創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(320)[ニューヨーカー・アーカイブ]によるビートル・シリーズ(6)


ビートルは「シンプル」で、「正直」で、「合理的」で、「経済的な」車であるから、広告もモノクロでいい、カラーはぜいたく---と、終始一貫、モノクロでいくのかなと思いきや、突然、カラー版が登場。「おいおい、大丈夫かね?」と、ディーラーの店主たちがかえって心配したことでしょう。
DDBのクリエイターとすれば、「カラーでなきゃあ、生きないアイデアだってあるのさ」
「カラーである必要はないのに、カラー・ページに掲載している広告のことを、浪費というんだよ」



いろんなところへ行ってきました。


10年前、VW第一陣が合衆国に輸入されました。
かぶと虫のような形をした奇妙な小さな車は、無名といえる存在でした。
うたい文句といえば、リッターあたり13km強(レギュラー・ガソリン、並みの運転で)、1日中時速112kmで走りつづけてもビクともしないアルミの空冷式後部搭載エンジン、家族向きの手ごろなサイズ、そして買いやすい価格。
かぶと虫は繁殖しました。つまり増えたのです。1954年には、輸入車のうちでトップでした。以来、その座をゆずってはいません。1959年にはステーション・ワゴンやトラックを含めて150,000台のフォルクスワーゲンが売れました。
百万長者も買い、勤労者も買う、そして大学生たちも買います。そのししっ鼻は連邦のどこの州へ行ってもおなじみです。
VWはまやかしのない車です。私たちはできるだけのことをこの車に注ぎこみました。で、私たちは、あなたにとって世界一お買い徳な車であると思っています。とても大勢の方々が、そう思ってくださるのもうれしい限りです。


C/W ジュリアン・ケーニグ
A/D ヘルムート・クローン


"The NEWYORKER" 1960.01.02


広告代理店としてDDBを選んだカール・H・ハーン総支配人は、広告部門の責任者に、キャンペル・エワルド広告代理店でシボレーのA/Eをしていたポール・R・リー氏を引きぬき、据えました。リー氏は、A/Eになる前は、シボレーのセールスマンであったそうです。


chuukyuu注以下のコメントは『ライフ』誌販促用の小冊子のために書かれたものです。『ライフ』とあるところは『ニューヨーカー』誌と読み替えておすすみください。


アメリカ・フォルクスワーゲン
広告部長
ポール・R・リー


「1959年に広告を始めてからこのかた、私たちは私たちの広告予算が、アメリカの自動車業界のそれにくらべて少ない、という事実をいつも意識してきました。


私たちは、この少ない予算を、工夫と企画で立派なものにしようとしていました。


私たちには最少限のスペースしか買えないのですから、一つ一つの広告が読者の心に残るような印象的なものにするために、目立つものでなければならないわけです。


一つ一つの広告が、よく売るための、よりよい効果を挙げなければなりません。
そして売るためには、多くの潜在購買者に、一つ一つの広告がとどかなければなりません。


これが媒体選択に払われるのと同じほどの注意が、広告それ自体の創造についても払われる理由です。
ここ2年以上にわたって、私たちは全国消費者むけキャンベーンの先頭にたつものとして、『ライフ』誌をとりあげてきました。大成功でした。
『ライフ』誌がナンバー・ワンであるのは、質の高い読者を大量に惹きつけているからです。


と同時に重要なことは、『ライフ』誌の編集上の基調である リアリズムでドラマティックな表現です。
これが、私たちの特殊な種類の広告の信憑性を高めてくれます。
しかしながら、媒体の選択は、フォルクスワーゲンの広告の成功の一面にすぎません。


私たちの企画は、私たち自身、私たちのディストリビューターとディーラーの間で、注意深く提出された広告のための努力に基づいているのです。


アメリカ・フォルクスワーゲン社は、 全国誌にしか広告を出しません。(これは地方のディーラーには買えない媒体です)。 そこで、地方で買えるあらゆる媒体に広告を出す責任を、ディストリビューターに与えるのです。 (つまり、新聞、テレビ、ラジオ、 ダイレクト・メール、屋外広告など)彼らは大衆に、私たちが全国的にいっているのと同じメッセージを地方でいうわけです。


お客さまの方では、全国媒体に出た広告も、地方媒体に載った広告も区別して見ないのです。


これは私たちのディストリビューターが、私たちの全国的キャンペーンに束縛された広告だけをするという意味ではありません。彼らは、そうであるとともに、時にはそれ以上にもやるのです。
なぜなら、フォルクスワーゲンについては、私たちが全国的な印刷媒体に出していることより、もっと多くのことをいわなければならないからです。


私たちは、あらゆる媒体のための広告すべてにわたって、私たちの広告代理店ドイル・デーン・バーンバック社の手で用意されたものを彼らに供給します。
そして、その一つ一つは、水準の高い、正直さにあふれたコピーとアートです。


どれをとっても、製品と結びついたアイデアでスパークしています。


私たちは、平凡さを避けて独創的であろうとしていますが、純粋に独創的であるための特別な仕掛けはしません。
私たちはただ、私たち自身であることを目標にしているのです。
ユニークで独創的な私たちの製品について端的に語ることで、私たちの広告を独創的にならざるを得なくしているのです。


私たちのインフォーマテイブ・コピーはソフィスティケイテッドだといわれています。
もしこれが、私たちが開拓者だということを意味しているのであれば、その意見には賛成できます。
それこそ、私たちがやろうとしていること、---おとなに納得のいくように語りかけることなのですから。


私たちが読み手の知性に敬意を払いさえすれば、読者の方でも、私たちを信じて下さり、私たちの製品に敬意を払って下さるでしょう。


それでこれが、私たちの広告のつくり方---製品そのものの基本的利便から発生したやり方なのです、
このユニークな車をかくも成功させた、質の高さと正直さを備えた利点を示したやり方なのです。





We've gone places!


Ten years ago, the first Volkswogens wereimported into the U.S.A.
These strange little cars with their beetle shape were almost unknown.
All they hod to recommend them was 32 miles to the gallon (regular gas, regular driving), on aluminum air-cooled rear engine that could go 70 mph all day long without strain, sensible size for a family, and a sensible price-tag too.
Beetles multiply; so do Volkswagens. By 1954, VWwas the best-selling imported car in America. It has held that rank each year since.
In 1959 over 150,000 Volkswagens were sold, including station wagons and trucks.
Millionaires buy them, so do working people and college kids. Their snub noses are familiar in every state of the Union; as American as apple strudel.
Volkswagen is on honest car. We put as much as we can into it; and we think it
the best car in the world far your money. We're glad so many other people agree.


C/W Julian Koenig
A/D Helmut Krone


"The NEWYORKER" 1960.01.02