創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(428)ケイス・クローン社(1)


【用法】凡(およ)そ戦いは、正(せい)を以(も)って合い、奇(き)を以って勝つ。故(ゆえ)に善(よ)く奇を出(い)だす者は、窮(きわ)まりなきこと天地の如(ごと)く、つきるなきこと河海の如し。 孫子 勢篇』講談社学術文庫

(chuukyuu言い換え:およそ広告戦は、正法で競合相手と対し、奇抜なアイデアで勝利を得るのである。正法の精神でいてなお、奇抜な(クリエイティブな)アイデアを無尽蔵にくり出しつづけた側が勝利を手にするのである。)



           
【chuukyuuの蔭の声】クライヴ・チャリス Clive Challis 著『ヘルムート・クローン 広告のクリエイティブ革命』(ロンドン刊)を眺めていて、小さな、驚くよな事実を知った。


クローン氏がDDBに14年間いて、ポラロイド、VWビートル、エイビス・レンタカーのプレステイジ・クライアント(看板広告主)にのしあげ、自らの巨名を確立したことは周知の事実である。
氏は、1969年、コピーライターのジーン・ケイス氏、凄腕のアカウントマンのバット・マクラスとで、クリエイティブ・ブティックを創立した。
才能のあるクリエイターが、小さな清新なブティックをつくるのが流行の時期であったから、そのことには驚きはしない。


が、その年、全米---といってもほとんどニューヨークであろうが、100社近いクリエイティブ・ブティックが誕生していたとあった。まさに雨後の筍(たけのこ)の観。若筍のうちに食べられなければ青竹に育つが、100社近いブティックのうち、何社が5年後まで生き残れたか、ぼくは知らない。
100社のうち、何社が巨万の富を手にしたかも、知らない。


なぜ、こんな醒めたことをいうかというと、クローン氏がDDBを去った理由のひとつに、同社がその5年前に株式を公開したとき、各保有者がそれぞれ20%の株を市場へ売った。ところが、入社順位が遅かったクローン氏が手にできた金額が、社業への貢献の割りに少なすぎたことに不満がたまっていたという噂を耳にしたことがある。


1964年のDDBの株式公開時に、各保有者が売却によって手にした金額と残存保有株数は、2年前に当ブログのコメント欄に投稿しておいたが、再録してみよう。


DDBの株式公開で、手に入れた現金当時の円換算

   
バーンバック会長 2億4,538万円
バーンバック夫人 3億2,149万円
ドイル副社長 5億7,689万円
デーン副社長 3億7,654万円
デーン夫人 2,695万円
ボブ・ゲイジ 1億9,407万円
クローン 2,376万円
レブンソン 571万円
ロビンソン 2,841万円
トウビン 2,741万円


DDB株の公開後、幹部社員の持ち株数

   
バーンバック会長 79,800株
バーンバック夫人 108,800株
ドイル副社長 108,800株
デーン副社長 管理部門担当 108,100株
デーン夫人 300株
コーウィン先任副社長 6,800株
ダリー先任副社長 58,400株
ファクター先任副社長 34,600株
ボブ・ゲイジ クリエイティブ部門の長 63,700株
ラッセル アカウント部の長 28,200株
クローン アート部スーパバイザー 3,800株
レブンソン コピー部の長 1,800株
ロビンソン コピー部顧問 8,500株
トウビン アート部次長 3,400株


有名なクリエイターのブティック(1)
ケイス・クローン社


『マジソン街』誌1970年2月号の見開きページ
左から、ジーン・ケイス氏、バッド・マグラス社長、ヘルムート・クローン氏
(同誌からの翻訳抜粋許可については、2009.3.10掲示ずみ)

「ぼくがワグナーのために書いた選挙公約は、これまで読んだ政治的メッセージの中で最高のものですよ」
ジーン・ケース氏は、スコッチをちびりちびりとやりながら、ニュ-ヨーク市市長選立候補宣言用のボブ・ワグナーのスピーチについて語った。
1月のひどく寒い金曜の夜8時。ケース氏はへルムート・クローン氏、それに代理店社長のパット・マグラス氏とオフィスにすわっていた。
58丁目西4番地ビルの彼らの事務所は、この3人が最初にオフィスを構えたプラザ・ホテルの前に位置している。
外ではリムジンが、軽やかに舞う雪の中をゆっくりと進んで行く。
ホテルのフロントでは、ドアマンがミンクで着飾った女たちや黒のホンブルグ帽を身につけた男たちに傘をさしかけている。
アルカ・セルツァー、ジレット・テクマティック剃刃、大統領候補ロックフェラー・キャンペーンに関係したケイスのことは、紹介する必要もないだろう。


>>ユージン・ケイス氏との隔靴掻痒のインタビュークリック

問題解決

ジレットは、いままですべてのステンレス・ブレード・メーカーを悩ませていたさまざまな問題点を解決しました.
この新しい、欠点のないブレードは、スーパー ・ステンレス・ブレードと呼ばれています。


   
  さび止めの際にできる顕微鏡でしか発見できない小さな堅いクロームのかたまりは普通のステンレスのどれにもみられます。 このかたまりがとれたとき、そのブレードは使えなくなるのです。スーパー・ステンレス・ブレードには、これが全くありません。ですから、刃が使えるかぎり、そり心地はスムーズ。
さびはつきやすいもの。どんなステンレスだっていつかはさびにとりつかれます。さびは日ごとに大きく醜く広がっていきます。炭素とクロームの最もよい割合を発見したジレットが、このステンレスを生み出しました。このスーパー・ステンレスは、普通のステンレス・ブレードがさびて使えなくなったあとも、ずっと使用に耐えるのです。  
  薄くあるべきプレイド・エッジを厚くする仕上げ塗り。そるたびにこの仕上げ塗りは、はがれていきます。まるで、あなたたの顔がとぎ石であるかのように。スーパー・ステンレス・ブレードは、そんなことがありません。薄く仕上がっているということは、よくそれるということです。ジレットのブレードは普通のものの3分の1という薄さです。




The bugs are out.


Gillette has eliminated the flaws that, until now, plagued all makers ofstainless blades.
This new bug-less blade goes under the name, Super Stainless Steel Blade.


   
  The Stain Bug is easy to spot. For in spite of their name, stainless blades are always getling stains on them. Ugly, brown stains that get browner and uglier every day. By cutting down something called the carbon-chrome ratio. Gillette reduced this staining. The Super Stainless stay sstain-free long after the others have turned into stained steel blades.
Only microscopes know about the Chunk Bug-tiny, hard chunks in ordinary stainless steels. When these chunks fall at the blade edge, that edge is bound to be ragged. The Chunk Bug is nowhere to be found in the Super Stainless Steel Blade. The edge (and the shave) is smoother, throughout the life of the blade.  
  The Gloh Rug (also invisible) thrives in the thin coating along the blade edge. Any globs in this coating have to be scraped off, as you shave. You might say you strop the blade on your face. The coat on the Super Stainless Steel Blade is glob-proof. And because a thinner coating means a closer shave, Gillette madeit 3 time thinner than old coatings.


35歳にしてペントン&ボウルズ(B&B)の役員会の最年少のメンバーに選ばれ、扱い高3,500万ドルのプロクター&ギャンブル(P&G)のアカウントをスーパパイズしていたマグラス氏も十分な資格を持っている。
申し分なく訓練され、入念に磨き上げられ、それでもまだやっと44歳というクローン氏にいたっては、 この広告業界の重要人物以上の存在である---- 多くのアートディレクターにとって、彼は現代の広告の創始者の一人なのだ。
たとえば、クローン氏とバーンバックさんがポラロイドの仕事を始めた時は、このカメラはおもちゃでしかなかった---ドイル・デーン・バーンバック(DDB)以前の代理店が、クローン氏のいう「妙案」として扱った変わった機器であった。
今ではそれ以上のものになっている。
クローン氏とバーンバックさんが、1950年にフォルクスワーゲン(VW)の広告のために机を囲んだ10年前は、VWはおかしな形の小型外車でしかなかった。
それが、1969年には50万人以上の米国人がこのおかしな小型車に非常に興味を示して買っていた。



5,000,000台目のフォルクスワーゲンをご覧に入れようと思ったのですが---売れてしまったのです。


申しわけありません。
ある方が、まんまとその車をさらってしまわれたのです。
(でも、それが何に似ていたか、あなたならご存じでしょう、そう、かぶと虫に似ていました。)
5,000,000という数字は、私たちの地味な車にしてはたいへんなものだとお思いになるかも知れません。
しかし、VWの理想とするところはすべて、地味さの中で完ぺきにするところにあるのです。
私たちは、車から除けるものはとり除き、その代わりさらに良質のものを加えるようにしてきました。この数年のうち、私たちはフェル・ゲージまでとり除きました。
一方では、最高のサスペンションとトランスミッションをつけました。
またあなたは、VWエンジンについてご存じでしたね、グラン・プリ・レースでは、あなたは1日中いちばんビリで走ることになるかも知れません。その代わり、修理店に入るのも、いちばんあとでしょう。
このおかしな格好の車が、すっかり姿を消してしまったら、そのときこそ、VW1500が登場するんだね、と質問なさる方が、まだいらっしゃいます。
ノーです。
これは、世界で3番めによく売れている車なのです。




We'd like to show you the 5,000,000th Volkswagen. But it's been sold.


Sorry.
A man picked it up in December.
(But you know what it looked like. It looked like a beetle.)
You might think 5,000,000 is a grand number for our modest car.
But then, the whole VW idea is to take the modest and perfect it.
We've preferred to leave a few things out of our car and put more quality into the parts that count. For years we even left out the fuel gauge.
But you got the best suspension and transmission in the business.
And you know the VW engine. In the Grand Prix, you might come in a day after everybody else. But you'll be the last one into a repair shop.
And yet some people have asked if our funnv-Iooking car was through, now that the VW 1500 has appeared.
No.(We'd be crazy.)
It's the third best-selling car in the world.


エイビスがレンタカー業界でナンバー2だということを自慢するように決めた----当時としては、聞きいたこともないストラテジーである---- のもクローンであった。
ほかのアートディレクターたちがコピーからウイドー(文節の半端な余白)を締め出している時、クローン氏はそれを入れていた。
コピーが読みやすくなると考えてのことである。
各コピー・ブロックを7行以下にとどめるように短く、簡潔なコピーを最初に主張したのも彼であった。
じじつ、有名な「DDBルック」は、おもに彼の創造によるものである。


>>(2)に続く