創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(154)『コピーライターの歴史』(番外−5-3)


誤解されやすい発言なのですが、再録している『効果的なコピー作法』(誠文堂新光社 1963 復刻=1983 どちらも絶版)に、10数年のあいだに『ニューヨーカー』誌から切り抜いた44点のハサウェイ・シャツのアイ・パッチ(黒眼帯)の広告に、最初ほどドキドキしなくなった---といったようなことを書きました。この文章は若気の過ち---45年後のいま、訂正します。ぼくが、ハサウェイの見込み客階層ではなかっただけのことです。
このこととは別に、きょう引用した広告のモデルは、ランゲル男爵ではありません。生身のモデルは長年は保(も)たないのです。長い目でブランドのことを考えると、その役目を生身の人間にふってはいつか困るということです。10年、20年なら大丈夫でしょうが---。そこまで考えたのが、ゼネラル・フーズ社のベティ・クロッカー夫人---イラストでした。この歴史的物語は別の日に。きょうのハサウェイ・シャツの教訓は、広告が成功して企業が大きくなり生産品目が増えてくると、そのモデルでは無理がでることもあるが、小道具の連続使用で、印象が保たれる---ってところ。  (上の写真は20年後に復刻された拙著)


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ロック・クライマー用の新しいシャツ。


『効果的なコピー作法』より(第2回)

調査の陥穽

一方、何回もご紹介しているパパート・ケーニグ・ロイス代理店の社長であり、コピーライターであるケ一二グ氏は、ニューヨークのアドバタイジング・ライターズ・クラブでのスピーチで、

スターチ杜の数字。私たちの原稿に対してよい結果がでているスターチの数字には好意をもつが、悪く出ているときは無現する。あなたの広告がいいか、悪いかを、どうやって知るか? プリテストは無力だ。もしだれかが、広告の成功を事前に決定できるなら、さっそく彼のところへ行くがよい。そういう人なら、1日に100万ドルもうけることができよう、調査マンは無力だ。ただ一つしかない方法をお教えしよう。あなたは、あなたのつくった広告を眺めてごらんになるがよい。そして:吐き気がしたら、それは悪い広告だ。しかし、あなたが眺めてみて、嬉しくなったら、そして、読みたくたったら、そして、心を動かされたら、たぶん、それはよい広告だ。あなた自身が、自分の仕事事の最良の計測者なのだ。
と話しています。

コピーライターとして、あなたがどちらの哲学をとろうと自由ですが、調査を利用する場合にはよい調査データを手に入れること、そしてそれを正しく解読することが必要です。広告主の中にもAEの中にも、広告制作上は、とるに足りない調査結果を、さも重要な資料であるかのごとく思いこんでいる人たちもいるものです。
またOB&M杜のマコール・副社長のごとく、「12語以上のセンテンスは読みにくい」とか、「90%の読者は全然コピーを読まない」とか、とまるでそれ以外には考える余地がないようにも見える狂信者もいるのです。読まれないボディ・コピーなら---というので、最初のページに引用したall art, no copy の広告が生まれたわけでもないでしょうが、じつをいうと、ぼくは最近、ハサウェイの広告には少々ウンザリしています。背景のみを変えて登場するアイ・パッチ紳士の広告をすでに44点集めていますが、今では、この紳士の表情のなさ、ひらめきのなさに、食傷しているのです。ボディ・コピーを読んでみようという興味がまったく起きてこないのです。
これこそ、一般的調査のみを固守している欠陥ではないでしょうか。
どんなつまらない調査資料だって、使い方ひとつで役立つかもしれないのです。が、調査を重視すあまりに、ありきたりの、魅力のない広告をつくってしまう例は、とても多いのです。
いったい、コピーライターたちは、調査をどう考えているでしようか? W ・ダンの調べでは、代理店のコピーライターはこう答えています。

ほとんど価値がない    11.9%
広告主を説得するのが主たる価値    13.4%
たまにはコピーを書く助けになる    46.3%
しばしばコピーを書く助けになる    24.6%
貴重だと思う    23.9%


これを見てもわかるように、半数以上のコピーライターは、調査に対してさほど熱心ではありません。つづいてダンは、どんな調査が役に立つかと質問し、集計はこうです。

消費者調査(好み、購買動機など)    29.9%
市場調査(流通、販売状況など)    12.7%
コピー・テスティング    25.4%
製品調査(セリング・ポインツ、用途)    14.9%
心理的調査    10.4%


わかりきった話ですが、広告というものはコピーライターひとりがつくるものではありません。広告主は、その商品をつくるために、何千万、何億円という投資をし、何千人という人を動員しています。また、その商品をつくるために、何千万、何億円という販売費をかけ、何千人もの人を動員します。コピーライターも、動員される人のなかの1人です。調査員も動員される人の中のグループです。ですから、この両者が助け合わなければならないことは、明らかです。
が、両者の作業は、明らかに違うのです。コピーライターは、創造という、一見つかみどころのない、個人的な経験と才能の結果から生み出されてくるものを待つ、という仕事をしています。経験と才能の豊かなコピーライターが、すばらしい仕事をした例は、広告史のなかには限りなくあります。
個人的な経験と才能---と書きましたが、じつは「経験」ということだけでも、ゆうに1章分を越える解説が必要です。しかし、今は、コピーライターが見聞したことのなかで、彼がそれに意味を与えて記憶の底に沈めたものとだけいっておきましょう。
ですから、ライターは、 (意味づけされた) 「経験」をより深め、ひろげる必要があるわけですが、及ばぬところを、調査という、柴集団的、累積的知識を借りることもあっていいわけです。
が、そうした個人的、集団的経験のなかから、何を、どう引き出し、才能によって、どう創造するかというのが、じつは、コピーライターの仕事なのです。つまり、調査データそのものは、経験を深め、ひろげるための一つの助けにすぎません。
そう考えないと、ハサウェイの広告のような、見つづけていると、ドキドキさのないものになってしまいかねません(いや、ぼくが階層的にいって、中クラスの上に属していないために、あの広告の対象外だからなのかもしれません)。
つづく

【chuukyuuの一言】決して、調査の不要を言っているのではありません。文意の足りないところは、[若書き]のせいということでご寛恕ください。なにしろ、30歳代前半---初めての公表文章だったのです。


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>>ダヴィッド・オグルビー氏のインタヴュー 目次