創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(425)ジョン・ノブル、新コピー・チーフに (上)


1975年1月号『DDB NEWS』は、3人の幹部クリエイターの昇進を告げていました。

そのニュースを自信家は対岸の火事として見逃します。注意深いウォッチャーは時代の変化すら読み取り、他山の石とします。

34年前、DDBになにが起きたかはともかく、今回は、一人でも多く若手クリエイターと接することができたと思いましょう。ファンになって感情移入をするほどでないと、クリエイター(アーチスト、作家、俳優、歌手など)のほんとうのところは推察できないのです。




「<売り>の結果こそ、いつ、いかなる時でも、われわれの、最高・最終の目的」


             先任副社長, 新コピー・チーフ  ジョン・ノブル氏


新コピー・チーフのジョン・ノブル---DDBで最速で駆けのぼった人。
1965年にコピーライターとしてDDBに入社し、29歳の1968年には最年少の副社長となり、4年後の1972年にはクリエイティブ・マネージメント・スーパバイザーに。そして1年後の1973年には先任副社長。


ジョンと話すと、彼の作品、とりわけ、いっしょにクリエイティブに携わる人たちへの敬意が汲みみとれます。「広告は、つまるところ、人なんです」とジョン。


「そして、DDBには、広告史の中でベストの人たちが集まっていました。これが、DDBをユニークな存在にしました。ぼくは、それらのベストの人たちから学び、それを後ろからくる若い人たちに教えるために、最善をつくしました。それこそが発展をもたらすものです。」


ジョンはCopy Chiefとして明確な目標を持っており、一方ではそれは、みんなにかかわりのあることです。
「これまでの8年間、ぼくには、この広告代理店で輝かしい才能の若い人たちと伸びるという幸運がついていたんです。こんどは、コピー・チーフとして、若い才能が十分に伸びるように万全の策を構じるつもりです。すばらしい仲間にかこまれているかぎり、すばらしい広告が生まれるのは、当たり前の話ですからね」


「といっても、カウンセリングじみたことをしようなんて思ってもいないですよ。そう、ぼく自身が敬意をもって見られなければなりません。きまりきった既製の原則の上にあぐらをかいてみんなの仕事を判断するようなことも断じてしません。最高の広告を創りだすことで、手本を示しますよ」


「マーヴィン(・ホーニッグ=近日登場予定)、バート(・スタインハウザー=明後日登場)、マイク(・マンガーノ=4日後に登場)、そしてぼく自身、ここ豊かな農場にいて、よいジャムとゼリーを創らなければならないのです」 そして、もし、ぼくたちが2つとか3つとか不出来のものつづけたら、上の階にいるだれかが、『ね、おかあさんとおとうさんは弱くなっているようだから、若いマイクとスージーに交替させたたら---』と言うべきです。そうであるべき道理なんです」


ジョンはこの数年間、多くの広告賞に輝いているが、彼自身は、そのことにはこだわってはいない。受賞よりも、みんなが手がけている広告が毛塚としての<売り>につながることが究極の評価であると信じている。


「<売り>の結果こそ、いつ、いかなる時でも、われわれの、最高・最終の目的」とジョンは言う。「それは違うんじゃない---という人は、ここにはいないと信じいますがね」


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「ロバは死んだらおしまい、つぶしがききませんでのう」


3年前、ミズーリ州ドラに住むヒンズリー家では、ある決心をするのに迷っていました。
新しいロバを買うべきか。
中古のかぶと虫に出費すべきか。
一家は両者の可能性を比較検討しました。
第一の問題---地元オサーク丘陵地等のきびしい冬です。温血動物のロバにはきつい。しかし空冷式のVWにはさほどきつくない。
次---この競争者同士の食習慣。まぐさ対ガソリン。
ヒンズリー氏はいいました。「私は1ドルのガソリンで130km以上の距離を走り、はるかに速く目的地に着いた」
さらに、一家の山小屋へ行く道の問題。
荷車を引くロバや、従来の自動車では、泥道に足をとられ、着くまでに何時間もかかっていたのです。
またロバには雨露をしのぐ小屋が要りますが、かぶと虫には不要。<かぶと虫は1日中外に出しっぱなしにしておいても平気、色も全然さめません>
最後に、継続の点も考えねはなりません。ロバは倒れたらそれでおしまい、残念だがつぶしがきかない。
しかしかぶと虫は、万一倒れても大丈夫。ヒンズリー家にはわずか7リッターの距離のところにフォルクスワーゲンのディーラーがあるのですから。


art director:Bob Kuperman

VW ビートル"Funeral(葬式)"




---私は生まれつき、安定した健全な精神と肉体を持っています。
しかして、次のごとき遺言を残します。
まず、明日という日がないかのようにお金を使っていたわが妻ローズには、100ドルと、明日もあるということを思い知らすために1枚のカレンダーを遺します。
私の息子たち、ラドニーとビクター---私が与えた10セント硬貨すべてを、風変わりな車と性悪女につぎ込んでしまいましたが---には、10セント硬貨で50ドルずつ遺します。
また、浪費が唯一のモットーであった仕事のパートナー---ジュールズには、何ものこしません。
そして、これまた、1ドルの価値も知らなかった友人たちと親戚には、1ドルずつ遺します。
最後に、甥のハロルド---彼はいつも、「1銭の節約は1銭のもうけ」と言い「おやまあ、マックスおじさん、VWを持つことは、確かに損にはならないんですよ」と言っていたが、この彼には、私の全財産、10億ドルを遺します。

参照DDBのチーム・プレーを語る)←数字をクリック         
DDB副社長兼コピースーパバイザー(当時) ジョン・ノブル
DDB副社長兼ア−トスーパバイザー(当時) ロイ・グレイス 


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