(420)7月26日まで夏休み(3ヶ日目)
1週間の夏休みをいただいて、手持ちのデータ仕込み中です。
有用なありものをまとめて再録してみました---
ロバート・レブンソン氏とのインタヴュー
フォルクスワーゲンのコピーライター
数年前(1963)、私は、『フォルクスワーゲンの広告キャンペーン』という風変わりな本をつくりました。
それ以来、VWの広告のコピーライターであるボブ・レブンソン氏と話しあってみたい…と願っていました。
それから3,4年後の1966年の秋、『繁栄を確約する広告代理店…DDB』という本を書いた時、日本でもやってもらわなかった出版祝賀ホーム・パーティを、ニューヨークで、パーカー夫妻にご自宅で開いてもらう羽目になってしまいました。
パーカー夫人はDDBの副社長でコピー・・スーパバイザーをしている人です。
そのパーティの席で、私は、初めて、レブンソン氏に会いました。
英語の教師になるつもりで学校へ通っていたこともあるというレブンソン氏の、すごく生真面目な表情に恐れをなして、私は、そのパーティのあいだ中、彼に話しかけないで別れてしまいました。
このインタヴューの依頼の時、その旨を伝えたところ、彼も覚えていてくれて、「話し合えなくて残念だった」と言ってくれました。
chuukyuu「あなたがフォルクスワーゲンのコピーを書くようになったのは、いつからですか?」
レブンソン「私はDDBに1959年にきました。フォルクスワーゲンは、ちょうど59年にここのアカウントとなりました。それで、私はその年にセールス・プロモーションの部門でやりはじめ、1年後に全国誌のコピーを書くようになりました。それから5年ぐらい続いたのです」
chuukyuu「あなたが書いたフォルクスワーゲンのための広告で、いちばん気に入っているものをあげてください」
レブンソン氏「そうですね。全部好きですが、しいてあげるということになると、中では[この方は33年後にかぶと虫を手に入れました」というのが一つ。
この方は、33年後にかぶと虫を手に入れました。
1台目のフォルクスワーゲンを買うのに、33年間もお待ちになる方が、めったにいらっしゃらないのは、私たちにとっては幸いなことです。
けれども、A・ギリスさんはお待ちになったのです。たぶん、いつも正しい考え方をしていらっしゃったのでしょう。ギリスさんの場合、33年間、新車の必要がなかったのです。
ギリスさんと1929年A型フォードとは、お互いにうまくやってこれました。
ギリスさんは修理をご自分でなさり、夜中にタイヤを直すためにジャッキを持ちだしたこともありました。
去年、新車が必要になった時、出かけて行ってフォルクスワーゲンをお求めになりました。
「長持ちするって聞いたので」とギリスさんは説明しました。
ギリスさんはVWが好きなんでしょうか?
「お宅の検査員はまったくよく検査しますな」ギリスさんが言ったのはこれだけ。
けれどもギリスさんは、奥さんと54回目の結婚記念日に旅行をしたとつけ加えました。お2人は1万km走り、ガソリン代62ドル、オイル代55セントを払ったそうです。
「オイル焼けするかもしれないとは思わなかった」そうです。
それからもう一つ、新聞に載せたもので、「節水」というのです。これは、ちょうどその時ニューヨークが水不足だったので、非常にタイミングがよかったのです。
【訳文】
節水。
これは、水をまったく必要としないフォルクスワーゲンの提供です。
(chuukyuu注:この時期、N.Y.のホテルの蛇口には「節水(Save Water)」のシールが貼られていました)。
この二つが、とくに、いまも、思い出されるものです。
アート=コピー会談(セッション)の問題
chyuukyuu「DDBは、コピーライターとアートディレクターがアート=コピー会談(セッション)をやって広告をつくることで有名ですが、これは、DDBが考えだしたやり方ですか?」
レブンソン氏「ええと、これは大変な問題ですね。私は、DDBがこのやり方式を創案したとは思いません。
ただ、私たちがこのやり方をとったのは、1つよりも2つの頭が集まればもっといい考えが出るだろうということで、アートとコピーが一緒に仕事をしようというのを考えだしたわけです。
DDBを設立したバーンバック(William Bernbach)さん、それからボブ・ゲイジ(Robert Gage)、フィリス・ロビンソン(Phyllis Robinson)などという人たちが、最初に一緒に集まって仕事をしてみたら。そうしたらこれがとてもうまくいったんでそれじゃあこのまま続けていこうじゃないかということになったんですよ。
いまではたくさんのアメリカ中の広告代理店がこの方法をとっています」
chyuukyuu「いままでにDDBの中の数多くのアートディレクターとアート=コピー・セッションをおやりになってみて、アートディレクターによっては、どうもしっくりいかないという場合もありましたか?」
レブンソン氏「もちろん。時にはなかなかむずかしい問題がありますね。お互いに意見が食い違うようなこともありますし、意見の食い違いが容易に調整できにいこともしばしばです」
chyuukyuu「そういう時には、どう解決するのですか?」
レブンソン氏「まあ、その時は、上の段階、スーパバイザー・クラスのところへ持っていって意見の調整をはかってもらう。
で、さらにその上、ボブ・ゲイジがクリエイティブ・ディレクターをしていますから、彼に意見を求めるという場合もあります。もっと上、最後にはバーンバツクさんのところへ行くこともあります」
chyuukyuu「いまでは、米国では多くの広告代理店がDDBのアート=コピー・セッションを真似ていると思うのですが…?」
レブンソン氏「ほかの広告代理店で、私たちと同じような方式を真似ているところがある…もっとも<真似ている>といういい方が適当かどうかわからないんですがね…。
私たちと同じようなやり方をしているところはたくさんありますよ」
chyuukyuu「そうすると、多くの広告代理店がつくる広告がDDBの広告に似てくるとはお考えになりませんか?」
レブンソン氏「いや、よその代理店の広告が、私たちののと似てくるというふうには言えないんじゃないですか」
chyuukyuu「それはなぜ?」
レブンソン氏「というのは、必ずしも『DDBスタイル』というような決まったものはないからです。
たくさんの人びとが働いていますから、それぞれ違ったものが出てくるわけです。
たとえばフォルクスワーゲンの広告だとか、エイビスの広告だとか、またモービルとかポラロイドとか、それぞれの広告を見ますと、これらのもの全部が同じ広告代理店から、しかも同じ人たちの手にかかって作られたものだとは、到底考えられないくらい、いろいろ違っています。
ひとりの人が、アカウントを2つ3つも重なって担当することだってあります。たとえばクローン(Helmut Krone)なんか、エイビスとフォルクスワーゲンも両方担当しています」
[追記]
レブンソン氏がなぜ、“Think small”と“Lemon”をあげなかったか、不思議にお思いでしょう?
じつは、上記の2点のコピーライターは、レブンソン氏ではなかったからです。インタヴューで答えているように、レブンソン氏は、当初はVWのセールス・プロモーション媒体のコピーを担当していました。
で、全国媒体(『ライフ』などの雑誌媒体)の当初の広告は、アートディレクターがヘルムート・クローン氏、コピーライターはジュアン・ケーニグ氏でした。
しかし、ケーニグ氏が、VWバンのアートディレクターだったジョージ・ロイス氏とともにDDBを辞めてハパート・ケーニグ・ロイス(PKL)というクリエイティブ代理店を設立したために、急遽、レブンソン氏が全国媒体のコピーライターに起用されたのです。
VWの広告の代表作といわれる“Think small”を誕生させた時の秘話を、ケーニク氏があるところで記していました。
その頃、ケーニグ氏は、セントラル列車駅から数10分北の町ヨンカーに住んでいました。
で、帰宅の列車の向いの席に座ったビジネスマンが、経済誌を読んでいるのを見るともなく眺めると、たまたま開いていたのは“Think big”を謳った、当時流行の記事でした。
とたんに、ケーニグ氏の頭脳に“Think small”という見出しがひらめきました。
翌朝、ケーニグ氏はクローン氏に、“Think small”と書いた紙片を渡したといいます。
PKLの設立に参加したケーニグ氏のその後の消息は、杳(よう)として知られません。精神病院に隔離されたとかいううわさを耳にしたこともありますが。
VWのほかにはELALとモービルが好き
chuukyuu「フォルクスワーゲンのほかに、お気に入りの広告は?」
レブンソン氏「ずいぶんたくさん、いろんなアカウントを扱ってきましたからね。フォルクスワーゲンを書いていた時でも、私はELALイスラエル航空の広告が好きでした。
”My son, the pilot.” これが、特に好きです。
【訳文】
あの子はねえ、パイロットなんですよ テイリー・キャッツ
(chuukyuu注:助動詞を省略したいい方は、ユダヤ系ママ独特のいいまわし)本当なんですよ。
いえね、わが子だからってこんなこというんじゃありませんよ。
だってフロリダのジャクソンビル育ちの一介の少年が機長に成長するなんて考えた人がいるでしょうか。
おかしなことですが、ビルは若い頃、飛行機に興味すら持ったことなかったんですよ。私としてもそのことに不満はありませんでした。率直にいって、あの子がフットボールをやっている時でも神経質に心配したくらいですけれど。
それなのに、あの子の頭に何が浮かんだのでしょう? ちょうど、私たちみんなが、彼なら何かすばらしい仕事につくだろうって考えたころでした。あの子はこの航空会社に入ったのです。
すぐにあの子はヨーロッパの第8空軍のグループ司令官になり、除隊時には司令官キャッツでした。
空軍十字勲章を受けておりました。
それからというもの、飛行につぐ飛行の連続でした。
こんなあの子をパイオニアと呼べるかどうかわかりませんが、あの子は、ELALがまだ小さな航空会社にすぎなかった時期に入社したんです。
いまですか? 機長です。
ときには、あの子、細かなことに気を配りすぎるとおもうこともあります。
いままでにどれくらい飛んだとお思いになります? 200万マイルを越しているんです。
空の上でどれくらいの時間を過ごしたとお思いになります? 12,000時間ですよ。
この航空会社を立派にしたのは、あの子が毎日しているんですわ。って。
私にはわかってます、イスラエルには嫁と美しい2人の娘がいるんですからね。
ときどきは私に会いにやってきてくれますが、もっともっと甘やかしてやりたいと思います。でも、孫にはビルがパパでほんとうによかったっておもっています。息子は誰にでも彼にでも甘いんです、自分以外の人には…ね。
ELALにお乗りの節はあの子に会ってやってください、そして私がこう言っていたとお伝えてくださいな。「冷えないように」って。
そのほか、モービルに好きなのがあります。『死が2人を引きさくまで』です。
【訳文】
死が2人を引きさくまで
詩の中でなら、愛のために死ぬのは美しいことかも知れません。
しかし、車の中で、愛の行為のために死ぬのは、醜く愚かしいことです。
それなのに、車に乗ること自体にではなく、車の中での恋愛に夢中になっているカップルを、どんなに多く見てきたことか。あなたご自身も恋を楽しんできたでしょう?(略)
15歳から25歳までの若者の死因の筆頭は自動車事故だというのに。年に14,450人の若者が車の中で死んでいるのです。(略)
私たちモービルは、宣教師でも教師でもありません。私たちは生活に必要なガソリンとオイルを売っています。私たちはあなたに可能性のある顧客になっていただきたいのです。
きょうの顧客でなく、明日のお客さまに…。
シローイッツ氏の個室で、モービルのためのアート=コピー・セッション中のレブンソン氏
それからあとは、パッケージ商品の広告。これもなかなかおもしろいものです。『フェイス(Phase) III』という石けんですが、これはクローンと一緒にやりましたよ」
chuukyuu「その時のことを話してください」
レブンソン氏「これは、必ずしもベニスの映画祭で賞をもらおうということじゃないんですが…。非常におもしろかったのは、製品がまだぜんぜんできあがっていない、全然知られていない、という時から始めたんです。
その石けんがどんな形なのか、どんな匂いなのか、一般に知られていない、だれも知らない、そこから始めたわけなんです。名前さえまだ決まっていないものだったんです。
名前づけから、市場導入、マーケティング、そういうこと全部を私たちが手がけました。
非常に成功しましてね。いま私の家の近所くのスーパーマーケットへ行くと、棚にフェイスIIIという石けんが積んであって、実際にそのマーケットで石けんが売れていく様子を、まのあたりに見ることができるんです。
これは、ほかのテレビとか新聞の広告と非常に違う点です。その効果を、直接に自分の目で確かめられるというのは、とてもおもしろいものです。新聞やテレビの広告はそれ自体非常におもしろくても、そこで広告されているその製品が実際に売れている現場を、自分でじかに見ることはできません。
たとえばELALイスラエル航空の切符が、自分の目の前で次から次とどんどん売れて行く、なんてところを見ることはできませんものね。また、フォルクスワーゲンにしても、モービルのガソリンにしても同じことで、直接に自分が手がけた広告によって、みるみるそのものが売れていった、販売効果がみるみる上がった、ということを目で見るのは不可能です。
しかし、パッケージ商品の仕事の場合は非常におもしろい。直接私がその商品の身近にいるわけですから。
このことは、それが成功すればの話ですけれども…。失敗したら、まったくひどいことになります。
まあ、幸いにして、今まで私の扱ったパッケージ商品では失敗がないものですから、こういうことが言えるのですが…」
chuukyuu「フォルクスワーゲンの広告だけでも、量的にたいへんだと思うのですが、VW以外には、どんなアカウントを担当なさっていますか?」
レブンソン氏「フォルクスワーゲンは、もう書いていないんです。ここ2,3年ぐらい、フォルクスワーゲンの広告は、書くということではやっていません。
いまは、ブリストル・マイヤーズを書いています。あとは、ゼネラル・フーズ、FLALイスラエル航空などです」
コピー・チーフの役割
chuukyuu「あなたの肩書は、コピー・チーフと記憶していますが、いまでも?」
レブンソン氏「ええ、現在の私の正式の肩書は、コピー・チーフです」
chuukyuu「コピー・チーフというのは、どういうことをする職名なんですか?」
レブンソン氏「基本的には広告をつくる、ということなんですけれども、そのほかに監督的な役割が非常にあります。
私たちは、上のほうから見ていまして、クライアントとの意見の調整をしたり、実際の広告の内容に関して法律問題が起きたような時には、弁護士のところへ行って説明するとか、また媒体のいろいろな折衝とか。それからもちろん広告そのもののクリエイティブな面での指導とか、いろいろあります。」
chuukyuu「では、実際にコピー・スーパパイザーとどう違うのでしょう?」
レブンソン氏「DDBには、現在90人のコピーライターがいますから、非常に大きな数なんです。私たちは、才能がある若い人たちを入れて、なるべく会社の中で育てようとしています。ですから、非常に多くの指導力が必要になります。
その際、基本的に教えていかなければならない考え方というのは、私たちの広告は、私たちの楽しみのためではない、結局は、クライアントのために商品を売るのが、最終的な目的なんだ、ということをよくたたき込んでやらなければならないんです。
まあ、こういうようなガイダンスを、コピー・スーパバイザーが若い人たちに対して与えるわけなんです。さらにはロバート・ゲイジ、最終的にはバーンバック会長などの人たちが基本的な指導の線をつくっています。」
若いライターの教育法
chuukyuu「若いコピーライターに対するあなたの指導法を話してください」
レブンソン氏「昔、私は、プラット・インスティテュートという美術関係の大学で教えたことがあるんです。
しかし、教室でコピー・ライテイングを教えるということは、あまり効果的ではありませんでした。
やはり、コピー・ライティングというのは、こういう現場で教えるのがいちばんいいと思います。
それから、私は、ニューヨーク大学でも教えたのですが、やっぱり効果がなかったんです。私は、現場で実例を示すというのが、いちばんの教授法だと思っています。これには疑いをもっていませんね。
現在、私が管理職の仕事を100パーセントやらないで、少しずつでもクリエイティブのほうの仕事を残しているというのは、そういう考えからなんです。
完全に管理職になってしまいますと、タッチがわからなくなってしまう。ですから、常に新しい感覚を養っていくためには、現場から離れてはいけません。
そのほかには、若い人たちが一本立ちで歩いていけるように、正しい道の中にはめてやる。
そして、そこからはずれないように指導してやることです。
ある一定の枠がありますから、そこからはずれて、あまりにキュートすぎる、あまりにシリアスすぎる、あまりに軽薄すぎるというようなことがないように、また、できるだけ簡潔な形で、個々のライターの持っている才能が発揮できるように指導します。
そして、その際、なんのために書いているのか、また、いま広告している商品をお客さんに買ってもらうためにはどうするか、さらに、お客さんが現在買っているものをやめて、自分たちの広告している商品のほうに変えようという気持ちにさせるにはどうしたらいいか、それを上から指導するわけです。
まあ、それ以上の指導法というのはありませんね」
◆クリエイティブ・エイジェンシーの将来
chuukyuu 「米国におけるクリエイティブ・エイジェンシーと、その将来についてどうお考えですか?」
レブンソン氏「いわゆるクリエイティブ・エイジェンシーというのは、米国でますます伸びてきています。今後も伸び続けるだろうと思います。
というのは、私たちのところを辞めていった人たちが、いわゆるいままでクリエイティブ・エイジェンシーといわれていなかったような古いタイプのエイジェンシーに引き抜かれていっています。これがひとつの例証になります。
それからまた、私たちのところを辞めていった人たちが、自分たち自身でクリエイティブ・エイジェンシーをつくった子どものエイジェンシーが、さらに子どもを生んだ、というような形もかなりあります。いってみれば孫エイジェンシーというのが出てきているわけなんです。
これは何に原因するかといいますと結局、一般の産業界が、お互いの競争に勝つため、自分たちの製品を消費者に対してよりいっそうアピールさせるために変わった形、新しい形の広告を要求しているからなんです。
現在では、すべての製品は、大体似たり寄ったりになってしまって、あるものを使っていて、それを別の銘柄に変えたからってどうということはない、まったく同じようなものになってきている、似てきてしまっているといえます。
ある製品の製造プロセス、その成分、そういうものはみな同じです。製品のマーケティングに関するリサーチの方法も同じですし…。まあ、このように、すべての条件が同じになってきているんですね。
そうすると、いざ競争という段になった場合、あとは、その差をどこでどう出すかというと、広告の方法で差を出すよりほかに手がないことになってくるのです。
結局、すべての負担が、広告ということに、広告代理店に押し寄せてきます。競争相手のあの商品よりも、こっちのこの商品をお客さんによりよく記憶させる、よりよく目立たせるという仕事が全部、広告代理店の肩にのしかかってくるわけなんです。
従来のような方法、古い形の広告では、とてもそれはできない。そこで、どうしても、いわゆるクリエイティブという形の広告が必要になってきたのです。
ですから現在では、昔からある大きな代理店、トンプソンだとかマッキャンとかでも、従来と違った方法を取らなきゃならなくなってきていますね。
いろいろ、新しい人間を雇って、特別なディビジョンをつくって、クリエイティブの部門とか、下請けのようなものをつくったりして、新しい時代の要請にこたえようとしています。つまり、昔はとっていなかった方法、なんらかの新しい形で大衆に訴える、商品をアピールさせる、というような方法を大きな代理店でさえ、とるようになってきているのです。
それから、クリエイティブということの重要性のもうひとつの実例をあげますと、ごく最近になって、大きな代理店で、クリエイティブ出身の人間が社長になっている例が、だんだん現れてきいることなんです(ヤング&ルビカムのステファン・フランクフルト社長などのこと)。
こういうことは、5年前、いや1年前ですら、あまり例がなかったことです。しかし、これから2,3年後には、もっとその方向へゆくでしょう。その傾向が進んで、クリエイティブ出身の人間が、頭になるということになると思いますよ。
しかし、物事には振幅というものがありまして、クリエイティブ・エイジェンシー全盛時代が、やがていつか終わりにくるんじゃないか、そして振子が逆に動くんじゃないかと、私は、どうもそんな感じがするんですがね。
たとえば、あるエイジェンシーが、ある日突然、クリエイティブを主としたやり方はもういい、もうたくさんだよ、むしろこれからはリサーチ、それからマーケティングの方にウェイトをおいて進めるべき、と言い出すかもしれない。だから、私たちとしても、その方面に対しての関心を怠ってはならないと思います。
このマーケット・リサーチ、また新しい商品開発の方面のアプローチが、これからは非常に重要になるだろうと思いますけれども、だからといって、必ずしも、この振子がまったく反対側のほうへ進んでしまって、もはやクリエイティブの広告は必要ないだとか、そこまで振子が逆に進んでしまうとは思いません。
というのは、先ほどもいいましたように、現在では、いろんな種類の商品は、非常に似かよっています。値段も似ていますし、性能も似ていますし、製造工程、内容、形、色、みんな似ています。
そうなると、これに唯一の差をつける方法というのは、まさに広告、ということになりますから、その点では、クリエイティブの広告というものは、絶対なくなってしまうことはないと思います。
そんなわけで、いわゆる経済界の基本的な要請がある以上、クリエイティブな広告というものの存在が、まだこれからも長く続くと思います。
スーパーマーケットがどんどん大きくなって、いろんな似たような商品がはいってきますから、それらを売るためには、それぞれなんらかのユニークな売る方法を考えだしていかなきゃなりません。
結論的に言いますと、私たちの代理店は、このクリエイティブの分野では、やはり、ある種のリーダーといっていいんじゃないかと思います。この先しばらくは、この地位を保
ロバート・レブンソン氏とのインタヴュー追補
ボブ(ロバート)・レブンソン氏が「話しあいの時間が足りなくってごめんなさい。社内報『DDBニュース』(1968年6月)に載ったインタヴューの記録があるので参考にしてください」と渡してくれた、サンドラ・カール編集長との一問一答。『DDBドキュメント』(誠文堂新光社ブレーン・ブックス 1970.11.10)にも収録しているが、ここに再録。
問「はじめ、英語の教師になるおつもりだったそうですね」
ボブ「ええ。英語の教師になるつもりで、長い間学校に通っていたんですよ。ところが、学友を眺めまわしてみると、毎日々々同じ背広に同じ安っぽい靴をはいているのに気がついて、当時着ていた背広を着っぱなしでは、自分は、一生やっていけそうもないって、決断をくだしたんです」
問「で、広告界にお入りになった、その動機は?」
ボブ「ニューヨーク・タイムズ紙の求人広告欄をしらみつぶしに探しつづけて、やっと自分にできそうなのを見つけ、応募して、仕事にありつきました」
問「コピーライターとして?」
ボブ「いいえ。コピーライターとしてじゃありません。もっと幅広いものでした。コピーを書くとてうような仕事もありましたがね。
けれど、いまDDBでコピーを書いているような意味でのコピーライターではありませんでした。
ダイレクト・メール広告だったんですが、生活が一か八か、直接左右されるようなものでしたね。2〜3%の返信を受けるか…郵送でやったものとしてはこの数字は上々なんですが…さもなくばなんにもなしというわけです。
で、もし、返信がなにもなければ、自分自身でなぜそうなったかをよく反省しなければなりません。もちろん、ボスが、なぜそうなったかを、聞きいてくるようなことがない場合ですよ。ぼくに対する恩恵は、礼儀ぬきのクビでした。
その後は、DDBで働きたいがために、10カ月ほど失業保険で暮らしました。でも、DDBは雇ってくれない。
実のことをいいまますと、DDBで働きたいとおもったのは、クビになる前のことなんです。
それは、タイムズ紙を開いてELALイスラエル航空の『ひきさかれた大西洋』の広告を見た時です。
【訳文】
12月23日を期して、大西洋は20%小さくなります12月23日に就航するブリストル・ブリタイア号にご期待ください。
大西洋を横断する最初のジェット機です。ELALイスラエル航空
『これはとてつもなくスマートだ。この会社で、きっと仕事をして見せるぞ』っていいましたね。
それで応募したのです。でも、雇ってくれようとはしませんでした。何度も何度も応募して、最後には彼らを疲れ果てさせちゃって、1959年に雇ってもらうことになりました。
以来、ずっとここにいますから、実際には、ライターとして広告代理店で働いたのは、一度だけということになりますね」
問「どのくらいお書きになってますか?」
ボブ「ここでは、全然書いてません。前には書きましたが」
問「広告は書いてないんですか?」
ボブ「広告は書いてますよ。でも、この建物の中じゃ書かないというわけです」
問「いつ書くんですか?」
ボブ「夜だとか、週末だとか、通勤の列車の中でですね。列車にはたったの35分しか乗らないんですが、事故やら、うまい具合に20分遅れなんかを、頼みにするわけです」
問「コピーライターとアートディレクターによるチーム・セッションの神秘的な雰囲気をこわしてしまうようなことをおっしゃる…」
ボブ「どういたしまして。家や列車の中、いろんなところでコピーを書くのは、アートディレクターとコンセプトについてできるだけの時間を使おうという理由からなんです。
会社ではテレビ・コマーシャルのストーリーボードをつくります。そして磨きをかけたり、訂正したりする仕事がいっぱいあるんです。
封筒の裏にちょこちょこと書きとめておいて、オフィスに入るとタイプして、それでしあげるんです。
すべてがぴったり合うことは稀ですね。いつでもきつすぎたりゆるすぎたり…行や、未亡人(ウイドー)が出ちゃって…」
問「未亡人って?」
ボブ「行の途中終わる、余白のことです。この未亡人をうまく入れようと試みるわけです」
問「なぜ?」
ボブ「コピーをより読みやすくし、目をとらえやすくするためです」
問「そういう具合に、なかなかいかないってわけですか?」
ボブ「そうですとも。広告にあるすべてのもの、タイプされたすべての行、すべての言葉、すべての写真、その写真のアングル、ライトのあて方などが関連しあうはずだし、それらは誰かに何かをやらせようと試みるための方向つけをもっているわけですから。」
問「あなたのコピーは、報じるというより、語りかける感じですね。読んでいても、まるで耳で聞いているような感じにとらわれます」
ボブ「ありがとう。コピーライターが行き詰まったときなんか、こう助言するんです。『親愛なるフレッド』って調子で書き初めてごらんって。『親愛なるフレッド』で終わることだってOKを受ける見込み充分ですよ。
すこしばかり、回り道かもしれません。でも、多分、どんなミスでも消しゴムで直せちゃうでしょう? Mもし、フレッドが、たいていの人と同じように、聡明な人物でも、たまたまあなたが話しかけていることについては何も知らない人物と仮定してみれば、これはなかなかいい方法ですよ。
そうするには、その話題がなんであるか、彼に何をしてもらいたいと思っているか教えてやらなければならないし、私たちがふだんよくやっているように、礼儀正しくさようならも言わなくっちゃいけない、たとえそれでも問題は出てきますがね。