創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(61)『かぶと虫の図版100選』テキスト(6)


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人間がどれぐらい誤りを冒すか--−を示すためにVWキャンペーンに立ち向かった


VWチームのアートディレクターとなったヘルムート・クローン氏は、DDBの創業後間もなく入社したご仁たが、VWの広告によって一躍有名になった。入社後7年目である。
そのクローン氏が1968年発行の社内報のインタビューで明らかにしたところによると、

「DDBが最初にフォルクスワーゲンのアカウントを獲得した時、あなたはどういうわけでその仕事をすることになったのですか?」

クローン「社内で、あの車について何か聞いたことのある、ただ一人の人間だったからです。ぼくは、初めて米国へ入ってきたVWビートルに乗っていたことがあるんです。たぶん、当初の100台の中の1台ですよ。DDBで働くようになるずっと前のことですが---」
ということで、DDB創業から10年後の1959年当時、クローン氏をのぞいては、数百人いた従業員のだれ一人としてVWを所有していなかったことを公開する。

注:『ヘルムート・クローンの本 クリエイティブの革命』の年表によると、クローン氏がVWを手に入れたのは1950年、34歳の時である。人間に訪れる最大の幸運が偶然によることもあるという好例といえようか)。

このあと、氏は恐るべき事実を打ち明ける。

クローン「---で、人間というものがどのくらい誤りを犯せるものかを、また、ぼくがどれほど誤りに陥りやすい人間であるかを明らかにするために、VWビートルのキャンペーンに、あのように立ち向かったのです。

あの醜く小さな車のためになすべきことは、車をできるかぎり米国風にもそれもできるだけ早くそうすることだと思いました。ダイナ・ショアで行こう、って具合に。
彼女がよく唄っていたのしどんな歌でしっけ? 『シボレーに乗ってアメリカを見よう』---ぼくは『VWに乗ってアメリカを見よう』とやりたかったのです。
車のまわりにモデルたちをめぐらせて、テレビで派手に、ね」

実際には『VWに乗ってアメリカを見よう』式の広告はつくられなかったとしても、ウルフスブルクのVW工場をで「溶けた金属が固まってエンジンになるのと一緒に歩いている間」クローン氏は心の中でダイナ・ショアを歌っていたともいえる。

一方、コピーライターのジュリアン・ケーニグ氏は、というと、学生時代は専攻の法律学よりも野球に凝ってしまい、卒業後はセミ・プロのチームまで編成したこともある人で、VW工場での取材が終わってもVW社側がドイツ風のレストランで夕食会を催してくれた夜、ドイツ人たちに野球のスライディングのやり方を教えるのだといって、テーブルを片寄せさせて、猛烈なフット・スライディングを実演してみせるほど、のんびりしていた。その夜、だれも酔ってはいなかった。ケーニグ氏は38歳だった。

つまり、VW工場に滞在していた数日間、彼らはVWの広告のあるべき姿については、何も得てはいなかったのである。
では、いつ、どのようにして有名なVWのキャンペーンは出来上ったのであろうか? 
再び、クローン氏の言葉を引用しよう。

クローンVWビートルの広告について、ぼくたちは間違ったことをしている、と強く感じていました。もちろん、ぼくもあの広告に1/3の貢献はしていたのですが---。

それで、3本の広告をつくりあげると、意気消沈してセント・トーマス島へ出かけて休暇を過ごし、2週間して戻ってきました。
すると、ぼくはスターになっていたのです」
問い「1/3の貢献とおっしゃいましたが、半分じゃないんですか?」

クローン「ぼくが1/3、ビル・バーンバックさんが1/3、コピーライターのジュリアン・ケーニグ氏が1/3ということです。
注:ケーニグ氏は、VWのキャンペーンのスタート後、早ばやとジョージ・ロイス氏とともにDDBを退社して、パパート・ケーニグ・ロイス代理店を創設した)。

バーンバックさんが1/3貢献したということは、どういう意味で?」

クローン「主として、ぼくをほかの仕事から解放してくれたということです。また、簡潔に、明確に、バーンバックさん独特の魅力を加えて、語るという全体のコンセプトですね。フォルクスワーゲんのアイデアは、それを車に適応したということ以外には、とくに新しいということは何もありません。

確か8年前だったと思いますが、バーンバックさんはフェアモント苺(いちご)の広告をつくったことがあります。
その広告で、あの人は、大きな紙面の真ん中に苺を、それも実物大の苺を一つだけぽつんと置いてみせました。ヘッドラインはこうでした。

『これを切り刻むなんて、可愛そうなことに思えました』

これはただ、マーケットで苺を売るだけが目的の広告でした。そしてこのポイントは、苺をそのままの形で保存するには、苺は完全なものでなくてはならないということだったんです。

フォルクスワーゲンの広告も、彼がずっと前にやったその広告と少しも異なりません。
違うのはただ一つ、それが車に応用されたということで、これはこれだけで十分に大きな違いです」

クローン氏が試作して休暇に出かけた、キャンペーン第1号の広告>>


 
フォルクスワーゲンは変わるでしょうか?

答えは、イエスです。
フォルクスワーゲンは、1年を通じて間断なく変化しています。1959年1年間だけでも80ヶ所も変わりました。
しかし、どれも目には見える変化ではありません。私たちは、はやりすたりをよいことだとは思っていません。私たちは変更のための変更などはいたしません。ですから、この勇ましくて小さなフォルクスワーゲンの外形は今後もずっとこのままでしょう。不恰好なししっ鼻も、ずっとこのままでしょう。
この車は優秀ですが、さらによいものにするような方法を、私たちはいつも探しています。たとえば、ドレイン・プラグに永久磁石を取り付けました。金属粉はこの磁石にくっついてしまうので、オイルの汚れが防げます。
シフトは、いうまでもなく世界中でいちばん優秀です。しかし私たちは、これをもっと滑らかにする方法を発見しました。クラッチ・プレート・ライニングに特殊鋼のバネをつけたのです。
フォルクスワーゲンは過去11年間という歳月以上に変化しています。しかし、その心臓や外形は変わっていません。
VWのオーナーは、その車に何年も乗っています。自分のVWが新車とほとんど同じ価値があることを存じなので、安心していられるのです。




【原文】

Is Volkswagen contemplating a change?

The answer is yes.
Volkswagen changes continually through-out each year. There have been 80 changes in 1959 alone.
But none of these are changes you, merely see. We do not believe in planned obsolescence . We don't change a car for the sake of change. herefor the doughty little Volkswagen shape will still be the same.
The familiar snub nose will still be intact.
Yes, good as our car is, we are constantly finding ways to make it better.
For instsnce, we have put permanent magnets in the drain plug. This will keep the oil free of tiny metal particles, since the metal adheres to the magnets.
Our shift, we are told, is is the best in the word. But we found a way to make it even smoother.
We riveted special steel springs into our clutch plate lining.
The Volkswagen had changed completely over the post eleven years, but not its heart or gface.
VW ownerskeep their cars year after year, securein the knowladge that their used VW is worth almost as much as a new one.


>>(7)に続く。