創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(456)『トミ・アンゲラー『フォーニコン』


創』という新鋭な総合誌が、かつて、あった。創刊号は、1971年の11月号。
気がきいていて野心的な活字人間なら、世の中には新奇なこともあるんだよ---というようなことを、雑誌をつくって教えてやろう---と考えないでもない。多摩美術大学の大渕武美教授もその一人であったような。見本として届けられた創刊号に責任編集者として名があがっていたから。
そのころ---ぼくも多摩美に講師の端くれとして腰かけていて、ニューヨークで起こっていた「広告革命」を講じていた。で、大渕編集長から原稿依頼がきた。
その次第は以下のとおりなのだが、じつはその後、『創』誌がいつ、どういう理由で休刊したかは知らない。
ぼくの以下の原稿が載った第2号しか手元にのこっていないからである。
その後 このエッセーは『トミ・アンゲラー絵本の世界』(誠文堂新光社 1981.10.1)に収録した。





現代は奇妙に矛盾した認識が幅をきかせる時代である。
たとえばひとりの男が全く異質の仕事をすると、一方では賞讃され一方では軽蔑される。

このエッセーも多分、そうした矛盾した評を投げつけられるであろう。
というのは、大淵編集責任者からは「不況下にあえぐマジソン街からのレポート」を書けと命ぜられたにもかかわらず、私は広告とは関係がないトミ・アンゲラーの『フォーニコン』のことを書くつもりだし、広告人の私がポルノ論議をするのはやや畑違いかもしれないからである。
なぜ『フォーニコン』のことを書きたいかというと、トミのこの種の絵を最初に目にした日本人は私だし、彼からその本を贈られた日本人も私だけだからである。


私がトミ・アンゲラーに最初に会ったのは1966年の晩秋だった。
当時彼は、パーク・サイドー・ウェストの高級アパートに住まいがありながら、ほとんどそこには寄りつかず、カナダに行きっきりで、ニューヨークに帰ってきてもロングアイランドのどこかの海岸べりの小屋か、あるいは当時の恋人であった南米系の女性サラ・ウィルソン嬢のアパートに転がりこんでいた。
そしてアトリエは42丁目ウェスト・サイドのビルの21階にあり、そこには彼の改作になる猥雑なセックス玩具の山と、2つのデスクとスチール・キャビいっぱいのポルノ絵(その一部が『フォーニコン』に収録された)があった。

ニューヨークに行ったことがある人なら容易にわかっていただけると思うが、42丁目ウエスト・サイドというのは、その種の本やがらくた輸入品を売る店とポルノ映画館が軒をつらねている街で、一種異様なバイタリティと淫猥さにあふれている(ワシントン広場のあるヴィレッジが新しい世代のメッカとして有名になったのはその翌年ぐらいからである)。

トミは、ニューヨークの中では42丁目の雰囲気が最も好きだといって、それが特徴のあごひげをふるわさせながらこの通りを歩いた。

しかし、再会した1971年春には、アトリエをビレッジのマクドーガル通りに面した古い四階建のアパートに移していたから、すでに好みがそっちへ変ったのかもしれない。
もっとも、ヴィレッジのアトリエを訪問した時には、ほとんどの荷物を箱につめてしまっていて、カナダの無人島に逃げ出す寸前であった。

「カナダにもアトリエがあるし、よくあそこで仕事をしたからね」といっていたから、多分そこへ越しだのかもしれない。

さて、このトミ・アンゲラーだが、自作自画の童話本を10数冊書いている。
有名なのは『メロップス』シリーズと『蛇のクジクター』、『ザ・ムーンマン』などだが、最近のもの……といっても1967年に出版され、扉に「サラに」と献辞されている『ゼラルダと人喰い鬼』もずいぶん売れたようだ。「サラ」とはサラ・ウィルソン嬢のことで、その当時はプッシュピン・スタジオで機関誌を編集していた。

ところでトミの作品にはもう一系列あり、『アンダーグラウンド・スケッチブック』、『パーティ』に代表されるいわゆる現代アメリカ社会の風劇画である。


左:とびら絵 右:その場で表紙見返しに描いてくれた献画・辞

1969年暮れに出た『フォーニコン』はこの系列の延長線上に置けるが、前2著と違って、こちらはむしろ文箱の底(といってもトミの場合はスチール・キャビだが)に長い間秘しておかねばならなかった類いの作品である。

つまり、発表するあてもなく書きためていたもので、普通なら1冊の本(たとえば『パーティ』)をひと晩で描きあげるトミにしてみれば、おそらく最も時間をかけた作品集といえる。

1冊の画集がひと晩で描かれようと5年かかろうとその価値にはたいした違いはない。
要は出来である。
だからそんな穿さくはどうでもいい。

いいたいのは、童話絵本作家のトミとポルノ画家のトミのどっちが本物かということである。
故郷のストラスブールから米国人女子学生(最初の妻)とニューヨークにたどりついたトミは、モロッコ騎馬兵士時代に患った腕のリウマチに悩まされ、かつまた貧乏のために、仕事探しに出向いた出版社の人口で倒れてしまった。16、7年も昔のことである(1971年からいって---)。
そして最初に米国で得た仕事が童画であった(当時のトミはヴィレッジの安アパートに住んでいた)。

つまり、トミの童画は生活のため……といういい方もできる。
しかし、青年時代のトミが兄嫁の父にあたる建築家フランソワ・ヘレン・シュミット氏の小さな家族たちに話してきかせた空想豊かなつくり話、そして私の目の前で演じてみせてくれた娘フイービィヘの即興童話などから推して、それは彼の本質の一面であると思える。

そうでなければ子供のための遊園地用遊び道具などに本気で取り組むはずがない(レッドブック1966年11月号)。

これもトミの本質の一面だといってよい。
コルマールに近いロジェラッハ町のはずれの麦畑で、中学生時代のトミは連合国である米軍機から機銃掃射を受けた。
それが事故だったとしても、トミの心の傷は大きかった。
私たち日本人と違って西欧人の怨念はしつこい。
彼は常識というものに対して疑念をいだくようになった。12歳のときである。


機械に対するトミの復讐心は『フォーニコン』に結晶した。

トミにとっての機械とは、米軍機の機関砲にほかならない。
ジョン・ホランダーは『フォーニコン』に寄せて「鋭い角を持ち、硬く冷たく、愛撫しようとする人間を傷つけるもの」と機械を定義している。

「トミ・アンゲラーの性具は、心という柔軟な機械でもなく、人間関係を感知できる機械でもない。疎外された性器の自己風刺的で、固い機械である」ともいう。

『フォーニコン』でトミが私たちに提示してみせた絵の中から任意に一枚を選んでみよう。


両腕両足を固定された女は強制的に頭上のテレビを見せられる。
ブラウン管画面はインサートの抽象図型のクローズアップである。
女の唇はふくれあがる。

それが画面のせいばかりでないことは、彼女の体を責める各種の機械カラクリを見ればすぐに了解できる。

電気刺戟をくり返す乳頭の吸着盤。
クリトリスに加えられる微妙な触角。
そして突きだし移動する爪つき張形。
ふくれはずむ女の下腹部。
機械力ラクリは局部のみに働きかけ、全身的な愛撫を欠いている。
そこにはエロス的コミュニケーションのかけらもない。
正しく機械的自慰の世界である。「マシン・セックス」そのものである。

ホランダーはいう。「これらの絵もまた違った方向において、純粋に動物的なものとはほど遠い」「それはここにある世界が、どこから見ても愛撫とか放縦の図ではなく、摩擦、回転、揺れ、噴出の反復、再反復そして貫通のくり返しの衝動に動作が環元されたエロチックな世界だからである」

私たちは最初・単純に好色的興味からトミの絵を見る。

しかし凝視しているうちに慄然たる空想に捉えられる。
女たちが男を必要としなくなるか、男を単なる性器摩擦器あるいは分泌器と見なした時、男はその存在感をどこに求めたらいいのであろうか……と。

その時男は卑小なものと化する。


「これらの絵にあるような風刺的表現は、古代の昔からよく用いられてきた。だがとくにこれら一連の機械の風刺は、スイフトの『精神の機械的作用に関する考察』で展開された分野の系統をひいているといえよう」とホランダーが解説して見せた時、私たちはオスカー・ワイルドの複数恋愛を想い浮かべるべきだという。
確かに、古今東西の思想家たちはセックスに関しての新発見を述べたてた。
しかし、トミのようにそれを具象化してみせた者はいない。


もう一枚の絵を選んで見てみよう。これは正にワイルドの複数恋愛そのものである。巨大なペニスもどきのものへのフェラチオとともに機械力ラクリによる挿入刺戟を楽しむ女と深部挿入快感に嘆声を発する女の二重図である。
上の女の引きつった目の隠された表情は、彼女の歓喜を描いてあますところがない。
淫らに開けられた唇は、陰唇を象徴する。

この絵のカラクリは単純なだけにそれだけ即物感が強烈である。

ホランダーはいう。「病める欲望が機械を創りだす」と。

この絵を描いている時のトミは、私の前で注文画を仕上げていった時のように口笛を吹き吹き描いたのであろうか?あるいはまた電話に応答しながらデスクの上に拡げられた白紙にいたずら描をしたように手を動かして描いたのであろうか? 

ちなみに、トミの英語はフランスなまりのある気だるげなイントネーションを伴っている。
女たちの歓喜もフランスなまりのそれであろうか?  ア・ボン。セ・ボン。

「変態風刺のように、この本は可能の淵に待ちかまえてゆがみの洪水の中に現実をひたらせる一種緊迫した地獄をかいま見せてくれる」とホランダーはいうが、私たちが心のどこかであこがれる地獄でもある。

3枚目の絵に関しての説明はよそう。
そこに、苦痛と快楽が同居している愚かさを想像するだけで足りる。
「これら身の毛もよだつ、陽気なギミックの拡張された部分はまた別の問題であり、終らせることも完了されることもできないセクシュアルパ・トナーのビジョンは、肉体のでもない、物質的なものでもない、要するに肉体の使用に関する精神的妄想の地獄に等しい変形である」とホランダーがいうごとく、『フォーニコン』の女たちのセックスには終りということがない。

機械は射出によって果てないからである。

そのセックスは無限軌道であり無間地獄である。

しかもそれは私たちの心の底にひそむ願望でもある。
人々は性具について飽くことなき発明を試み、体験を誇張して語りたがる。『フォーニコン』はその精神状態への風刺でもある。
 


トミは私に『フォーニコン』をくれた時、大きな歯をみせて笑った。
かつて彼は「ぼくの作品の90%は未公開なんだよ」と告白した。
そして「日本で発表できるだろうか?」と私に尋ねた。
しかしいまやトミの未公開作品のエキスは米国で発表された。
日本よりも一歩早く発表できた。
トミの笑顔は、そのことを暗示しているように私には思えた。


アービング・ウォーレンスの『七分間』によると『チャタレイ』の弁護に立った上訴裁判事レナード・P・ムーアは「好色的興味についていえば、人は突然、米国の大衆にイングランドで地所を管理する職業的猟場番人の悩みを知ろうとの欲望がわいた結果、あの爆発的売行きがもたらされると信じるほど無邪気にはなりえない」といったという。(村上博基訳、早川書房)
 

さすれば、私たちが『フォーニコン』に示す興味はなんであろうか?


追加

追加2