創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(455)《クリチック》をつけよ


8月28日のコメント欄に、umeume13 さんが、
「本日の日経に出ておりましたが、クロスオーバー・イレブンのCDボックスが発売されます。当時の音楽はもちろんナレーションも含め当時の番組構成が生かされているようです」

こんなレスにつけました。

>umeume13 さん
情報、ありがとうございます。
ぼくがスクリプトを書いたのは、30年以上も前の5〜6年間です。
スクリプトを使いたい、という依頼状がきていませんから、ディレクターが交替してからの分でしょう。
ぼくたちのチーム6人のスクリプトの抜粋分は、1986年に『真夜中の漂泊者たち』『真夜中の旅人たち』というタイトルの2冊の本になっています(版元:ゆまにて出版)。
玉村豊男氏(ほか、出倉 宏、内山安雄、高木 達、滝沢ふじお、ぼく)が1週間交替で書いていました。


それで、つい、なつかしくなって、書棚から2冊をとりだして読んでいたら、以下の文が収録されていました、この週は、ずっと、バーンバックさんのことを、広告畑じゃない人にもわかるように書いたとおもいますが。手元に控えがのこっていないので、記憶にありません。


まあ、1日分だけでもご参考に。




20世紀に偉大な足跡を残した、ウイリアムバーンバック氏が、1982年9月2日、この世を去った。
日本の新聞やテレビは、その死を報じなかった。


氏が広告製作者だったからだ。
公共放送のNHKとわずかのメディアをのぞき、新聞も雑誌もテレビも経営の大きな部分を広告収入に頼っている。


その広告を浄化するのにつくしたのがこの人だったのだが。

米国の広告を、読むに耐え、見るに値いするものに変えるのに努力した氏は米国の広告クリエイターたちに、こう、訴えた。

「米国人は、美術館で名画を見るよりもずっと多く、テレビのコマーシャルや雑誌広告にのった写真を見ています。したがって、これらをつくる立場にある人は、米国人の美的感覚を向上させる社会的な義務を背負っているのです」

ぽくが氏の存在を知ったのは、20数年前(1982年時点)、米国のすぐれた広告から学ぼうと、毎週のように神田の古書店にでかけ、『ニューヨーカー』や『ライフ』や『ルック』などのバックーナンバーをあさり、「これは……」と目についた広告を切り取り、品目ごとに袋に入れて整理したときだった。


いくつかの袋がどんどんふくらんだ。
で、それらを製作した広告会社を調べてみた。

たったひとつの会社によってつくられていたのだ。
その会社の名は、ドイル・デーン・バーンバック……略してDDB。社長がバーンバック氏だった。


ぽくはバーンバック氏に手紙を書いた。
いま考えるとラブレターのような文面だったと思う。


「私は、あなた、およびあなたの部下の方々がおつくりになった数々の広告に心酔しております。
いえ、それは広告という営利行為のためのものではなく、ひとつの立派な文化的表現であります。
つきましては、あなたが4Aでなさった講演の草稿をぜひ読ませていただきたいのであります」

20年間におよぶ氏との交際が、こうしてはじまった。

バーンバック氏は、ニューヨークのブルックリン地区で、1911年(明治44年)ユダヤ系の家庭に生まれた。



彼の会社の社員、とくにコピーライターにもユダヤ系の人が多い。

そのことに気づいたぽくは、ユダヤ系であることとコピーライターの因果関係について調べてみることにした。

だからといって、ぼくがユダヤ人に対して特別の感情をいだいていると早合点しないでいただきたい。
逆なのだ。

ぼくはDDBの人たちから、「ジャパニーズ・ジュウイッシュ・コピーライター」……ユダヤ人のことがよく分かっている日本人コピーライターというニックネームをつけられていたのだ。

それほど親しく付きあっていた。


バーンバック氏のことばのなかで、ぼくの好きな助言のひとつは、

「海綿が水を吸うように、事実をたくさん集めよ。しかし、事実をそのまま提出しても、人の心をうつことはできない。そこに、表現という、芸術的な働きを加味しなければならない」


ユダヤ人が好むことばに、「タクリス」がある。

慎重、リアリズムとか、詩よりも散文のほうを愛する心……とでも訳せようか。

バーンバック氏は「タクリス」の反対を部下にすすめているのだ。

そこのところを幹部コピーライターのひとり、ボブ・レブンソン氏はこう説明してくれた。

彼は国語の教師になるための勉強をしていた人だ。


「ええ。ビル(バーンバック氏の愛称)から、表現という芸術的な働きを加味せよといわれたとき、広告の終わりに《クリチック》をつけることだって、理解しましてね」


ちなみに、《クリチック》とはイディッシュ語で、すべてのものを包みこんでしまうような笑いのカプセルという意味だ。


chuukyuu注】 イディッシュ語」は、ゲルマン系の言葉にユダヤ語をまぜた言語。ドイツ・オーストリー、東欧系のユダヤ系移民が使う。


レブンソン氏自身による《クリチック》についての説明は、 [DDBの本、あれこれクリックに、拙編著クルマの広告』(ロング新書 2009.12.10の「巻末解説に代えて」 を全文掲示しています。