創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

[効果的なコピー作法](番外)

もう、半世紀近くも前になるかなあ、昭和37年(1962)のある日、誠文堂新光社が刊行をはじめたばかりの月刊誌『ブレーン』編集部の東谷(あずまや)昇氏がたまたま日本デザインセンターの山城ルームにふらりとやってきたのです。山城隆一さんに依頼ごとがあったのでしょう。山城さんがぼくを紹介してくださって、生意気ざかりだったぼくは、同誌にコピー論がどうとか言ったんでしょうね、東谷氏が憤然として「じゃあ、あなた、書いてごらんよ」「書くとも」---こうしたやりとりで、1年間の連載がはじまったのです。1冊にまとまったのは翌38年(1963)12月15日。幾度かの増刷があと眠りこけ、20年後に1字1句も訂正・書き足しなしで復刊。そうそう、畏友・向井敏くんがあとがき推薦のまれにみる名文を書いてくれました。(当ブログ2008.02.25に再録。ほんとうに名文です。ぜひ、読んでください。勇気がでてきます)。復刻と同時に『電通報』(1983.06.09号)が終面の[広告文化欄]に河田卓さんの紹介文を掲載しました。河田夫人の許可をいただけたので再録します(卓さんはその深く暖かい才能を惜しまれながらこれの執筆2年後に急逝)。


新しいコピーの誕生へ

『効果的なコピー作法』の読まれ方  河田 卓

20年前の本が読まれている

「chuukyuuという人の『効果的にコピー作法』という本、面白いですわ」 若いコピーライターからそんな話を聞いた。
chuukyuuさんはぼくのかつての上司である。
広告に対する貢献の大きさを知っているつもりの立場からいえば、「---という人の」のひとことにいかにも時代の流れを感じるのだが、それだけに、20年も前に刊行され、いまそのままの内容で復刊され、若い人に興味深く読まれていることに驚くのである。
ひとつだけの例ではない。新しい読者は身のまわりにふえつつあるし、ある大手の広告会社では、若いクリエイターのテキストとして使われはじめたという。そのひろがりと読まれ方は、たぶん、この本が刊行された昭和38年(1963)当時を上まわるものだろう。
広告にかかわる著作にも、版を重ねて読まれるものがないわけでもない。だが、表現のあり方が大きくかわったといわれるコピーの領域で、かつての実務書が長い空白をおいて、ふたたび読まれはじめたということは、いままでになかったことだろう。
当然そこには、なにほどかの今日的事情がなければならぬことになる。

進んできた新旧世代の交代

昭和38年と58年をつなぐことは、昔話のような話である。20年という時をぼくが遠く感じるのは、ふたつのコピーの時代とその交代があったからである。
いうまでもなく、ひとつは高度成長時代によって支えられたコピーの構造であり、いまひとつは流通広告の台頭とファッション化の波にのったコピーの様式だ。
総体としていえば、20年間のどまんなかともいうべき48年を境にして、広告は狭告化し、力点は公から私に移り、表現の構造や様式がかわるのは当たり前の話である。
けれども、いまの時点から見れば、この変化はむしろ遅すぎたようにぼくには思えるのだ。
もっとはやい時期から、もっとゆっくりと着実にかわってゆくべきではなかったか、という意味である。
高度成長の時代があまりにもながくるざましかったために、当時のコピーは硬直化し、成長の個性に甘えて、状況へのしなやかな対応に欠けていたように思うのだ。
こうしたあり方が質的な変化を遅らせ、石油ショック以後の流通広告の台頭や表現のファッション化に対して、ことばを失っていったというのが本当だろう。

新しさを計る指標を見失う

ニューウェーブと呼ばれるコピーの変化がここから始まってくる。
その新しさをひと口でいえば、それまでのコピーに対する対抗文化としての新しさだったといえるだろう。
たしかに、従来の枠を破ったあり方は、いくつもの新しい表現を生みだしている。しかし対抗文化として動きだし、その変化があまり急であり、遅すぎたために、過去のコピーがもつすぐれた秩序と構造をそしゃくすることを忘れて走りはじめたように思えるのだ。
はたして、対抗すべき過去のものがあっさりと後退してゆくながで、自らの新しさを計る指標を見失い、無秩序な拡大をつづけているのが現状だろう。
ファッションを標榜する今日のコピーの多くは、ファッションそれ自体から後れをとりはじめている。表現が私的になり、広告が狭告化し、かるみを増すということは、アイデンティティを鮮明にすることによって、はじめて成立する。
いいかえれば、それこそが今日の広告が持つべき具体的なのだが、多くのコピーが製品に比べて存在証明が不足していることを見れば、後れをとっていることの証明は十分だろう。
新しいコピーの時代がきたといわれて10年たったいま、外見的な繁栄とは逆に、コピーは昏迷のなかを進みつつあるように思えるのだ。

20年前といまをどう結ぶか

前に進むべき力を見出し難い。
今日のコピーをそう読む人は、『効果的なコピー作法』(誠文堂新光社刊)に引用された「広告表現のあらゆる型が出そろい、しかも完成度においてその頂上をきわめられた」といわれる60年代のアメリカの広告に、はるかに鮮明なアイデンティティを見るにちがいない。デポー、ロイス、オグルビー、バーンバック
脂ののり切った彼らの発言を吟味し、独自の見解を加えて重層化されたコピー作法は、「上等のサーロイン」といっていいすぎでない。
広告とはこれほどに明快で楽しいものかという発見をして、不思議ではないからだ。
ここには、ぼくたちが久しく忘れかけていた広告の、コピーの実体がある。
この本が持つ新しさとはそういうものであり、若い人びとが面白いと感じるのも、まさにさその部分だろう。
むろん、これからの広告がここにあるわけではない。
今日の広告とここに示された実体が結びついたとき、新しいコピーが生まれることを、若い人びとは知っているにちがいない。


明日からは『効果的なコピー作法』第3章[コピーのテーマ]を4〜5回連載します。


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