(123)『コピーライターの歴史』(1)
東京コピーライターズ・クラブの中堅のメンバーたちが『5人の広告作家』(誠文堂新光社 1966.3.25)を訳出した時、付録のような形で「コピーライターの歴史」をまとめてみた。デザイナーは、デザイン学校のカリキュラムに「デザインの歴史」が組み込まれているが、コピーライターには専門的カリキュラムがない。プロフェッショナルとして当然知っていなければならない歴史である。いまの仕事は、その延長線上に、各人が新工夫を凝らしているのだ。
『コピーライターの歴史』
米国におけるコピーライターとコピー原則の歴史を記述するにあたり、誰から書き始めるかは、興味のある点でしょう。
まさか、1880年代に「文子 literary man」と呼ばれて、食うや食わずの生活のために広告コピーを書いていた人たちにまで光りをあてる必要はないでしょうが、「パワリズム」という簡潔で澄んだ文体を、フィラデルフィアのワナメーカー百貨店のためにものしたジョン・E・パワーズを最初にすえるか---。
あるいはまた、1900年に広告代理店としては最初に正規のコピー部を創設したN・W・エイヤーズー&サンの事情、そして初代の部長になったジャビーズ・ウッドからかきはじめるか---。
この2人のほかに、「近代広告」の歴史を拓いたといわれているナサニエル・C・ファウル、チャールズ・オースチン・ベイツ、ジョン・E・ケネディ、クロード・C・ホプキンスなどの中から選ぶか---。
それは、広告コピーをどう認識しているかによって決まるとおもいます。
私は、ジョン・E・ケネディ(John E. Kennedy)からはじめたいとおもいます。
なぜなら、たんに広告コピーを書いたというだけではなくて、広告による大衆の説得という点を考察し、その結果を創造的な原則として提示してきた人でなければ意味がないと考えているからです。
ケネディの「販売」コピー哲学
1904年の春、シカゴの広告代理店ロード&トーマス社の共同経営者になったばかりのアルバード・ラスカー(Albert Lasker)がA・L・トーマスと世間話をしていると、階下のバーから1枚のカードが届きました。
こう書いてありました。
「私はあなたに、広告とは何かをお教えすることができる。あなたは知らないはずだ」
トーマスはこのカードを無視しました。
しかし、ラスカーは、ちょっと心にひっかかる何かを感じました。そして署名を見ました。
「ジョン・E・ケネディ」
ラスカーは、
「会ってみよう。別に損することはなかろう」
といいました。
2人は、真夜中まで話し合うことになってしまったのです。
ラスカーは「広告はニュースだ」という考えを抱いていました。
それは、チャールズ・オースチン・ベイツが「良い広告」に書いている考え方にしたがったものです。
ケネディはいいました。
「いや、ニュースは演出技術の一つではあるが、広告の本質的意味はそうではない。私はそれを3語でいうことができるる」
ケネディは言葉をつづけました。
「広告は、印刷された販売技術である。 Salesmanship in print」
このケネディのことばを聴いた瞬間、ラスカーはすべてを了解したと伝えられています。これは、広告界の神話となっている話です。
当時のケネディは「ドクター・シューブ」という強壮剤(サプリメント)のコピーを書いており、年間2万8000ドルの給料をとっていました。これは同時代の広告人、とくにコピーライターとしては破格の高給でした。
ラスカーはケネディを引き抜いたのです。
ところで、広告に関する定義は3語で片づきました。
が、印刷された販売術を有効ならしめる要素は何か、ケネディはラスカーに説明しました。
広告は読者に、その製品を買わせるに十分な理由を与えるべきである、と。
十分な理由説明 reasons-why とは---なぜこの商品のほうがよいのか、なぜ値段が安いのか、同業者のものよりすぐれているのはなぜか。なぜか、なぜか---を買い手が納得するように説明するやり方のことです。
24歳のラスカーと40歳代も終わりに近いケネディとは、それからずっと、仕事が終わったあと毎晩、コピーの研究をつづけたのです。
とにかく、このようにして広告コピーの哲学は生まれ、また、今日のベスト広告の基礎をなす「理由説明」という根本原則ができあがったのです。
それは1905年に、ケネディの『広告テストの本 The Book of Advertising Tests』という、12ヶ条・39ページのタイプ印刷のレポートにまとめられました。
2年もすると、ケネディの給料は7万5000ドルにもなっていました。
しかもなお、ケネディはラスカーに夜の講義をつづけていました。
すなわち、広告において重要なのは広告コピーとその書き方であることを教えていたのです。
ラスカーもクライアントを勧誘するとき、ケネディのことをくわしく話さないうちは商売の話にはいらなかったといいます。
ラスカーは後に「全米にとって、広告のすべての外観は、その日以来、変えられてしまった。そしてすべてジョン・ケネディの結果そうなったのだが、今日だれでも、広告を一つの偉大な開業医として理解している」と回想しています。(この章おわり。つづく)
以後の、章は、
ホッチキス教授のコピー原則
ダニエル・スターチのリーダシップ調査
ケープルス、ヘッドラインを強調
ハロルド・J・ルドルフの注意と興味の研究
スターリング・ゲッチェルの成功物語
クライド・ペデルの「販売戦略」
リチャード・マンビルの業績
マーク・ワイズマンの分析
ジュリアン・L・ワトキンスの集大成
ラジオの出現と戦争
キャロル・J・スワーンと「どの広告が---」シリーズ
テレビの出現
今日と明日
・・・各章を1日1章ずつ、写していきます。
【お断り】集めていた広告分野の書籍を、T美術大学の講師を退任した時、すべて同図書館に寄贈してしまい、手元にないので、参考図版がつけられません。おわびいたします。