創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(433)ジェリー・デラ・フェミナ氏とのインタヴュー(5)


【用法】かの京極黄門(藤原定家)の「和歌に師匠なし。只だ、旧歌(古歌)を以って師と為(な)す」とのたまいしも、道異(こと)にして理(ことわり)は同じかるべし。
久須見疎庵『茶話指月集』横井 清校注 東洋文庫『日本の茶書2』


(chuukyuu確:DDBの広告を師として、この道を究めることも、間違ってはいなかった。





デラ・フェミナ トラビサノ&パートナーズ代理店
社長当時


<<ジェリー・デラ・フェミナ氏とのインタヴュー(1)


学校のコピーライティングの試験では落第させられたが---


chuukyuu「いつコピーライターになりたいと思ったのですか。それから、幼年時代や学生時代に、今の仕事を始める職場で経験したこと、前に勤めていた代理店での体験談といったものも話してください」
フェミナ氏「コピーライターになりたいと思ったのは、前にもいったとおり、それがショー・ビジネスにとても似ていたからなのです。
とにかくこれは、ハリウッドを思わせたんですよ」


chuukyuu「コピーライターを夢見ていたのは、幾つぐらいの時でしたか?」
フェミナ氏「16ぐらいだったと思います。
知らず知らずにこの社会に足を踏み入れ、気がついてみたらコピーライターになっていたという人が多いのですよ。
初めは、エンジニアになろうとか弁護士になろうとか思っていたのが、何年かがたって気がついてみたらコピーライターになってたわけです」


chuukyuu「ロン・ホランド氏(クリエイター・インタヴューのコーナーを参照)をご存じでしょうか?」
フェミナ氏「ええ。彼は昔はアイスクリーム売りだったのですよ」
chuukyuu「そうらしいですね」
フェミナ氏「多くの人が陥るんですよ、このコピーライターっていう商売に。
16歳のころ、私は広告原稿の配り屋をやってたんですが---この社会はなんといっても魅力がありますよね。
ものすごい魅力が---」


chuukyuu「子どものころはどうだったのですか。どんなふうに幼年時代を過ごされたのですか?」
フェミナ氏「家がとても貧しかったので---とにかくお金に困っていましたから---」


chuukyuu「今でもお住いはブルックリンですか?」
フェミナ氏「いいえ、今はマンハッタンに住んでいます。
家にお金があまりなかったので、小さい時から外に出て仕事をしなければなりませんでした。
物を売るということもやらなければならなかったし、その他いろんなことをやりましたが、それはすべて私のいい経験になっています。
メッセンジャーもやったし、メ-シー(百貨店)で売り子もやったし、真空掃除器をかかえて訪問販売もやったし---あまり職業を変えたので、そのすべての名をあげるのはどうやらむずかしいようですが、その一つ一つが私にとって貴重な経験であったことは事実です。
すべてが勉強につながるものでしたから、今こうやってコピーを書く段階に至って、それは大いに活かされています。
学生時代の私は、あまりいい生徒ではなかったらしいのです。
学校のコピーライティング・コースでは及第させてもらえなかったのですから。
私は、何か人と違ったことをやらなくてはならないと強く感じていたのですが、学校側としては、私に昔と変わらぬ基本どおりの古くさいものを要求していたために、このクラスでは落第させられました」


chuukyuu「前に働いていらっしゃった代理店ではいかがでしたか?」
フェミナ氏「DKG(デルハンティ・カーニット&ゲラー社)ではとくに貴重な経験をしました。
なんといってもここは優秀な代理店でしたから。
私が初めて勤めた代理店はダニエル&チャールス社で、ちょうど私と同じくらいの若者がたくさんいる楽しいところでした。
彼らの多くが20歳から25歳までの間で、何をするのにもみんなが力を合わせ、比較的早いテンポでこの代理店は成長していきました。
ここでは私は、何もしなくても大金を支払ってくれる人が実際にいるのだということを生まれて初めて知りました。
これには、さすがの私もびっくりしました。
あなたの残りの人生を楽しむようにと、だれかがボンとたくさんのお金をおいていってくれる。
そうなれば、あなたは何もする必要はないし、ただ楽しんでいればそれでいいのです。
そうしているうちに、かつてしたことをなつかしく思うと同時に、そうした結果今は何をしなくてもお金がもらえる自分自身を自覚し、自分はこの世の中でもっともハッピーな人間の仲間であることを知る、というような経験を。
DKGは、確かにすてきな代理店でした、環境もさることながら、彼らがつくり出す広告も立派でした。
彼ら一人一人がタフな人間でした。
悪い広告があると、それについて話し合い、またお互いの作品を批評し合い、その一つ一つが勉強でした。
学校の雰囲気もありましたね。
ここではいろんなことを学びました」


>>(6) 広告をとおして、もっともいいたいことは何か---と自問する

DKG(デルハンティ・カーニット&ゲラー社)の作品の例



新製品ジバンシーをお試しになる時は、こんなふうにしてください。


パリでは今秋、ジバンシーは赤いジャケツト風ディナー・ドレス、赤いベルベットのバゴダ絹、赤羽根のテブニング・プロケードをデザインしたほかに、プラス・トゥもデザインしました。
同じ色相の明るい口紅です。試してみてください。
ジバンシーが自分のコレクションのためにデザインしたものですから、彼の服とはみなうまくいきます。


ジバンシーの新しいシルエットです。


この透明な卵を持って金のブラシで塗ってください。
そうすれば、あなたに唇はスカーレット色、サクランボ色、そしてラッシュ・ピンク-----


ジバンシーはこうやって塗ってください。


ジバンシーはこうやって塗ってください。


>>(6) 広告をとおして、もっともいいたいことは何か---と自問する