創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(430)マンガーノ氏、新任アソシエイト・クリエイティブ・ディレクターに(下)


ちょっと起床がおくれ、午前3時からいつものように創りはじめました。
ところが、10分後、うっかり消去ボタンを押し間違え、コピーぺした訳文ごと、今日分のブログ全部を消してしまいました。
予定していたスケジュールをこなしてから、再翻訳・再入力にとりかかるべく、次のスケジュールへ入ろうとしました。これでも、けっこう、忙しく、ドタバタしているのです。
ふと、翻訳と原文を準備していた下書き(仮登録)は{切り取り}しないで〔コピー〕だったように思いいたりました。
ありました! 血圧が下がった感じ





「監督のしすぎだなんて感じられないのが、なにより」




          DDBの新先任副社長 アソシエイト・クリエイト・ディレクター  
                              マイク・マンガーノ


彼は、よいスーパバイジングとは、ゆっくり、気長に結実を待つことだと悟っている。


スーパバイズすることで、ご自分の書く時間を減らしていますか、と訊いたところ、返ってきた答えは、
「とんでもない。これまで以上に書いてますよ」


さらに問うてみた。「あなたの広告とわかるように特徴づけをしていますか?」
「そんなこと、考えたこともありませんよ。まあ、ぼくのたくさんの作品をご覧になると、なにか特徴があるかのようにお感じかもしれませんが、ぼくは、そんなこと、意識もしてません」


マイクは、書く仕事を、写真機材卸店のための小規模な広告代理店からスタートした。その後、米国経営者協会のプロモーションの仕事に移った。さらにスミスグリーンランド代理店でコピーライターになり、1965年にDDBへ。最初は、エヴァン・スタークの下でユニロイヤル・タイヤの業界紙のための広告を担当。


「最初に手がけた一般媒体の広告は、カナダの新聞にでたユニロイヤルのものだったことを覚えていますよ。それで認められたんです」


それからジャック・ピコロとのペアでアウディの広告チームで働き、「ミスター・ダート」で重鎮アートデイレクターのビル・トウビンと組んだあと、ロイ・グレイス、そして、DDBを去る前のエヴァンともペアを組んている。そう、大御所ヘルムート・クローンともアウディ・フォックスの仕事を手がけた。


昨年(1974)の半年間は、チャーリー・ピッキリーロとのコンビで、VWビートルを骸骨にした1リットル34.5kmの印刷媒体とコマーシャルで一般紙と『ウォール街ジャーナル』などにとりあげられた。


つい最近は、バーボンのヘンリー・マッケナとアイリッシュ・ウィスキーのジョン・ジェイムスンのキャンペーンを仕上げたばかり。そしてポラロイドの新製品のためのキャンペーンにとりかかった。


いや、なにしおう仕事量ではある。



シーヴァス・リーガルで最も印象的なのは、ボトルに貼ってあるものではなく、
その中にはいっているものです。この写真を見ると、つくづく、そう思い知らされます。


art drector:Bill Harris


シーヴァスがなくなったのではない。
友が増えたのだ、
そんなふうに考えてください。


art director: Bill Harris



シーヴァス・リーガルの会長は、6年目についにこの広告を出してもらえることになりました。 


「シーヴァスには柱脚つき台座がふさわしい」彼(会長)は私たち(DDB)に憶えきれないほど何回も説いてきました。
「そんな広告は古くさいもいいとこだ」 私たちは彼に数えきれないほどそう説明してきました。
「どこが古くさい?」 会長はいつもこう訊き返したものです。「シーヴァス・リーガルは世界最高級のスコッチだ。台座に合うスコソチは、シーヴァスをおいて、ほかにないはずだ」
「それはそうです」と私たちの返事はお定まり。しかし、台座に載せただけでは、世界最高級のスコッチだと人びとを説得させられない。そんなのはどんなスコッチにだってできる」
「わかった」会長の返事はいつもこう。「広告は君らが専門家なんだから」


何年もこんなことのくり返しでした。でも、数か月前、仕方がない、一度会長のやりたいように写真を撮らせて、私たちが言ってる意味をわかってもらうよりないということになりました。
そう、やってみると、この写真は、私たちにもあることを教えてくれました。
台座に置かれたシーヴァス・リーガルは幾分古めかしく見えます。
しかし、ほかのスコッチがこれをやっていたら、きっと平凡で陳腐なもののように写ったに違いないのです。


『ニューヨーカー』 1976年10月21号


art directoe: Bert Steinhauser


マンガーノ氏の自薦作品↑(『DDB NEWS』1974 6月号


まず、拒否することで、広告が本当に完全なものになると言わせてください。
サム・ブロンフマン氏---シーヴァス・リーガルの会長---は、長年、ぼくたちに、氏のかわいいシーヴァスを柱脚(pedestal)の台座に鎮座させた写真をつくってくれと要求しつづけてきました。氏の精神に休息を! ぼくたちは、当然、抵抗してきました。バートとぼくが本当に好きだったいくつかの広告を提出していたある日、氏はそれらには荘厳(dignified)さが足りないと主張しました。 「間違いなく氏は荘厳な雰囲気を欲していた、やってやろうじゃない」と、腹立たしさのあまりに言ってしまいました。 そう、氏が欲していたものを与えることにしたのです---pedestal---ぼくたちがやったのが、これです。(肖像画ブロンフマン会長)


参照】2008.09.18 [DDB紹介〔終末宣言〕](11)←数字をクリック 



明日は、「DDB25周年、バーンバック学校生徒たちの、バーンバック氏への賛辞」