創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(409)バーンバックさん、25周年を語る(了)

バーンバックさんは、ほんとうに、自著を上梓したのでしょうか? この1974年ころから、国内にアンチ・DDBとでも呼んでもいいような蔭の声がささやきのように広がりはじめたのです。「米国は米国、日本は日本」という名分をかかげて。知的鎖国に近いような論法でした。そして、エモーションの強い表現に傾斜していったようにおもいます。


けっきょく、DDBの考え方を紹介すればするほど、上っ面だけを見て、DDBが結果的に起こしていた[クリエイティブ革命]の本質を見ようとはしなかったのですね。それで、ぼくは私費を投じてまでつづけることはない---と、ほかの一級品の探索に目をむけたのです。それでもバーンバックさんの自著が上梓されたというニュースは耳にしていません。




:私のみるところ、多くの出版社から著書の打診がきているように思うんですが---。


バーンバック:これまで、受諾したことはありません。じつのところ、いま、出版社の人と昼食をともにしてきたばかりなんです。


:ずっとお断りになってきたのは?


バーンバック:著述のためにあくせくなんか、したくなかったんですよ。


:それはありますね。きつくて、お体に障ることもあるでしょうから。でも、こんどはお受けになった?


バーンバック:自著を書くとして、いくつかのアイデアを、かのブレンダン・ジル氏に話してみたんです。そしたら、非常におもしろいから、ぜひ、書きなさいってすすめられてしまって---。本を書くことについてはあやふやだった気持ちが、ブレンダン・ジルのような著名な著作者が太鼓判をおしてくれたんなら、に変わったんです。


:もう、書き始めていらっしゃるのですか?


バーンバック:とんでもない。内容は、コミュニケーションについて考察したものになるはずですが、まあ、例の「オオカミ少年の後日譚」のつもりで読まれればいいとおもっていますよ。


:小説をお書きになるお気持ちは?


バーンバック:ありませんね。


:なぜ、そう、はっきり否定なさるんでしょう?


バーンバック:かけらほども、ないからですよ。


:では、話題をDDBへ戻しましょう。ここ数年間のうちに、何か変化がおきているとお感じなっていますか?


バーンバック:変化はむしろ、製品やサービスの側に起きているんではないでしょうか。競争がより激しくなってきています、どう対応すべきかについては、クリエイティブ部門の者たちも、アウント部門と同様に肌で感じていますよ。


そう、私たちは、私たちが創りだし提案してきたフィロソフィ(主張)を踏みはずしてはならないのです。何が正しいか、それは何なのか、と同時に、これまでに使われたやり方でいうのではなく、いかに新鮮ないい方でいうか、なのです。


そうでなければ、広告は気づかれもしないで捨てられるでしょう。オーブンから焼きあがっていまでてきた香ばしいパンのように、食欲をそそらなければなりません。


25年前に真実であったものは、変わるはずはない。そんな中、広告は、どんな顔をして現れたらいいのでしょう。どういえば、彼らの目をこちらに向けさせ、彼らに聞き耳をたてさせ、行動に駆り立てることができるのでしょう? アイデアだけが彼らに到達できるのです。それこそ、アーチストの手腕こそが頼りであり、ものを売る力なのです。


私は、著名な作家や画家とディナー・パーティで、よく、同席します。そのときに、彼らが、VWビートルの広告や、ポラロイドやリヴィ・パンなどなどのキャンペーンから学ばせてもらっています---あれこそ、アートです---と言って、どれほど私を嬉しがらせてくれているか、いいあらわしようもないほどなんです。アートこそが、ものを売る効果的な力なのです。


:DDBの今後は?


バーンバック:私たち全員が、自分のハードルを高くしなければなりません。水準をあげるのです。そして、自分自身に問いかけるのです、「ほんとうに新鮮か?」と。すべてのクリエイティブ・ピープルは、できたコンセプトと広告キャンペーンについて、「ほんとうに、これでいいのか?」「ほんとうに新鮮か?」「最良の道か?」って、自問しつづけてほしいのです。そうやることで、別のひらめきが発光します。
DDBでは、仲間から学べます。仲間から刺激を受けるとともに。仲間を刺激してあげましょう。
高い品質を求めましょう。自分自身にも、仲間にも。




参照このインタヴューから5年後---DDB30周年の記念インタヴューは、

>>「人を切れるのは、事実に生命を吹き込むことのできる芸術的才能です」DDB創立30周年記念社内報よりクリック