創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(654)バーンバックさんとDDB(5)

"Communication Arts" 1971年 新年号より


(承前)


バーンバック------「さあ大変だ。景気が悪くなったから、クライ
アントに会ったらわれわれは[ハード・セル派]ですといおう」
この種のプレゼンテーションは、ごまかしというほかないですな。
 


■DDB創立の秘話


:ところで、このインタビューの準備のために下調べをしてわか
ったのですが、あなたがDDBを設立した時に、デーン氏はすでに、
広告代理店を持っていらしたのですね?


バーンバック ええ、彼は小さな代理店を持っていました。私たちは
ある理由で彼と一緒になったのですが、その他の理由から見ると、き
わめて偶然にこうなったのですね。
ある理由とは、会社創立のもろもろの手続きをするよりも、彼が代理
店を持っているのだからこれで行こうということだったのです。
ドイル(Ned Doyle)は、デーン(Maxwell Dane)を知っていました。
2人は、前々に一緒に仕事をしたことがあったのですが、ドイルは私に、
「彼はいいやつだよ」といいました。
たしかにデーンはいいやつでした。
私たちは、いつも歩調を合わせてきました。
私たちの会社は、派閥らしきものが全くない、ごく少数の会社の一つ
だと思います。
愉快な会社です。
おかしな会社でもありますが、全体的に見れば愉快な、よく働く会社
です。


DDBの設立を伝えたニューヨーク・タイムスのコラム


新代理店の幹部


1949年6月1日、マジソン街350に新代理店、ドイル・デーン・
バーンバック社が設立された。
新代理店の役員は、社長がウィリアム・バーンバック(左)、
エグゼクティブ副社長がネッド・ドイル(中央)、副社長兼
ゼネラル・マネジャーがマックスウェル・デーン(右)である。
バーンバックとドイルはグレイ広告代理店の副社長、デーンは
過去5年間自分の代理店の社長であった。


創立して初めてのクリスマス・パーティーで、私はこう演説しました。
「DDBで働く者には2つの必要条件がある。
1つは人柄がよいこと。
もう1つは才能が豊かであること。
人柄はよいが才能のない人には、かわいそうだが、この世界ではその
ような人はだめだ。
また、いくら才能があっても、人品のいやしい人間は、当社は必要と
しない。
人生は短い。
わが社は以上のことをわきまえている人を採用しようと努めてきたが、
その結果はきわめて良好であった」


以下、明日
このコンテンツ構成には若手コピーライターの安田慎一さんと菊池小百合さん
プロデューサのatsushi さんのご助力をいただいています。


ネッド・ドイル氏とのインタビュー
DDBのやり方を語る


マックスウェル・デーンとのインタビュー
DDBの歴史を語る




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