創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(385)キャロル・アン・ファインさんとの和気藹藹インタビュー(7)

キャロル・アン・ファイン夫人
    ウェルズ・リッチ・グリーン社 取締役副社長・コピースーパバイザー(当時)


多摩美術大学で、「クラスを持たないか」と言われたの44年ほど前(34歳)でした。ぼく自身、広告について実地で覚えていたにすぎなかったので、「米国のデザイン学校でのカリキュラムを調べてきてからお返事させてください」と、ロスのアート・センター・スクールとニューヨークのプラット・インスティチュートを訪問、授業ぶりを参観し、カリキュラムをいただき、米国の美大にあって、多摩美大のグラフィック・コースにないもの---「[広告コンセプト]なら、受け持っていい」と返事しました。それが容認されて、以後38年間、このブログにあげているようなことを伝えてきました。その間、日本中の美大で[広告コンセプト]なんてのは、ぼくのクラスだけでした。


コピーの教育は、シェイクスピアの講義とは違う


chuukyuu 「あなたの教育哲学は?」
ファイン夫人 「私のグループにいる誰かに教える場合ですか。それともどこかの教室で教える場合ですか?」
chuukyuu「どちらの場合でも結構です」
ファイン夫人 「去年私は、スクール・オブ・ビジュアル・アーツで、あるアートディレクターといっしょに、広告について教えていました。来年も教えることになっています。私の教え方は、ここの代理店でやるのとまったく同じです。私たちは生徒に課題を与え、それに必要なものを説明します。例えばそれがTWA航空だとしますと300秒のテレビ・コマーシャルで制作費はこれこれで、『東京までノン・ストップで行かれる』を人びとに伝えたいといったことを予め説明しておくのです。
コマーシャルができ上がると、私たちは黒板にそれぞれ貼り出して、その一つ一つについて生徒と話しあいます。そして、どうして私たちはそれを良いとか、あるいは悪いとか考えるか、どうすればもっと良くなるか、どうしてそうやったのかといった点を指摘するよう努めます。そして私は、彼がどんな考え方をしているのかを知るように努めます。こうした過程を追っていくにつれて、彼らあるいは彼女たちはより正確に、より注意深く考えるようになるのです」
chuukyuu 「1対多数という関係よりもむしろ1対1の関係でなさるということはないのですか?」
ファイン夫人 「どういう意味かよくわかりませんが」
chuukyuu 「あなたが教えられる時、一度にたくさんの生徒を相手にするとおっしゃったように思うのでこういう質問をするのですが、コピーを書かせたり広告をつくらせたりする場合は、いわゆるディスカッション形式をとるよりも、むしろ1対1で個人的に指導したほうがいいのではないでしょうか?」
ファイン夫人 「ああ、教室でのことをおっしゃっているのですね。そのとおりです。私は生徒一人一人と密接ですし、いつもたくさんの人を相手に広告についての講義をしているわけではありませんから、シェークスピアの作品について講義するのとはわけが違います。時には生徒一人ずつ呼びだして、私がいっしょに教えているアートディレクターか私のどちらかが、あれこれと注意を与ています。
例えばこんな例があります。画面と音声がどうもちぐはぐで見る人をまごっかせるようなコマーシャルがあるとします。この2つをどう結びっけていいのか人にはわかりません。こんなコマーシャルをつくる生徒が時どきいるのですが、その場合、私は、まず、つくった本人に会っていろいろと話してみます。それからこんどは同じことを教室でくり返します。 『人は2つのことを同時にできないのだから、ねらいは一つに絞らなくてはならない』といった具合に。
以上が私の教育方法です。彼らは議論屋ですが、私も負けないくらい議論好きです」


>>「広告の将来---やりたいことをやる傾向が強まるだろう」