしなければなりません。水準をあげるのです。そして、自分自身に問いかけるのです、「ほんとうに新鮮か?」と。すべてのクリエイティブ・ピープルは、できたコンセプトと広告キャンペーンについて、「ほんとうに、これでいいのか?」「ほんとうに新鮮か?」「最良の道か?」って、自問しつづけてほしいのです。そうやることで、別のひらめきが発光します。
DDBでは、仲間から学べます。仲間から刺激を受けるとともに、仲間を刺激してあげましょう。
高い品質を求めましょう。自分自身にも、仲間にも。
【注目】このインタヴューから5年後---DDB30周年の記念インタヴューは、
「人を切れるのは、事実に生命を吹き込むことのできる芸術的才能です」DDB創立30周年記念社内報より]は、明日。
【参照】お時間があったら、GWの好個の読みもの---(文字または数字をクリック)
フィリス・ロビンソン夫人とのインタビュー
(1・2・3・4・5・6・7・8・了)
「世界中の女性コピーライターへ」
"Advertising Age" 1968年7月15日号
インタビュアー:John Revett
「コピーライター栄誉の殿堂」入りを、コピーチーフで1968年に初めて受賞したときの一問一答です。
ジャック・ディロン氏とのインタビュー
(1・2・3・4・5・6・7・了)
ヘルムート・クローン氏とのインタビュー
「レイアウトを語る」(1・2・3)
>>1963年のニューヨーク・アートディレクターズ・クラブでのスピーチ
ビル・トウビン氏のスピーチ
「あまりにも無秩序な」(1・2・3・4・了)