創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(79)『かぶと虫の図版100選』テキスト(24)


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1970年3月20日フォルクスワーゲン・ビートルに関する2冊目の編著書の新書版『かぶと虫の図版100選』をブレーン・ブックスから上梓しました。そのテキスト部分の転載です。

VWの広告を引き継いだのは人生上で最も恐るべき経験だった(つづきのつづき)

また、現在(取材、当時)VWのコピーライターであるジョン・ノブル氏に会っていろいろ話し合った時の模様をお伝えすれば、シローイッツ副社長の発言の意味が補えるかもしれない。
chuukyuu「あなたが担当なさっているVWの仕事は、DDBのもっとも代表的な仕事の一つにあげられていますが、VWの仕事を引き受けた時の最初の印象は?」
ノブルVWの仕事を頼まれて、恐ろしいことになったと、手にじっとりと汗がにじみ、シャツのカラーがきつすぎるように感じました。
というのは、ぼくがDDBに入社した1965年当時、すでにVWの広告のアイデアは出つくしたという考えが人びとの頭にあったのです。
もちろん、そんなことはないとぼくは信じてはいましたが---。
今でも新しいライターが入ってきていますし、よりすばらしい広告がどんどん出てきていますからね。
仕事の質がこのように維持されているというのは、まったく驚くべきことですよ。
それにまた、すでに世にでている広告なり、コマーシャルなりに優るものをつくろうとすることは、とても恐ろしいことですよ」


私たちがかぶと虫を殺すことがあるどしょうか?

とんでもない。
どうしてそんなことができます?
フォルクスワーゲンを世に出したのは、ほかならぬ私たちなのです。何年も何年も育てあげてきたのです。
そのスタイルが世間の物笑いの種になつた時も、世界中の人と仲よくでくるように---と助けてきたのです。そして今や800万の人と友だちになつています。
私たちは、この事を決して流行遅れにならない(ましてやこの世から消えるなんてことは、決してない)とこの人たちに約束しました。
もちろん、かぶと虫が年々変わってきたことは否定しません。でも、ほとんど気づかれないほどの変化です。
1949年以来、私たはVWに5,000ヶ所に及ぶ改良をほどこしてきましたが、それらはすべて、車の性能の向上と長もちにつながるものばかりでした。
少数の潔癖家は、私たちが改良のたびにかぶと虫を殺しているって感じているようですが、やむをえなかったのです。
それが必要な時には、かぶと虫を殺さなければならないのです。
これこそが、かぶと虫が死に絶えるのを防ぐ唯一の、そして確実な方法なのですから。




Will we ever kill the bug?

Never.
How could we?
We brought the Volkswagen into world, and gave it the best years of our life.
When people laughed of its looks, we helped it make friends all over the world. 8 million of them.
And we promised them that this was one car that would never go out of style(much less out of sight).
We won’t deny that the bug's been changed. But not so you’d notice.
The 5,000-odd changes we've made since 1948 don’t do a thing to the VW except make it work better and longer.
A few purists feel we kill the bug each time we improve it. But we have no choice.
We've got to keep killing the bug every .chance we get.
That's the only sure way to keep it from dying.


>>(25)に続く。